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1978 14TH PMA McLAREN FORD M26 P.TAMBAY
パトリック・タンベイ マクラーレンに抜擢 McLAREN FORD M26 前年度 非力なエンサインで3度の入賞 その走りが認められてマクラーレンに 抜擢されたパトリック・タンベイ チームメイトはジェームス・ハント ニューマシンのM27の計画が頓挫したため 旧マシンの前年3勝をあげたM26で参戦も ハント共々苦戦を強いられた タンベイは5度の入賞 表彰台は無し 最高位はR8スウェーデンGPの4位 シーズン終盤アメリカ・カナダGPは フィリップモリス傘下のミラー社が 販売するビールブランド レーベンブロイがスポットスポンサー 2戦のみカラーがブルーに代わった モデルはR15アメリカWEST GP仕様 予選18位→決勝6位入賞 R16カナダGPのみ予選でハントに勝っている タンベイ17位 ハント19位 翌1979年もタンベイはマクラーレン残留 #F1-1978年
221217 P.TAMBAY 1978 1.656FW12C
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1981 19TH SPARK THEODORE TY01 P.TAMBAY
3年ぶりに復帰のセオドール 2年ぶりに復帰パトリック・タンベイ スポンサーとしてF1に関わっていた セオドールは1980年に途中撤退した シャドウを買収して3年ぶりに 1981年コンストラクタ―として復帰 ドライバ―は2年ぶりに復帰の パトリック・タンベイの1台エントリー 開幕戦アメリカWEST ロング・ビーチで 予選17位→決勝6位入賞(モデル仕様) セオドール チーム初の入賞 タンベイも3年ぶりのポイント獲得 しかし入賞はこの1Pのみで以降は低迷 R7よりタンベイはリジェに移籍 セオドールはM・スレールを起用 マシン名のTY01は創立者の テディ・イップの頭文字 イップはインドネシア出身で 日本以外のアジア諸国での 最初のF1チームのオーナー #F1-1981年 #セオドール
220903 P.TAMBAY 33 1/43FW12C
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1979 (23RD) IXO McLAREN M28 P.TAMBAY
北米シリーズ限定カラーリング ブルー/ホワイトのMarlboro マクラーレン 1979年パトリック・タンベイは マクラーレン2年目 TMはJ・ワトソン 開幕戦よりマクラーレン初の グランドエフェクトカーM28を導入 R4アメリカWEST ロングビーチ お馴染みの赤/白Marlboroカラーでなく ドイツのビールメーカー レーベンブロイのイメージカラーを メインとしたカラーリングを採用 しかし結果は振るわず予選19位→決勝R モデルはMarlboroをデカール加工実施 M28は完全なる失敗作で旧型M26に戻したり 後半からはM29を投入するも2度の予選落ち 決勝もR9イギリスの7位が最高 J・ワトソンが7回入賞15ポイントに対して P・タンベイはノーポイントに終わる マクラーレンのレギュラーフル参戦の ドライバ―が入賞無しで終わるのは 現在まで1979年のタンベイのみ タンベイは翌1980年はシートを失い 1981年はセオドールとリジェで参戦 #F1-1979年 マクラーレンM28通常Marlboroカラー↓ https://muuseo.com/FW12C/items/738?theme_id=34203
P.TAMBAY F1マシンコレクション 8 143FW12C
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1983 4TH IXO FERRARI 126C2B P.TAMBAY 〖🏆1〗
パトリック・タンベイ ベストシーズン 1983年 フェラーリ 126C2B 前年度よりフェラーリに残留 TMはR・アルヌーのフランス人コンビ 前半は昨年の改良型126C2Bで参戦 ポスルズウェイト設計のアルミハニカムを 使用したモノコックシャーシ 120度のV6ターボエンジン R4サンマリノGP トップのR・パトレーゼ(ブラバム)が ファイナルラップのクラッシュで タンベイが通算最後の2勝目を上げ 前年に他界し友人でもあった G・ビルヌーブに再び勝利を捧げた 126C2Bの最後のR8カナダGPでは 自身初のファステスト・ラップを記録 PP4回 優勝1回含む表彰台4回 年間順位4位はタンベイのベストシーズン フェラーリの2年連続のコンストラクター チャンピオンに貢献した TMのアルヌーは3勝ランキング3位 翌年はフェラーリ待望のイタリア人 M・アルボレートの加入が決まり タンベイはフランスチーム ルノーに移籍 #F1-1983年
P.TAMBAY フェラーリF1コレクション 1回 27FW12C
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1982 7TH BRUMM FERRARI 126 C2 P.TAMBAY 〖🏆1〗
#1982 #Ferrari
P.TAMBAY 27 1/43 FERRARIFW12C
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1984 11TH SPARK RENAULT RE50 P.TAMBAY
パトリック・タンベイ ルノー移籍 最後の予選PP RENAULT RE50 1984年 タンベイは友人でもあった ジル・ヴィルヌーブの後任以来所属した フェラーリを離れ祖国ルノーに移籍 チームメイトはディレク・ワーウィック 開幕戦幸先よく5位入賞 R5フランスGPでは予選PP獲得 これがキャリア最後(5回)のPPとなり 第一期ルノーターボエンジンの 最後となる31回目のPPでもあった 決勝ではN・ラウダ(マクラーレン)に ラスト18周で逆転されて惜しくも2位 年間では表彰台1度のみでランキング11位 ワーウィック(表彰台4回)に差をつけられた チームルノーは1979年より続いた 年間の勝利もストップし勢いが衰え 翌1985年のルノー撤退につながった モデルはスパーク 自身最後のPPとなったR4フランスGP仕様 Marlboro個人契約でヘルメットに 同社ブランドのロゴが別添えで貼付済み ルノーRE50は前年度プロストが4勝をあげた RE40の発展型で期待されたものの シャーシの強度不足が露呈され 次戦のR5モナコのクラッシュで脚を骨折 R6カナダGPを予選から欠場している
P.TAMBAY 1984 15 1/43FW12C
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1986 15TH SPARK LOLA THL2 P.TAMBAY
パトリック・タンベイ最後の年は 前年より参戦の(ハース)ローラ TMはアラン・ジョーンズ R3サンマリノGPより エンジンをハート→フォードに R4モナコGPより ニューマシンのTHL2を導入し 予選順位が向上 R4モナコ予選8位→決勝R R11ハンガリー予選6位→決勝7位 R12オーストリアで念願の初入賞を ジョーンズ4位 タンベイ5位で飾る これが通算タンベイ32回目の最後の入賞 P.タンベイ フランス出身 F1通算2勝 PP5回 FL2回 1983年の4位が年間最高順位 #1986
P.TAMBAY 16 1/43 LOLAFW12C
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1985 12TH SPARK RENAULT RE60B P.TAMBAY
#1985年 #F1-1985年
P.TAMBAY 15 1/43 MarlboroFW12C