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1974 9TH SPARK TYRRELL 007 P.DEPAILLER
パトリック・デパイユ 初のフル参戦 キャリア唯一のPP TYRRELL 007 1974年前年度の最終戦F・セーベルが他界 哀しみのチャンピオン ジャッキー・シチュワートが引退 ティレルは1972年に自チームで スポット参戦したパトリック・デパイユ起用 チームメイトはジョディー・シェクター デパイユは旧車のティレル005で 開幕戦のアルゼンチンGPで6位初入賞 デパイユの生涯入賞は36回 R3南アフリカGP予選15位→決勝4位 R7スウェーデンGPではニューマシンの ティレル007で予選PPを獲得 デパイユのPPはキャリア唯一 決勝は2位 シェクターと1・2フィニッシュ デパイユの通算表彰台は19回 フル参戦初年度の入賞6回で年間9位 チャンピオン争いに絡んだシェクターとは 約3倍のポイント差がついた F1と並行して参戦したヨーロッパF2は 年間4勝をあげてチャンピオンを獲得 モデルはスパーク R7スウェーデンGP仕様 デパイユ生涯唯一のPPと2位初表彰台 さらに自身初のファステストラップも記録 デパイユのFLは生涯4回
231217 P.DEPAILLER 1974 1回FW12C
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1975 9TH PMA TYRRELL 007 P.DEPAILLER
パトリック・デパイエ ティレル2年目 前半好調も後半失速 TYRRELL 007 1975年デパイエはティレルフル参戦2年目 チームメイトは前年同様J・シェクター マシンは前年後半投入のティレル007 開幕戦アルゼンチンGP 5位 R3南アフリカGP 3位表彰台 R5モナコGP FLで5位など 前半6戦で4回入賞など好調なスタート 後半の入賞はR9フランスの6位のみで 全14戦中11戦完走と完走率は高かったが 入賞に一歩届かないレースが多く 年間順位は前年同様9位 翌1976年もティレルに残留 ティレル6輪車P34のメインテストを務めた こちらのモデルはあるサイトで 注文した所間違って1974年のモデルが届き 返金か交換を希望したが 在庫が無かったにも関わらず取り寄せ →更に誤納品までいただきました ネット注文だと店頭と併売の為 注文商品の在庫が無いこともしばしで 残念な対応でがっかりすることもある中 とても誠実に対応して頂き感謝を思い出す1台
230623 P.DEPAILLER 1975 1回FW12C
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1972 (24TH) QUARTZO TYRRELL 004 P.DEPAILLER
パトリック・デュパイエ F1デビュー ティレルの4号車 TYRRELL 004 パトリック・デュパイエ フランス出身 元々は2輪だったが→4輪ドライバーに変更 1971年 フランスF3 チャンピオン 1972年はティレルのサードドライバ―で 地元R6フランスGPにスポット参戦 予選17位→決勝は1周足らず周回不足 最終R12アメリカにも出場 予選11位→決勝は7位完走している この時使用のマシンTYRRELL 004は 001を元に作製された4号機 1972年R3モナコでJ・スチュワートが 使用して予選8位→決勝4位入賞 デュパイエが2戦使用後は 南アフリカのドライバ― エディー・ケイザンに売却されて ケイザンがプライベートチームで 1973年・1974年に1戦ずつ参戦 F1でわずか5戦限りの使用となった https://muuseo.com/FW12C/items/497?theme_id=31775 デュパイエ翌1973年はヨーロッパF2 1974年からはF1に戻りティレルの レギュラードライバ―として参戦する
230524 P.DEPAILLER 1972 8FW12C
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1980 (32ND) YAXON ALFA ROMEO 179 P.DEPAILLER
パトリック・ドゥパイエ テスト中に散る ALFA ROMEO 179 前年の1979年シーズン途中に ハンググライダーの事故で両足を骨折 リジェを離れ1980年はアルファロメオに移籍 チームメイトはブルーノ・ジャコメリ 序盤2戦の予選で23位・21位と苦戦 その後ドゥパイエの提案もあり 軽量化を含む大幅な改良を実施 R3南アフリカ 予選7位 R4アメリカW 予選3位と大きく進歩を見せたが 決勝は信頼不足もあり全てリタイア 後半戦に向けたドイツでのテスト中 コースアウトでクラッシュ 残念ながら帰らぬ人となった この年同郷フランスのアラン・プロストが F1デビューを果しドゥパイエは パドックなどで面倒をみていた そのアラン・プロストの結婚式当日に ドゥパイエ は帰らぬ人となる 悲しみの事故でもあった モデルはF1モデルで唯一の所持のYAXON F1通算2勝のドゥパイエ 富士スピードウェイで行われた 1976年・1977年の日本グランプリでは いずれも表彰台に上がっている 🏁パトリック・ドゥパイエ(フランス) 【決勝出走回】 95回 入賞36回-表彰台19回 【予選最高位】 PP 1974年 ティレル R7スウェーデン 【決勝最高位】 優勝(2回) 1978年 ティレル R5モナコ 1979年 リジェ R5スペイン 【ファステスト】 4回
230426 P.DEPAILLER 22 1/43FW12C
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1978 5TH SPARK TYRRELL 008 P.DEPAILLER〖🏆1〗
パトリック・デュパイエ 最後のティレル モナコで初勝利 TYRRELL 008 1978年ティレルは6輪のP34から オーソドックスなマシン 008へ変更 P・デュパイエはティレル5年目 チームメイトはディディエ・ピロー二 開幕4戦で表彰台3回(2位1回 3位2回) 好調で迎えたR5モナコGP シーズンベストの予選5位から デュパイエの初優勝 フル参戦5年目 69戦目の勝利 モデルはそのモナコGP仕様 その後はやや低迷 完走率は50% 年間で表彰台5回 入賞7回 年間5位 約5年間過ごしたティレルを離れ 翌1979年は母国フランスのリジェに移籍 #F1-1978年
230103 P.DEPAILLER 1978 4FW12C
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1976 4TH PMA TYRRELL P34 P.DEPAILLER
プロジェクト34 革新的6輪車 パトリック・デゥパイエ 初戦エントリー 1976年ティレルが導入したTYRRELL P34は ディレック・ガードナーがデザイン フロントタイヤを小径にして 空気の抵抗を少なくし理想的な流れに するとともにグリップ力維持の為 前輪を縦方向に2輪ずつ並ぶ4輪にする 革新的なデザインの6輪車を導入した R4スペインGPが実践デビュー デゥパイエのみのエントリーで いきなりの予選3位獲得は TMのJ・シェクターのティレル007よりも 1秒以上速いタイムであった デゥパイエはP34で2位4回 3位1回 R14カナダGPではファステストラップ記録 年間順位は4位 生涯ベストリザルト ◆R16日本(富士SW)予選13位→決勝2位◆ 富士SWでは2周ラップリーダーも記録 チーム ドライバ―名はひらがなで 【たいれる どぱいえ】マシンに表記された #1976年 #F1-1976年 #P34 #たいれる https://muuseo.com/FW12C/items/956?theme_id=35914
P.DEPAILLER 1976 1回 4FW12C
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1979 6TH PMA LIGIER FORD JS11 P.DEPAILLER〖🏆1〗
人生は楽しむためにあるのスタイルを貫いた パトリック・ドュパイエ フランス出身 長年在籍したティレルを離れ 1979年は母国フランスのリジェに所属 TMはジャック・ラフィーのフランス人コンビ フランスチーム初のグランドエフェクトカー リジェJS11は開幕戦から2戦連続の 予選フロントロー独占して周囲を驚かせる ドュパイエも7戦目までで 予選平均2.85位(ラフィーも同率) 決勝もR5スペインで優勝(モデル仕様) 5度の入賞でランキング3位につける しかし趣味のハンググライダーで 両足骨折の事故を起こし8戦以降は欠場 開発能力の高いドュパイエの離脱で チームも勢いを失い後半失速 R4アメリカ東 ロングビーチでは ノーズの先端に穴をあけて急造ダクトを作成 現代では考えられない荒業を実施してます ドュパイエ予選4位→決勝5位 画像7 #F1-1979年
P.DEPAILLER 1回 25 1/43FW12C