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1990 (19TH) KIT-TAMEO LIGIER JS33B N.LARINI
1990年シーズン完走率2位 二コラ・ラリーニ LIGIER JS33B 二コラ・ラリーニ イタリア出身 1986年イタリアF3 チャンピオン(5勝) 1987年コローニでデビュー 1988年・89年オッゼラに所属 この3年間は(予備)予選落ち13回 決勝進出19回中 完走4回 最高9位 1990年はリジェに移籍 チームメイトはフィリップ・アリオー マシンは前年度の改良型JS33B チームはポイント獲得できずに 後半戦はR9より予備予選組に回るも モンテベルディ オニクスが撤退した為 R11ベルギーから再び予備予選免除 ラリーニはR6カナダから最終戦まで 11戦連続の完走と安定感があったものの 最高7位(2回)で惜しくもポイント獲得ならず 年間の完走13/16回 完走率81.2%は N・ピケ(ベネトン)86.7%に次ぐ2位タイ ラリーニはリジェを1年で離れ 翌1991年も新規モデナ・ランボルギーニに移籍 モデルはKIT TAMEO製 お馴染みのタバコGITANES仕様 リジェの1989年JS33 90年JS33B 量販モデル化されておらず発売が待たれます
231026 N.LARINI 1990 26FW12C
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1991 (28TH) LS MODENA 291 LAMBORGHINI N.LARIN
元々はメキシコのグラスという チームで参戦予定だった車体を 1991年新規モデナで立ち上げ ドライバ―はN.ラリーニとE.ヴァン.デ.ポール 流麗なサイドポンツーンとエンジンカウルは 元フェラーリのマウロ・フォルギエリが中心に開発 独得な形状で魅了も・・速くはなかった ラリーニは開幕戦を7位(3周遅れ)と健闘も その後は予選突破は4回のみ チームは1年限りで消滅 スポンサー(姫路)Central Parkは 各戦ごとに場所と色が異なった SPARKが発売前にLOOK SMARTのモデルを購入 値段も高かったが 先日久々に開封しましたが 劣化してなくて安心しました #1991 #LAMBORGHINI
N.LARINI 34 1/43 MODENAFW12C
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1994 14TH PMA FERRARI 412 T1 N.LARINI
J・アレジのTEST中のケガにより テストドライバーの二コラ・ラリーニが R2 R3の2戦にフェラーリで出走 1992年カペリの代役でフェラーリの 終盤2戦参戦以来のF1復帰 R2パシフィックGPは予選7位→ A・セナに追突して0週でリタイヤ R3サンマリノGPは予選6位→ セナの事故により2ヒート制の中 リードラップ5週→2位表彰台を獲得 これはラリーニにとって 70回目の出走にして初のポイント獲得 残念ながら表彰式では シャンパンファイトは行われなかった 生涯唯一の表彰台 この後もフェラーリのテストドライバーは 1995.1996年と継続され ラリーニは1997年に ザウバー(フェラーリエンジン)で復帰
N.LARINI 27 1/43 FERRARIFW12C
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1997 19TH ONYX SAUBER C16 PETRONAS N.LARINI
3年ぶりにF1に復帰のN・ラリーニ フェラーリエンジン(PETRONAS名称) のコネクションもありサウバーで参戦 チームメイトはJ・ハーバート 復帰戦R1オーストラリアで 自身2度目の入賞 6位を獲得 R5モナコがラリーニ最後 予選11位→決勝Rで終える その後は G・モリビデリとN・フォンタナが参戦 両ドライバーは無得点 (J.ハーバートは3位含む15P) ONYXの最後の方のモデル レッドブルサウバーのロゴ入りと ミラー仕様でPMAとも劣らなくなりました 🏁二コラ・ラリーニ (イタリア) 【決勝出走数】48回(入賞2回-表彰台1回) 【予選最高位】 6位 1994年 FERRARI R3サンマリノ 【決勝最高位】 2位 1994年 FERRARI R3サンマリノ #F1-ラスト
N.LARINI 17 1/43 SAUBERFW12C