-
1994 (32ND) SPARK LOTUS 109 M.SALO
ミカ・サロのF1デビュー車 LOTUS109同時に初期LOTUS最後 サロはJ・ハーバートの移籍に絡み 終盤2戦をドライブ エンジンは無限 チームメイトはA・ザナルディ 全日本F3000で鈴鹿での経験生かし 日本GPは粘りの走行で予選25位→10位完走 何と言っても 塩野義製薬がサポートで 日本GPでは ザナルディ車【新ポポンS】 サロ車【セデス・ハイ】の商品名が スポンサーとして貼られました HITACHI KOMATSU TAMIYA Nichibutsu イエローハットなど たくさんの日本企業がサポートも チーム・ロータスは1994年で幕を閉じます #F1-1994年 #セデス・ハイ
M.SALO 11 1/43 LOTUSFW12C
-
2002 15TH PMA PANASONIC TOYOTA RACING TF102 M.SALO
PIT STOP DIORAMA ミカ サロ #2002 #F1
M.SALO 24 1/43 TOYOTAFW12C
-
2000 10TH PMA RED BULL SAUBER PETRONAS C19 M.SALO
レギュラードライバー復帰 ミカ・サロ SAUBER PETRONAS C19 2000年 前年フェラーリのスポット参戦で 結果を残しザウバーにてレギュラー復帰 チームメイトは1998年にアロウズでも コンビを組んだペドロ・デニス 一発の速さはなかったものの 5位2回 6位2回の入賞 年間10位 ザウバーは1年での契約となり 翌年は2002年に新規参入となる TOYOTAのプロジェクトに参加する
M.SALO 17 1/43 SAUBERFW12C
-
1999 10TH IXO FERRARI F399 M.SALO
1999年2チーム目ミカ・サロ 自身唯一の2&3位 FERRARI F399 フェラーリはミハエル・シューマッハの 骨折に伴う代役のドライバ―を テストドライバーのルカ・バドエルでなく 前半3戦でのスポット参戦しBARでの 走りを評価しミカ・サロに決定した フェラーリでの2戦目のドイツGP 自己最高の予選4位より決勝では 途中トップを走行するも チーム指示で チャンピオン争いのチームメイトの エディー・アーバインに譲り そのままチェッカーで1・2フィニッシュ 自身初で唯一の2位表彰台を獲得 リーダーラップも記録した 優勝のアーバインとは日本で一時期同時参戦 当時住んでした下北沢のマンションなど でも交流がありトップを譲ってもらった感謝 として優勝トロフィーがサロに贈られた R13イタリアGPでもリーダーラップを 記録して3位表彰台を獲得 年間ポイント10ポイント順位10位は どちらもサロの生涯ベスト またこの10ポイントがフェラーリの 1983年以来16年ぶりのコンストラクター チャンピオン獲得にも貢献した マシンはデアゴスティーニの F1マシンコレクション47号 今までサロのフェラーリ量販モデル無く 個人的には嬉しいラインナップ
M.SALO F1マシンコレクション 1999 3FW12C
-
1999 10TH PMA BAR 01 SUPERTEC M.SALO
ミカ・サロ 代役参戦① 新規チーム BAR 01 SUPERTEC 1999年ミカ・サロはレギュラーシート失うも リカルド・ゾンタの代役でR3サンマリノから 3戦を新規チームBARで参戦 チームメイトのジャック・ビルヌーブに 当該3戦予選では敗れたが 決勝はジャックが全てリタイアの中 サロは2戦で完走 RサンマリノGPの決勝7位は この年のBARの決勝最高成績となり 代役ながら存在感を示す形となった この年のBARはBTA (ブリティッシュ・アメリカン・タバコ)の 2つのタバコブランドを 左-ラッキーストライク 右-555で塗り分け 真ん中をファスナーでつなぐ斬新なデザイン この後サロはR9ドイツGPより ミハエル・シューマッハの代役として フェラーリで参戦自己最高位を獲得する
M.SALO 1999 23 1/43FW12C
-
1998 13TH PMA ARROWS A19 M.SALO
アロウズに移籍のミカ・サロ バーナード加入も不振 ARROWS A19 1998年 ミカ・サロは3年過ごしたティレルから アロウズのエースとして迎えられた ジョン・バーナード加入で期待されたが 開幕から不振 問題の多くはハートV10を ベースとした自社製エンジンがネックとなった R6モナコGP 予選8位→決勝4位が 唯一の見せ場で他のレースは散々な状況 R10オーストリアでは予選6位も スタートに失敗してチームメイトの ペドロ・デニスと接触してリタイア 完走僅か5回でシングルフィニッシュも2回 年間順位は3ポイントで13位 資金難が噂されてディレクターの トム・ウォーキンショーの求心力も低下 ミカ・サロは1年でアロウズを離脱 翌1999年はレギュラーシートを失うも B・A・Rとフェラーリでスポット参戦 フェラーリで自己最高成績を得る #F1-1998年
M.SALO 17 1/43 ARROWSFW12C
-
1997 17TH ONYX TYRRELL FORD 025 M.SALO
ティレル 最後の入賞 M・サロ TYRRELL FORD 025 1997年ミカ・サロはティレル3年目 非力なフォードエンジンを補う為に ダウンフォースをかせぐ秘策 Xウイング(バンザイウイング)を導入 R5モナコGPではXウイングの効果もあり サロは予選14→決勝5位入賞 結果的にこれがティレルとして 最後の190回目の入賞となった サロは2ポイントで年間17位 3年過ごしたティレルを離れて 翌1998年はアロウズに移籍する #F1-1997年 #F1 #Xウイング
M.SALO 19 1/43 TYRRELLFW12C
-
1996 13TH PMA TYRRELL YAMAHA 024 M.SALO
ミカ・サロ ティレル2年目 ティレル ヤマハエンジン最後のマシン メインスポンサーであった フィンランドの通信会社ノキアの スポンサーを失い 資金難のティレル TYRRELL 024は2年ぶりのハイノーズ採用 サロは前半6戦で3度の入賞と好調なスタートも 以降はマシンの開発不足と 軽量コンパクト新型ヤマハエンジンの 信頼性欠如にも悩まされ入賞は無し R11ドイツGPでは高速サーキットの ドラッグを減らすために 細いフロントタイヤをリヤにも取り付けた 全輪フロントタイヤという奇襲作戦に出たが グットイヤーのクレームが入り 結果 フリー走行後に禁止となった 1996年 入賞5位2回 6位1回 5ポイントは 1995年とまったく同じ成績 年間順位は13位(1995年は15位) 翌1997年もサロはティレルに残留 1990年以来となるフォードエンジンを採用 この年でマイルドセブン・大韓航空などの 大手スポンサーもほとんどが終了となった #F1-1996年 #F1
M.SALO 19 1/43 TYRRELLFW12C
-
1995 15TH PMA TYRRELL YAMAHA 023 M.SALO
ミカ.サロ 初のフル参戦 TYRRELL YAMAHA 023 1995年 サロはNOKIAの スポンサーとともにティレルで レギュラーシートを獲得 TMは片山右京 エンジンはヤマハ シーズン後半に5位2回と6位の 3回の入賞で年間順位は15位 NOKIAは1シーズンでサポート終了 ONYXは前半のブラジルGP仕様の ブルーベースのカラー(画像2)と R3以降(画像3)の2種類の仕様を発売 リアウイングにFONDMETALが付いて フロントノーズのカーナンバーが フィンランドの国旗がベースになっています #F1-1995年
M.SALO 4 1/43 TYRRELLFW12C