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1994 24TH PMA BENETTON FORD B 194 J.J.LEHTO
J.J.レートはM.アルボレートとの シート争いに勝ちベネトンに移籍 シーズン前のテストで大クラッシュ R1・R2を欠場して流れが悪くなります 復帰のR3サンマリノで予選5位 R5スペインで生涯自己最高の予選4位も 両レースとともリタイヤ R6カナダの予選20位 決勝は繰り上がりの6位が唯一のポイント この後J.フェルスタッペンと交代 M.シューマッハ欠場の2戦と 終盤2戦はザウバーに復帰も低調に終わり この年をもってF1からは退きます 画像3・4はTEST仕様のBENETTON B193B この頃はPMAとONYXのF1ミニカーの 争いでTEST仕様も多数発売されました #F1
J.J. LEHTO 6 1/43 BENETTONFW12C
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1993 13TH PMA SAUBER C12 J.J.LEHTO
漆黒のボディーに不気味に光る concept by Mercedes-Benzと スリーポインテッドスター いよいよメルセデスが参戦かと 大いなる期待を抱かせる SAUBERが1993年より参戦 J.J.レートとK.ベンドリンガー 前半戦の主役はレート 開幕戦の南アフリカGPを予選6位 決勝サバイバルも生き残り5位 R4サンマリノGP予選10位→決勝4位 参戦初年度とは思えぬ活躍で コンストラクタ―も6位 ポスルズウエイトが携わったC12は いたってオーソドックスなマシン 離脱後レオ.レスが上手くまとめ上げた ONYXは2種類発売 前半戦仕様と メルセデスの地元R10ドイツGP仕様 GP仕様が出たのは恐らくこれが初めて #1993 #conceptbyMercedes-Benz
J.J. LEHTO 1/43 SAUBER MINICHAMPSFW12C
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1990 (30TH) TAMEO ONYX ORE-2 J.J. LEHTO
フィンランド出身のJ.J.レートは愛称で 本名はユルキ・ユハニ・ヤルヴィレヘト 何とも言いにくい為 ケケ・ロズベルグの指示で J.J.レートで登録して参戦 1989年終盤4戦をONYXで出場 1990年はレギュラードライバ―として参戦 チーム内はゴタゴタで2戦目で S・ヨハンソンが離脱 出資金を持つ G・フォイテクが加入 R9ドイツGPからはチーム名も モンテベルディに変更 R10ハンガリーで2台予選落後 チームに見切りをつけ両ドライバー離脱 チームもそのまま消滅しました 前年度のS・ヨハンソンの 参戦初年度表彰台も虚しく 1年半で消えてたONYX カラーリングはとても好きでした
J.J. LEHTO 36 1/43 ONYXFW12C