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2000 (17TH) HOT WHEELS JAGUAR R1 J.HERBERT
新生ジャガー・レーシング ジョニー・ハーバート引退 JAGUAR R1 2000年スチュワートグランプリを フォードが買収し当時傘下にあった ジャガーブランドでF1に参戦 往年のブリティッシュグリーンを纏い ビッグキャットのロゴデザインが描かれた 前年度スチュワートに初優勝をもたらした ジョニー・ハーバートが残留 チームメイトはエディ・アーバイン チームは前年の勢いがなく 人事面のゴタゴタもあり低迷 ハーバートは予選8位 決勝7位がベスト 36歳となったこの年でF1からの引退を表明 1989年ベネトン参戦から12年 予選はフロントロー無し 決勝はファステストラップ無しながら F1通算3勝をあげてそのキャリアを終えた 🏁ジョニー・ハーバート (イギリス) 【決勝出走数】159回 (入賞29回-表彰台7回) 【予選最高位】4位(2回) 1995年 ベネトン R1 ブラジル 1995年 ベネトン R11 ベルギー 【決勝最高位】優勝(3回) 1995年 ベネトン R8 イギリス 1995年 ベネトン R12 イタリア 1999年 スチュワート R14 ヨーロッパ
240121 J.HERBERT 2000 8FW12C
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1998 15TH PMA SAUBER C17 PETRONAS J.HERBERT
F1-10年生 ベテランコンビ ジョニー・ハーバート SAUBER C17 J・ハーバートはザウバー3年目 チームメイトは同じ1989年デビューの J・アレジ F1-10年目のベテランコンビ エンジンはPETRONASバッジのフェラーリ ハーバートは開幕戦オーストラリア 予選5位→決勝6位入賞 幸先の良いスタート しかしこれがどちらもシーズンベストで これ以降の入賞は無く年間1ポイント 15位 前年度はエース待遇もあり入賞を重ねたが アレジの加入で待遇を奪われ関係も微妙に チームオーダーを出されたレースもあり ハーバートはチーム残留のオファーを断り 翌1999年はスチュワートに移籍 結果 自身最後の勝利を手に入れる #1998
230216 J.HERBERT 15 1/43FW12C
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1998 15TH PMA SAUBER C17 PETRONAS "TOWER WING″ J.HERBERT
SAUBER C17 PETRONAS "TOWER WING″ ジョニー・ハーバート サウバーの導入したTOWER WINGは 外側が2本内側が1の支柱で支える 独得の形状のものでカラーリングも ウイング板がPETRONASのカラーになっている R4サンマリノGPではチームメイトの ジャン・アレジがレース中のピットインで タワーウィングに給油ホースを引っかける事故 この事故がきっかけでR5以降は禁止となるが 事故は口実でマシンの美観が損なう というのが主だった禁止理由とみられている サウバーはこのウイングが禁止された R5スペインGP以降はしばらく入賞が無く 多少の禁止の影響があった可能性がある
230216 J.HERBERT "TOWER WING″ 2.222FW12C
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1997 10TH ONYX SAUBER C16 PETRONAS J.HERBERT
ザウバー2年目 ジョニー・ハーバート エース待遇 SAUBER C16 PETRONAS フレンチェンがウイリアムズに移籍 ハーバートはザウバーエース待遇 序盤5戦の予選では7位(3回) 8位(1回) R3アルゼンチンGPで4位入賞 R11ハンガリーGPでは3位表彰台獲得 年間では6度に入賞 15ポイントで10位 エンジンがフォードからペトロナス名称の フェラーリエンジンの耐久性が極めて高く ハーバートの入賞を後押しした 翌1998年も実績が認められてザウバー残留 #F1-1997年
221206 J.HERBERT 16 1/43FW12C
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1989 14TH+α SPARK TYRRELL 018 J.HERBERT
ベネトン解雇のジョニー・ハーバート 2戦限りのティレル018での参戦 1989年ケガの影響もありベネトンを 途中解雇されたJ・ハーバートは ティレル途中加入のジャン・アレジの 国際F3000の参戦による欠場の2戦を 代役としてエントリーした モデル仕様のR11ベルギーGP 予選16位は TMのジョナサン・パーマー(21位)を上回るが 決勝は3周目にスピンしてリタイア この代役は急遽の決定であった為 ハーバートのレーシングスーツは ベネトン時代のグリーンのままであった もう1戦のR13ポルトガルGPは予選落ち この年復帰のポスルズウェイトが手掛けた ティレル018は隠れた名車とも言われており 翌1990年のR2ブラジルまで使用され このマシンに乗った5人のドライバ―の内 ハーバート以外は全てポイントを獲得している ティレル018ドライバ―別成績 M・アルボレート 6戦 6ポイント J・パーマー 15戦 2ポイント J・アレジ 10戦 14ポイント J・ハーバート 2戦 0ポイント 中嶋悟 2戦 1ポイント #F1-1989年 #Tyrrell
J.HERBERT 4 1/43 CAMELFW12C
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1996 14TH PMA SAUBER FORD C15 J.HERBERT
ジョニー・ハーバート キャリア8年目 通算6チーム目 チーム ザウバー 1996年ハーバートは前年度シーズン終了時 チームが未決定であったが マーク・ブランデルとのシート争いに勝ち ザウバーのシートを獲得 TMはH・H・フレンチェンの全日本経験コンビ 予選ではフレンチェンに3勝13敗と負け越す 決勝ではほぼ互角の成績だったが 両ドライバ―ともリタイアが多かった R6モナコGPで混戦を生き残り3位表彰台獲得 この年ザウバー唯一の表彰台で ハーバートの入賞もこのGPのみ 1974年に設立のマレーシアの国営石油会社 ペトロナスとザウバーの関係が強化されて 鮮やかなミントグリーのカラーで 同社のロゴが大きく訴求された ハーバートは前年シューマッハ中心の チームに嫌気が差しベネトンを離脱 ザウバーでは公平に扱われた事を高く評価 翌1997年以降の2年契約をザウバー結んだ #F1-1996年 #SAUBER
J.HERBERT 14 1/43 SAUBERFW12C
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1992 15TH+α SPARK LOTUS 107 J.HERBERT
LOTUS 37戦ぶりの新車LOTUS 107 ジョニー・ハーバートにより出走 1992年ロータスはR5サンマリノGPより 待望の新車LOTUS 107を投入 旧型の102シリーズは1990年開幕より 実に36戦に渡り使用された 107のデビュー戦はハーバートのみに 与えられたが予選はギリギリの26位で通過 旧マシンで出走のTM M・ハッキネンは予選落ち この時のLOTUSの代表はP・コリンズで ハーバートを1989年ベネトンでの デビューの道を作った人物 ゆえにハーバートに先に ニューマシンが与えられた 107のマシンではR8フランスGP 予選12位→決勝6位入賞 入賞はこの1回のみ(モデル仕様) 4年目にして初のフル参戦であったが ハーバートは年間2ポイント15位 TMのハッキネンは年間11ポイント8位 F1ライト兄弟とも呼ばれた2人は ハッキネンはマクラーレン ハーバートはロータス残留と明暗が分かれた #F1-1992年 #LOTUS
J.HERBERT 12 1/43 LOTUSFW12C
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1995 4TH PMA BENETTON RENAULT B195 J.HERBERT〖🏆2〗
71戦目 ジョニー・ハーバート 初優勝 BENETTON RENAULT B195 1995年のF1初優勝3人の2人目 前半R7まででTMのM・シューマッハが 4勝 46Pに対して 2位1回 12Pと シューマッハ中心のチーム体制で苦戦 シートの喪失の噂も出る中 地元R8イギリスGPは シューマッハ・ヒル(ウイリアムズ)の 脱落にも助けられてF1参戦 71戦目にしてうれしい初優勝 ここから9戦連続の完走 R12イタリアGPでは ラップリーダーが6人の混戦を制して 2勝目を上げ 年間でも45P 順位は4位 ベネトンの初のコンストラクター チャンピオン獲得に貢献した しかしながらベネトンはフェラーリから J・アレジ G・ベルガーを迎える為 ハーバートはチームを離脱 シーズン終了時は所属先も決まらぬ状況で あったが最終的にザウバーに移籍する シューマッハのB195は多数発売の中 PMAのハーバートは1種類のみの発売 近年はSPARKからも初優勝モデルがリリース #F1初優勝 #1995年
J.HERBERT 2 1/43 BENETTONFW12C
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1999 8TH HOT WHEELS STEWART FORD SF3 J.HERBERT〖🏆1〗
J.ハーバート 通算最後の3勝目 スチュワートGP唯一の勝利 スチュワート→ジャガー →レッドブル RED BULL HONDAにつながる1台 #HOTWHEELS #2021ありがとうHONDA
J.HERBERT 17 1/43 STEWARTFW12C
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1994 (26TH)+α2 ONYX BENETTON FORD B194 J.HERBERT
J.ハーバートは1994年3チーム目のベネトン ベネトンにはデビューの1989年以来の復帰 2戦を残しコンストラクターポイントで ベネトン97P VS ウイリアムズ94P 直近3戦でベネトン2NDドライバ― J.フェルスタッペンが2Pと 不安定な為 ハーバートを起用 しかしハーバートは2戦ともリタイヤ 2戦でベネトン6P VS ウイリアムズ23P 逆転でコンストラクタータイトルを逃した ハーバート自身は長年のロータスから解放され 次年度のベネトンでの勝利へのきっかけとなる モデルは最終戦のオーストラリアGP仕様 (予選7位→決勝R 13週ギアボックス) ドイツのビールBitburgerのスポンサーと 1994年の特徴のエアボックスの穴が再現 MILD SEVEN 加工をしております #1994 #MILDSEVEN #F1
J.HERBERT 6 1/43 MILD SEVENFW12C
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1994 (26TH)+α SPARK LIGIER RENAULT JS39B J.HERBERT
J・ハーバートのリジェは1戦限り E・ベルナールとトレードの形で R14ヨーロッパGPに急遽実施 初めてのマシンで予選7位→決勝8位 TMのO・パニス 予選11位→決勝9位 次戦はベネトン移籍 ハーバートは1年で3チーム 無限V10→ルノーV10→フォードV8と エンジンも3ブランドと 目がぐるしい1994年だった SPARKはこの1戦限りもモデル化 発売される前はハーバートが リジェ在籍したのも忘れかけていました #F1 #1994
J.HERBERT 25 1/43 GITANESFW12C
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1994 (26TH) SPARK LOTUS 109 J.HERBERT
LOTUSで5シーズン目を迎えた ジョニー・ハーバート エンジンは無限HONDAで挑むシーズン 開幕~4戦目までは 昨年までの改良型107C(ONYX 画像7) R1ブラジル R2パシフィック(TI英田) 共に粘りの走りで決勝7位 R5から待望のニューマシンLOTUS 109も 大きく改善見られず予選は20位前後 R12イタリアでは突如予選4番手 これは一般的に無限エンジンのUP DATE と言われているがジョニーの後日談では 少し扱いやすくなった程度で実際は エンジニアと取り組んだ ダンパーの改善が当たったと語っている 決勝はアーバイン(ジョーダン)に 追突されて早々にリタイア 109でのベストもR7 フランスの7位 ハーバートは資金難の為権利を売りに出され リジェ→最後はベネトンに移籍 1シーズに3チーム所属となった #1994 #F1 #F1-1994年
J.HERBERT 12 1/43 LOTUSFW12C
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1993 9TH ONYX CASTROL LOTUS 107B J.HERBERT
J.ハーバートのロータスのベストシーズン ハッキネンが抜けてロータスのエース TMはA.ザナルディ/P.ラミー 昨シーズン途中よりCastrolのメインスポンサー (当時で約12億)を獲得も資金難は続き 昨年の改良型107Bのマシーンで参戦 速さは潜むも信頼性は増し4位を3回獲得 R2ブラジルGPではシューマッハ(ベネトン) に最終盤に抜かれるまで3位を走行 1度は抜き返す意地も見せる 記するべきはR12ベルギーGP ザナルディがフリー走行で大クラッシュ マシンに起因かわからない中攻めて 予選10位→決勝5位を獲得 こちらの5位入賞が結果として チームロータスの永き歴史の中の 最後のポイントともなった #1993
J.HERBERT 12 1/43 LOTUSFW12C
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1990 (35TH) SPARK LOTUS 102 J.HERBERT
ジョニー・ハーバート 終盤2戦ロータスにて参戦 1990年J.ハーバートは 全日本F3000に参戦 M.ドネリーのケガにより R15日本GP R16オーストラリアGPの 2戦にスポット参戦 日本GP予選14位 オーストラリアGP予選18位 いずれもTMのD.ワーウィックに負け 決勝もリタイアに両GPともリタイアに終わる ハーバートは全日本F3000に参戦しながら 翌1991年も後半戦をロータスで出場 1994年途中までロータスに所属 終焉を迎えるロータスの最後を支えます LOTUS102のCAMELイエローでの ハーバートの参戦の印象は薄いです モデルは日本GP仕様 PHENIXがスポットスポンサー この年でLOTUSのCAMELのスポンサーが終了 #F1-1990年
J.HERBERT 12 1/43 LOTUSFW12C
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1992 15TH SPARK LOTUS 102D J.HERBERT
#1992
J.HERBERT 12 1/43 LOTUSFW12C