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1994 18TH+α SPARK LOTUS 109 E.BERNARD
エリック・ベルナール最後のマシン 資金難のロータスはエースドライバ―の J・ハーバートをブリアトーレに金銭譲渡 それに伴いR14ヨーロッパGPで J・ハーバートとトレードの形で ベルナールはリジェ→ロータスへ移籍 モデルのヨーロッパGPは予選22位→決勝18位 ベルナールのロータスは1戦限りで 終盤2戦はM・サロがドライブ ベルナールは翌1995年 ラルースでエントリー予定も チームがこちらも資金難で消滅 フランスの若手有望ABCDの内 B ベルナール C コマス D ダルマス の3人は奇しくも1994年でF1を去ります #F1
E.BERNARD 11 1/43 LOTUSFW12C
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1994 18TH ONYX LIGIER RENAULT JS39B E.BERNARD
1994年エリック・ベルナールは 1991年ラルース時代の日本GPで 金曜日に足を骨折して以来のF1復帰 予選・決勝ともTMで新人の オリビエ・パニスに敗れる事が多く R9ドイツGPではベルナール生涯唯一の 3位表彰台獲得もパニスは2位 入賞はこの1回のみで 年間順位は18位4ポイント R14ヨーロッパGPには ジョニー・ハーバートと入替で ロータスに移籍する #1994
E.BERNARD 25 1/43 LIGIERFW12C
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1991 21ST ONYX LARROUSSE FORD 091 E.BERNARD
#1991 #F1-1991年
E.BERNARD 29 1/43 LARROUSSEFW12C
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1990 13TH PMA LARROUSSE LAMBORGHINI LOLA LC90 E.BERNARD
エリック・ベルナール シート獲得 自身初入賞 LARROUSSE LOLA LC90 前年度ラルースでスポット参戦で F1デビューを果たしたベルナールは 1990年同チームのレギュラーシートを獲得 チームメイトは鈴木亜久里 この年ラルースは前年度の成績により 予備予選からの出場 ベルナールは前半8戦すべて予備予選突破 8戦中5戦がトップ通過 R4モナコGP決勝6位自身初入賞 ベルナールのキャリア入賞は5回 R8イギリスGPでも4位に入り チームは後半戦予備予選免除 後半戦はR10ハンガリーで6位も 終盤は5戦連続のリタイア R15鈴鹿で鈴木亜久里の3位表彰台で 亜久里にポイントでも逆転されて 年間では5ポイントランキング13位 しかしチームは同じフランスのリジェからの 指摘でローラの車体であるにもかかわらず ラルースで登録していたことが問題とされ チームポイントを剥奪され資金難に陥った ドライバーポイントは有効とされた モデルはミニチャンプス GP表記の無いRACE CAR仕様 車体にはGEO(ESPO) TOSHIBA TDKなどの ジャパンマネーのスポンサーが多数あり 画像1枚目はどなたかが作成したオリジナル台紙
E.BERNARD 1990 1.404 29FW12C
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1989 (31ST) SPARK LARROUSSE LOLA LC89 E.BERNARD
エリック・ベルナール F1デビュー 地元 フランス初完走 LOLA LC89 エリック・ベルナール フランス出身 当時のフランス若手ABCDの一人 A アレジ B ベルナール C コマス D ダルマス 1989年国際F3000 3位(1勝) (チャンピオン アレジ 2位コマス) 1989 R7フランスGP ラルースが不振のY・ダルマスの代わりに ベルナールを起用しF1 デビュー 予選15位→決勝11位完走 翌R8ドイツGP 予選13位→決勝 リタイア ラルースはティレルを解雇され タバコスポンサー関連の問題がクリアに なったミケーレ・アルボレートを起用 この年ベルナールは国際F3000に専念 翌1990年はラルースの レギュラーシート獲得 鈴木亜久里のチームメイトとなる
E.BERNARD 29 1/43 CAMELFW12C