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1999 12TH HOT WHEELS JORDAN MUGEN HONDA199 D.HILL
初の親子WC デーモン・ヒル引退 JORDAN MUGEN HONDA199 1999年ジョーダン2年目のデイモン・ヒル チームメイトはH・H・フレンツェン 予選・決勝ともフレンツェンに押されて 前半6戦での入賞はR4サンマリノの4位のみ R7フランスGP早々にシーズン限りの引退発表 その後R8地元イギリスで5位 R11ハンガリー/R12ベルギーの6位 年間では4度の入賞 7ポイント12位 最終R16日本GP鈴鹿でこの年のジョーダンの テストドライバーであった中野信二が 代役での出場も噂されたがヒルは 最終戦まで出場し最後はリタイヤに終わった 1996年に初の親子2代でのチャンピオンと なったデーモン・ヒルであったが その後アロウズ1年・ジョーダン2年の わずか3年で静かにサーキットを去った モデルはHOT WHEELS 1999年・翌2000年のジョーダンは HOT WHEELSでの販売となったが 後のジョーダンSETとして ミニチャンプスからも(画像5) ドライバ―フィギュアレスで発売された 🏁デーモン・ヒル (イギリス) 【決勝出走数】 114回 (入賞56回-表彰台42回) 【予選最高位】 PP(20回) 【決勝最高位】 優勝(22回) 【ファステストLAP】 (19回) 【WORLD CHAMPION】1996年
230904 D.HILL 1999 7FW12C
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1998 6TH PMA JORDAN MUGEN HONDA 198 D.HILL〖🏆1〗
無限HONDA搭載 デイモン最後の勝利は ジョーダン初優勝 MUGEN HONDA 198 1998年ジョーダンは無限HONDAエンジン獲得 ドライバ―もデーモン・ヒルを迎えて 盤石な体制と思われたが チームメイト ラルフ・シューマッハと共に 前半戦を終えてまさかのノーポイント しかし後半覚醒しデーモン・ヒルは R10ドイツGP R11ハンガリーGPで連続4位 そしてR12ベルギーGPでは シーズンベストとなる予選3位から 優勝を2位ラルフと1・2フィニッシュで決めた ジョーダンは1991年参戦以来137戦目で 嬉しい初優勝 ヒルは最後の22勝目 最終戦の鈴鹿最終コーナーでヒルは H・Hフレンツェン(ウイリアムズ)を抜き4位入賞 コンストラクタ―でもランク4位となった 画像1 イギリス限定発売 ハイボックス ドイツGP仕様 限定4.999個 画像2 通常版 2台のモデルに違いを見つける事ができない‥
230508 D.HILL 4.999 9FW12C
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1998 6TH PMA JORDAN MUGEN HONDA 198 "TOWER WING″ D.HILL〖🏆1〗
1998年のグッドイヤー勢のジョーダンは レギュレーション変更のグルーブドタイヤや ナローボディ化など対応に遅れ前半苦戦 タワーウイングを導入したものの 効果のほどは分からずに低迷した メインスポンサーである ベンソン&ヘッジスはイギリスのタバコブランド 古くからしたイギリス王室御用達に認めら パッケージに王室の紋章が印刷されていた 日本では1982年に廃番となり 通常では入手が困難なタバコ また1997年に開幕戦で撤退した ローラのメインスポンサーであった マスターカードは1998年は ジョーダンチームをサポート モデルのタワーウイング仕様は 下位のティレル・プロスト・ザウバーが 限定数2.222に対してジョーダンは3.333 フェラーリはアーバイン車が3.333 ミハエルはその3倍の限定数9.999個
230508 D.HILL "TOWER WING″ 3.333FW12C
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1997 12TH PMA ARROWS YAMAHA A18 D.HILL
ワールド・チャンピオン D・ヒル アロウズ移籍 優勝目前… YAMAHA A18 1997年前年度チャンピオンのD・ヒルは トム・ウォーキンショー率いるアロウズへ移籍 エンジンはヤマハ タイヤはブリヂストン ヒル自身とアロウズにとっても初のCAR No.1 前半はヤマハエンジンの信頼不足やトラブル多発で リタイヤが続く厳しい戦いの中フェラーリから ジョン・バーナードが移籍してから改善 R9地元イギリスGPで6位初入賞 R11ハンガリーGPはシーズンベストの予選3位 決勝では途中2位に30秒以上離す独走状態 アロウズ・ヤマハ・ブリヂストンの 初優勝目前だったがトラブブルが発生 ファイナルラップに昨年チームメイトの J・ビルヌーブに抜かれて惜しくも2位 前年度チャンピオンの意地の2位表彰台は 現在でもアロウズとヤマハエンジンの最高成績 #F1-1997年
221103 D.HILL 1 1/43FW12C
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1996 TEST ONYX BRIGESTONE TEST CAR (JS41) D.HILL
ワールドチャンピオン獲得翌日 D・ヒル ブリヂストンタイヤテスト 1996年鈴鹿でチャンピオンを決めた デーモン・ヒルはその翌日に同コースで 翌1997年~の参戦開始する ブリヂストンタイヤテスト ヒルはブリヂストンユーザーとなる TWRのアロウズへの移籍が決まっていた 元々の車体は1995年シーズンに リジェ無限HONDAが使用したJS41 これを赤・白ベースのカラーに変更 このマシンでのテストは鈴木亜久里や ヨス・フェルスタッペンも実施している https://muuseo.com/FW12C/items/780?theme_id=34911
221007 D.HILL TEST CAR 1/43FW12C
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1996 WORLD CHAMPION PMA WILLIAMS RENAULT FW18 D.HILL〖🏆8〗
F1史上初の親子2代 ワールドチャンピオン デイモン・ヒル WILLIAMS RENAULT FW18 1996年はTM J・ヴィルヌーブとの チャンピオン争いは最終R16鈴鹿決戦 PPはヴィルヌーブ フロントロウはヒル ヒルは16戦全てでフロントロウ獲得 37周目にヴィルヌーブがリタイアで ヒルのチャンピオンが決定 ヒルは最後までトップ譲らず鈴鹿を制した 父グラハムは1962・1968年チャンピオン 史上初の親子2代 ワールドチャンピオン誕生 この鈴鹿の約20日前ヒルは翌1997年を TWRアロウズとの契約が発表された これによりウイリアムズは 1987年 N・ピケ →ロータス 1992年 N・マンセル →インディーCART 1993年 A・プロスト →引退 1996年 D・ヒル →アロウズ 4人連続でワールドチャンピオンが 翌年自チームにいない異例の状況 ヒルを慕う数人のスタッフと何よりも デザイナーのエイドリアン・ニューウェイ までもがこの件でチームを離脱してしまう モデルはU.K 限定別注販売の ドイツGP優勝仕様でヒルが トロフィーを掲げる珍しいデザイン #F1-1996年 #ワールドチャンピオン #F1 #史上初の親子2代ワールドチャンピオン
D.HILL 5回 4.999 5FW12C
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1995 2ND PMA WILLIAMS RENAULT FW17 D.HILL〖🏆4〗
デーモン・ヒル ウイリアムズ3年目 チームは4年ぶりの無冠シーズン 1995年のベストマシンとも呼ばれる WILLIAMS RENAULT FW17 予選では17戦中 TMのD・クルザードと 合わせて12回のPPを獲得したが 決勝ではヒル4勝・クルザード1勝に終わる ギヤボックス関連の信頼性の不足もあったが ヒル自身も焦りのドライビングミスで R8イギリス・R12イタリアはいずれも M・シューマッハ(ベネトン)に速さがありながら 後方より追突リタイヤに終わった シューマッハと33Pの大差をつけられ 2年連続 年間順位2位でシーズン終了 1995年モデルはミニチャンプスとONYXの 激しいF1モデルの主導権争い ONYXは通常版(画像5)GP仕様(画像6) TESTカー(画像7)FW16などが発売 台紙にウイリアムズの オフィシャルのロゴが入つている GP仕様はONYXの地元ポルトガルGP仕様 ヒルのサインプリントが施され ONYX自身がスポットでスポンサーになり サイドポンツーン上部にONYXの デカールが添付されている #1995 #F1
D.HILL 4回 5 1/43FW12C
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1994 2ND ONYX WILLIAMS RENAULT FW16 D.HILL〖🏆6〗
1994年ウイリアムズはロスマンズタバコの スポンサーを獲得してカラーも一新したが 1985年以来続いた日本のcanonの ロゴが無くなってしまったのは残念なところ D.ヒルは昨年チャンピオンA.プロスト不在で 2年連続のカーナンバー【0】をつける 開幕戦ではルノーのロゴを 【0】に見立てて仕様(画像4) セナ亡き後はヒル中心にチームは立て直し 年間6勝 FL6回 コンストラクターは死守 父のグラハムも出来なかった 地元R8イギリスGPで優勝も成し遂げた ブーメランウイングと名図けられた(画像6) リアロワウイングこの年のトレンドになった 画像1RENAULT仕様のロゴ入り台座ケース 画像2はFW15CのTEST仕様ロスマンズカラー ウイリアムズ史上初のコンストラクター 3連覇を成し遂げたFW16のマシンは 名車であるのは間違いないがどうしても マイナスのイメージが勝ってしまう しかしチームは悲劇から立ち直り マンセル含めた年間7勝を上げ戦い抜いた スピリッツはすばらしものがあります #1994
D.HILL 0 1/43 WILLIAMSFW12C
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1993 3RD PMA WILLIAMS RENAULT FW15C D.HILL〖🏆3〗
2021年ハンガリーGPはE・オコンが初優勝 1993年ハンガリーGPはD・ヒル が初優勝 前年度ブラバムで参戦もチームは途中で撤退 ウイリアムズのテストドライバーだったヒルが レギュラードライバ―に昇格 TMはプロスト 前半戦はプロストに遅れをとったが プロスト地元R8フランスで初PP R11ハンガリーからは3連勝 FLも4回獲得 最終戦でセナに逆転され年間順位は3位 昨年WCのマンセルが不在もあり ヒルのカーナンバーは0(ゼロ) 0をつけたドライバ―は1973年の J・シェクター(2戦のみ)と2人のみ 0(ゼロ)で思い出すのはF1と離れますが プロ野球で初めて背番号0をつけたのは 1983年広島カープ長嶋清幸(きよゆき)選手 ゴールデングラブ賞4回 1984年日本シリーズMVP 小柄ながら(170CM)チャンスに強く 100本塁打1000本安打を記録しています (写真はカルビープロ野球チップカード) 広島カープは長嶋選手日本シリーズMVPの 1984年以来36年間 日本一から遠ざかっています😢 #ハンガリーGP初優勝 #1993
D.HILL 0 1/43 WILLIAMSFW12C
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1992 (30TH) PMA BRABHAM JUDD BT60 D.HILL
デーモン・ヒル デビューマシン #F1-1992年
D.HILL 8 1/43 BRABHAMFW12C