-
1996 (23RD) ONYX FORITI FORD FG03 A.MONTERMINI
アンドレア・モンテルミニ F1 3年目 フォルティで参戦も途中撤退 前年度パシフィックからモンテルミニは 自身が1992年に国際F3000でも所属していた フォルティに移籍 TMはL・バドエル 1996年は予選107%ルールが導入され PPのタイムから107%を超える予選タイムの 場合は予選落ちとなりモンテルミニは 開幕戦を含め5度の予選落ち ONYXは2種類のカラーリングがリリースされ R4ヨーロッパGP仕様 前年度に続くイエロー フォルティFG01/96 R7スペインGP仕様 グリーンと白がベース フォルティFG03/96 両マシンとも名称の表記が無い これはアイルランドのシャノンレーシングと 契約によりカラーが変更されたが シャノンとの協力体制が上手くいかず スポンサーマネーが支払われることがなかった 結局チームはR11ドイツGPには現れたものの このGPからFIAへ撤退の申し入れをした モンテルミニは次年度1997年はローラの テストドライバーを務める予定も チームが開幕戦で早々と撤退しF1から引退 所属チームがシムテック→パシフィック →フォルティ→マスターカードローラと ことごとく撤退する不運なドライバ―であった #F1-1996年
A.MONTERMINI 23 1/43 FORTIFW12C
-
1995 (25TH) ONYX PACIFIC FORD PR02 A.MONTERMINI
アンドレア・モンテルミニ イタリア出身 GPデビューマシン 1994年R・ラッツェンバーガー亡き後 シムテックから参戦するも R5スペインGPのフリー走行で 大クラッシュして骨折 予選を走行することなく欠場 1995年はパシフィックより レギュラーシートを獲得 開幕戦を予選22位→9位完走 R9ドイツは予選23位→8位完走 決勝8位はモンテルミニと チーム・パシフィックにとっても 生涯のベストリザルト パシフィックは1994年で撤退した ロータスの名称権を買収 ロータスのグリーンのラインと ロゴがマシンに小さく貼られていて 日本の企業の仲介もあり おーいお茶のITOENが スポンサーについていたが この年限りでF1から撤退した #1995
A.MONTERMINI 17 1/43 PACIFICFW12C