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1975 (31ST) SPARK WILLIAMS FW03 A.MERZARIO
イソ-マールボロから改名 ウイリアムズ・FW メルッザリオ WILLIAMS FW03 1975年前年までイソ-マールボロとして 参戦したマシンをウイリアムズ・FWに改名 厳密には現在のウイリアムズチームとは 異なるものの初めてウイリアムズの 名を付けたマシンであった FWはフランク・ウイリアムズの略 ドライバ―は前年同様の アルトゥーロ・メルツァリオ チームメイトはジャック・ラフィー FW03は既に時代遅れのマシンと なりつつあり資金難で開発も進まなかった メルツァリオは予選最高は11位 決勝は全てリタイア R5モナコGPでは前GPのスペインで 観客を巻き込む大事故があった為 決勝は18位までと急遽決定され ウイリアムズは2台とも予選落ち メルッザリオはR6ベルギーGPをもって ウイリアムズを離れ終盤のR13イタリアGPは フィッテパルディのコパシュカーで 1戦のみスポット参戦で決勝11位完走 #1975年
230727 A.MERZARIO 1975 20FW12C
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1978 (34TH) SPARK MERZARIO A1 A.MERZARIO
アルトゥーロ・メルヅァリオ 自チーム設立 MERZARIO A1 1972・1973年のフェラーリドライバー A・メルヅァリオは1977年に自チーム設立 1978年はマーチのマシンを改造して MERZARIO A1としてコンストラクターで参戦 これは1977年でマーチがコンストラクター として一度終了した事が影響している 元々のマシンがマーチ761Bの型落ちで苦戦 16戦中予選落ち6回 予備予選落ち2回 8回出場の決勝も完走は1度もなかった (リタイア7回 周回不足1回) メルヅァリオを長年サポートしている Marlboroのイタリア支社がスポンサーとして ついておりR14イタリアGPではチーム2台目 アルベルト・コロンボを出場させたが こちらも予備予選落ちで終わっている モデルはそのイタリアGP仕様 予選22位→決勝リタイア
221227 A.MERZARIO 37 1/43FW12C
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1973 12TH IXO FERRARI 312B3-73 A.MERZARIO
フェラーリ6年ぶりのイタリア人ドライバ― アルトゥーロ・メルヅァリオ 312B3-73 A・メルヅァリオはMarlboroの支援を受けて 1972年にフェラーリからスポット参戦 1973年はレギュラードライバ―に昇格 フェラーリのイタリア人ドライバ―は 1967年途中で事故死したL・バンディーニ以来 フェラーリ初のイギリス製 フルモノコックシャーシである312B3-73は TMのJ・イクス共々苦戦して R11・R12を開発の為に欠場という事態に陥った メルヅァリオは前年度モデルの 312B2でのR2ブラジル・R3南アフリカで 4位を2回入賞したのみ 6Pで 年間12位 イクスのフェラーリ離脱後は一人で出走するも 僅か1年でフェラーリを解雇された しかしその後もフェラーリとの関係は続き メルヅァリオのヘルメットには フェラーリの跳馬が貼られていた #F1-1973年 #F1 https://muuseo.com/FW12C/items/910
A.MERZARIO フェラーリF1コレクション 1973 4FW12C
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1976 (26TH) SPARK MARCH 761 A.MERZARIO
アルトゥーロ・メルヅァリオ OVOROカラー MARCH 761 イタリア出身A・メルヅァリオ 1972年フェラーリよりデビュー 1976年はプライベーターとして MARCH 761を購入してR3より参戦 ヘルメットにはフェラーリの跳馬 MARCH 761では7戦出走し予選落ち2回 予選最高 R9イギリス9位 決勝最高 R8フランス9位 印象深いスポンサーのOVOROは イタリアのリキュールメーカー R10よりメルヅァリオは ウイリアムズに移籍の為 OVOROは数戦のみの限定カラー ウイリアムズでは7戦出走も全てリタイア ◆R16日本(富士SW)予選19位→決勝リタイア◆ ウイリアムズ所属時のR10ドイツGPでは 炎上するN・ラウダ(フェラーリ)の救出を助けた 4人のドライバ―のひとりでもある レースに対する情熱は凄まじいものがあり 翌1977年からは自分のチーム メルヅァリオを立ち上げ3年間F1参戦 #1976 #F-1976年 #F1
A.MERZARIO 1976 35 1/43FW12C