-
1996 (17TH) PMA TYRRELL YAMAHA 024 U.KATAYAMA
1996年唯一の日本人ドライバ― 片山右京 ティレル最後の4年目 1996年は1974年から続いた カーナンバーチーム固定が無くなり 成績順のカーナンバーに変更になった 前年度チャンピオン所属チームがNo.1・2 以降はコンストラクター順に割振り これに伴いティレルは1974年以来の使用の カーナンバー3・4から18・19に変更となった 鈴木亜久里の結果的引退と 井上隆智穂の開幕直前の離脱により 日本人唯一のドライバ―となった右京 新車発表会でTYRRELL 024モノコックに 右京が沈み込んでしまうほど着座位置が悪く ステアリング操作に支障が出るという 最悪なスタートから苦戦が続き 途中失格挟み7戦連続リタイアと精彩を欠いた R12ハンガリーの予選14位→決勝7位が最高位 最終戦R16鈴鹿もリタイアでシーズン終了 モデルはMINICHAMPSとONYXの2社から発売 1996年モデルで上記の2社発売はティレルのみ 4年間ともに過ごしたYAMAHAと袂を分かち合い 翌1997年はYAMAHAはアロウズ 右京はミナルディに移籍する #F1-1996年 #Tyrrell #1996年
U.KATAYAMA 18 1/43 TYRRELLFW12C
-
1996 13TH PMA TYRRELL YAMAHA 024 M.SALO
ミカ・サロ ティレル2年目 ティレル ヤマハエンジン最後のマシン メインスポンサーであった フィンランドの通信会社ノキアの スポンサーを失い 資金難のティレル TYRRELL 024は2年ぶりのハイノーズ採用 サロは前半6戦で3度の入賞と好調なスタートも 以降はマシンの開発不足と 軽量コンパクト新型ヤマハエンジンの 信頼性欠如にも悩まされ入賞は無し R11ドイツGPでは高速サーキットの ドラッグを減らすために 細いフロントタイヤをリヤにも取り付けた 全輪フロントタイヤという奇襲作戦に出たが グットイヤーのクレームが入り 結果 フリー走行後に禁止となった 1996年 入賞5位2回 6位1回 5ポイントは 1995年とまったく同じ成績 年間順位は13位(1995年は15位) 翌1997年もサロはティレルに残留 1990年以来となるフォードエンジンを採用 この年でマイルドセブン・大韓航空などの 大手スポンサーもほとんどが終了となった #F1-1996年 #F1
M.SALO 19 1/43 TYRRELLFW12C