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1984 (32ND) PMA TYRRELL FORD 012 S.BELLOF(GP MONACO)
ステファン・ベロフ モナコGP 幻の3位表彰台 TYRRELL FORD 012 1984年 R6 モナコGP 予選は20位までが決勝進出 この年ルーキーのドイツ人ドライバー S・ベロフはギリギリの20位で通過 チームメイトのM・ブランドルは予選落ち 決勝は豪雨の中のレースで 予選最後尾から追い上げ3位まで浮上 レースは豪雨で31周で打ち切られ そのまま3位表彰台を獲得 このレースは2位A・セナ(トールマン)が レースが仮に継続していたらトップの A・プロスト(マクラーレン)をとらえていた とも言われるレースだが3位のベロフも ペースを考えると優勝争いのチャンスが あったとも言われている しかしこの後チームは 不正なエンジン出力の増大行為 所謂水タンク事件で成績が全て失格となり ベロフの3位リザルトも幻となってしまった このモデルはモナコGP仕様 ミニチャンプスの通常版とは異なり タイヤは レインタイヤ スポンサーもイタリアのDeLonghiと このGPのベロフ車のみに フランスの化粧品メーカーDISCOSTARの ロゴがフロントウイングに貼られている
230404 S.BELLOF 2,304 4FW12C
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1984 (32ND) PMA TYRRELL FORD 012 S.BELLOF
ステファン・ベロフ(ドイツ)は1984年デビュー M.ブランドルとともに新人らしからぬ活躍 R3ベルギーで6位 R4サンマリノ5位 連続入賞 そして R6モナコは雨で途中で打ち切りも 3位表彰台獲得(1位プロスト 2位セナ) しかしながら所謂 水タンク問題で 1984年の成績はすべて失格となります 翌年はティレル残留も 世界耐久選手権で残念ながら他界 ドイツ国旗をモチーフのヘルメットと車体の カラーリングがとても良いです こちらのモデルはMuuseoではおなじみの 【アダムスキー(当時はサイケデリア)】で購入 2008年8月14日 2800円 #アダムスキー(サイケデリア) #F1-1984年
S.BELLOF 3.024 4 1/43FW12C
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1983 17TH PMA TYRRELL FORD 012 D.SULLIVAN
インディチャンピオン ダニー・サリバン F1唯一の参戦 1983年 TYRRELL FORD 012 ダニー・サリバンはアメリカ出身 ティレルのスポンサーである ベネトンのアメリカ事業拡大の意向で 同国出身のドライバ―のサリバンを起用した チームメイトはM・アルボレート R5モナコGP 予選20位→決勝5位入賞 この年のティレルの初入賞は サリバンのF1での唯一のポイント この年限りでF1からは引退 1983年に行われた最後のF1ノンタイトル戦 ブランズハッチでは2位表彰台獲得している 1985年はインディー500 途中スピンをしながらも優勝 スピン&ウインというフレーズで 一躍時の人となった 1988年はインディー年間チャンピオン
D.SULLIVAN 1.800 4 1/43FW12C
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1983 12TH PMA TYRRELL FORD 012 M.ALBORETO 〖🏆1〗
#F1-1983年
M.ALBORETO 3 1/43 TYRRELLFW12C
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1984 (31ST) PMA TYRRELL FORD 012 M.BRUNDLE
1984年 ブランドの初参戦はティレル。 チームメイトはこちらも新人のS.ベロフ。 さらにセナ(トールマン)ベルガー(ATS)も同期デビュー 開幕戦ブラジルGPでいきなりの(予選18位→)決勝5位入賞。 ベロフも2回入賞後のモナコで3位。 そしてこのモデルのR8 USA EAST GP. マンセルの強引な飛び込みでいきなりの赤旗など波乱の幕開け。 最終周はトップのピケが数周前に同一周回に戻った プロストの後方を走行 そこにブランドルが猛追 余裕はあったが 最終的には0.8秒差の2位 完走6台のサバイバルレース。 レース後の車検で水タンクから微量の炭化水素が検出され これがシーズン終盤に違反との判定 シーズンのすべての記録がはく奪されました。 2枚目はベロフ 3枚目はヨハンソン 3台ともカラーリングが違うのでとても惹かれるモデル。 中でもワインレッドのブランドル車が個人的TOPです。
M.BRUNDLE 3 1/43 TYRRELLFW12C
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1984 17TH PMA TYRRELL FORD 012 S.JOHANSSON
#F1-1984年
S.JOHANSSON 1.008 3 1/43FW12C