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1980 12TH SPARK TYRRELL 010 D.DALY
ディレク・デイリー TYRRELL 010 キャリアベストの4位2回入賞 1979年デイリーは終盤 エンサインを離脱後ティレルの サードカーとして3戦出場 1980年はレギュラーシートを獲得する チームメイトはジャン・ピエール・ジャリエ デイリーは開幕戦アルゼンチンGP 旧型マシンのティレル090で 予選22位ながら決勝は4位入賞 R3南アフリカGPで ニューマシン010が投入され R8イギリスGPで再び4位を獲得 4位はデイリーのキャリアベスト 年間で6ポイント獲得したが 5名のドライバ―が同ポイントで並び 順位差などで以下のリザルトとなった 10位 K・ロズベルグ(フィッテパルディ) 11位 J・ワトソン(マクラーレン) 12位 D・デイリー(ティレル) 13位 J・P・ジャリエ(ティレル) 14位 G・ビルヌーブ(フェラーリ) デイリーはティレルを1年で離れ 翌1981年はマーチ・グランプリに移籍 #1980年
230728 D.DALY 1980 4FW12C
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1980 13TH SPARK TYRRELL 010 J.P.JARIER
ティレル本格参戦10年目 初の表彰台無し TYRRELL 010 1980年ティレルは ジャン・ピエール・ジャリエが残留 チームメイトにディレク・デイリーを迎える R3よりニューマシンティレル010を投入 フロントウイングの無い保守的にまとめた グランド・エフェクトカーで 予選・決勝とも中段~下位に沈んだ 予選シングルグリットは9位が僅か2回 決勝も5位に3回入賞するのがやっとで D・デイリーと合わせても入賞5回で チーム本格参戦1971年から10年目で 初の表彰台無し ティレルの低迷期となった イタリアの家電メーカーCandyが メインスポンサーでティレルブルーに マシンの上側部分は赤く染められた ジャリエはこの年でティレルを離れ 翌1981年はレギュラーシートが無く リジェとオッゼラでスポット参戦した
230703 J.P.JARIER 3 1/43FW12C
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1981 (27TH) SPARK TYRRELL 010 M.ALBORETO
ミケーレ・アルボレート デビューマシン TYRRELL 010 M・アルボレート イタリア ミラノ出身 ヘルメットは青地に太い黄色の一本輪 これは少年時代より尊敬していた ロニー・ピターソンをモチーフにしている 1981年R4サンマリノGP ティレルよりデビュー シーズンベストタイの予選17位→決勝はR モデルはサンマリノGP レインタイヤ仕様 前年度からの継続マシンTYRRELL 010では R10オーストリアまでドライビング 8戦中2度の予選落ち 決勝最高は12位 この後1994年のミナルディまで 14年間ギューラ―ドライバ―として (1989年は途中移籍あり)F1に参戦した #F1-1981年 #1981年
M.ALBORETO 4 1/43 TYRRELLFW12C
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1981 (30TH) SPARK TYRRELL 010 R.ZUNINO
リカルド・ズニーノ F1最後のマシン 1981年2戦限りのTYRRELL 010 R・ズニーノは1979年 N・ラウダが1度目の引退のカナダGP フリー走行後にブラバムで初エントリー 1981年はK・コーガンに代わり R2ブラジルとR3アルゼンチンに出場 TMはエディー・チーバー 両GPとも予選24位→決勝13位 モデル仕様の地元アルゼンチンGPが ズニーノのF1での最後のGPとなり この後ティレルはM・アルボレートを起用 このモデルはF1では珍しいズニーノの 持ち込みのCoca-Colaがスポンサー 資金の関係からかCoca-Colaのロゴは コックピット左側のみで右側は無い という珍しいスポンサーロゴ仕様 R・ズニーノはF1での出走は10回で 最高位は7位が2回 入賞はならなかった #F1-1981年 #Coca-Cola
220629 R.ZUNINO 4 1/43FW12C
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1981 12TH SPARK TYRRELL 010 E.CHEEVER
1981年 E.チーバーはティレルに移籍 TMはK.コ―ガン1戦 R.ズニーノ2.3戦 4戦以降はM.アルボレート 開幕戦の地元アメリカGPで 予選8位→決勝5位の初入賞 モデルのR6モナコ予選15位→5位 R10までに5回入賞したが ニューマシンの011になってからは 信頼不足で失速 年間順位は12位 10ポイント チームメイトは年間ノーポイント チーバーはティレルも1年のみで 1982年はリジェに移籍 #1981 #F1-1981年
E.CHEEVER 3 1/43 TYRRELLFW12C