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1998 12TH PMA STEWART FORD SF-2 R.BARRICHELLO
スチュワート グランプリ2年目 ルーベンス・バリチェロ STEWART SF-2 1998年レギュレーション変更で タイヤの円周方向に4本(前輪用は3本)の平行な 溝を持つグルーブドタイヤが初めて導入された ブリヂストンタイヤはこの変更にうまく対応し グッドイヤー勢に対しアドバンテージを得た スチュワートはこの利点を生かし ルーベンス・バリチェロが R5スペインGPとR7カナダGPで5位入賞 カナダはJ・マグヌッセン6位とダブル入賞 以降はチームメイトがヤン・マグヌッセンから ヨス・フェルスタッペンに変更されたが グッドイヤー勢の巻き返しもあり ノーポイントに終わった バリチェロはの予選はシングルグリットが2回 16戦中10戦が7列目スタート(13位・14位)を占めて フォードのワークスエンジンで あったがコンストラクター8位 予選の結果がほぼ年間の結果に近く スチュワート2年目も不本意なシーズンとなった バリチェロは翌1999年もスチュワートに残留 スチュワート最後の年にJ・ハーバートともに チーム唯一の1・2フィニッシュを決める #F1-1998年
230504 R.BARRICHELLO 18 1/43FW12C
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1998 (25TH) PMA STEWART FORD SF-2 J.VERSTAPPEN
1998シーズン唯一のドライバ―入替 ヨス・フェルスタッペン STEWART SF-2 1998年シーズンは途中の ドライバ―入替があったのは スチュワートグランプリのみ ヤン・マグヌッセンがR6カナダで 初ポイントを獲得直後に契約解除 ヨス・フェルスタッペンに交代した 直前のテストでフェルスタッペンが 好タイムを出した事とFORDを含めた スポンサーからの意向が強かった為 フェルスタッペンは元々ティレルでの 参戦が有力であったがオーナー変更で リカルド・ロセットにシートを奪われた しかしSTEWART SF-2は戦闘力が無く 予選・決勝とも最高位は12位 完走も9戦中僅か3回でチームメイトの R・バリチェロと共に低迷した ヨス・フェルスタッペンは翌1999年は ポスルズウェイト率いるHONDAの プロジェクトのテストドライバー この入替のあった2人のドライバ―子息 マックス・フェルスタッペンと ケビン・マグヌッセンが2023年シーズに RED BULLとHASS所属で活躍しているとは この当時は全く想像できなかった #F1-1998年
230313 J.VERSTAPPEN 19 1/43FW12C
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1998 17TH PMA STEWART FORD SF-2 J.MAGNUSSEN
ヤン・マグヌッセン STEWART SF-2 F1初ポイント後の無念の解雇 1998年 マグヌッセンはスチュワートに残留 チームメイトも変わらずR・バリチェロ FORDのロゴが大きくなったマシンSF-2 R7カナダGP 予選20位→決勝6位 F1参戦24戦目にして嬉しい初ポイントは デンマーク人ドライバ―の初入賞 しかしJ・スチュワートに目を掛けられ 前年異例の4年契約を結んでだ マグヌッセンであったが成績不振により スポンサーからの圧力もあり 初入賞後にチームを解雇され ヨス・フェルスタッペンにシートを奪われ これ以降はF1での参戦は無かった ここから16年後の2014年 ヤンの長男ケビン・マグヌッセンは ヤンがデビューしたマクラーレンより参戦 親子2代で同じチームからのデビュー ヤンがデビューした1994年パシフィックGP 時点で息子ケンビは3歳であった 🏁ヤン・マグヌッセン (デンマーク) 【決勝出走数】24回 (入賞1回) 【予選最高位】 6位 1997年 スチュワート R14 オーストリア 【決勝最高位】 6位 1996年 スチュワート R7 カナダ #F1-1998年
230212 J.MAGUSSEN 1/43 STEWARTFW12C