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1993 (26TH) PMA JORDAN 193 HART T.BOUTSEN
1993年T.ブーツェンはリジェ残留できず ザウバーのファクトリーに訪れたが 契約に至らず シートを失います I.カペリ離脱のジョーダンから BARCLAYの後押しもあり参戦 予選ではR.バリチェロに全敗 決勝もR11ハンガリーの9位が最高位 1983年R6の地元ベルギーでデビュー 1993年R12参戦10周年のそのベルギーで 突如引退を発表しました JORDAN 193のブーツェンも量産化モデルは 発売されていない為 ジョーダンSETを カーナーンバー・BARCLAY加工と ドライバ―のフィギュアを乗せています 引退後 BOUTSEN JETを設立 モナコに移住し飛行機の販売事業に従事 2019年鈴鹿サーキットのイベントで ポルシェ962Cに搭乗 1分59秒010の 当時(1988年1分57秒709)さながらの タイムを出し会場を沸かせました #振り向けばブーツェン
T.BOUTSEN 15 1/43 BARCLAYFW12C
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1993 18TH PMA JORDAN 193 HART R.BARRICHELLO
F1決勝出走回数322回 R.バリチェロのデビューマシン 弱冠20歳 3年目のジョーダン エンジンはヤマハ→ハートに変更 当初のTMのI.カペリは早々の離脱 チームメイトが5人も変わるチームで バリチェロ中心に開発を進めるが なかなか結果に結びつかず R15鈴鹿でようやく5位入賞 日本GPより参戦のアーバインの加入が チームとバリチェロに良い刺激を与えた JORDAN HERT 193はアーバイン車はあるものの 何故かバリチェロ車は量産化されていない モデルはジョーダンセットとして カーナンバー・ドライバ―レスでの販売のもの タバコ広告禁止の国ではBARCLAYエンブレム またはドライバ―名に変更され この手法は後のマクラーレン等でも使用された
R.BARRICHELLO 14 1/43 JORDANFW12C