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1980 18TH SPARK ALFA ROMEO 179 B.GIACOMELLI
ブルーノ・ジャコメリ 初入賞& 唯一のPP獲得 ALFA ROMEO 179 1980年第2期アルファロメオの 本格フル参戦1年目 ドライバーは 開発から携わったB・ジャコメリ チームメイトはパトリック・デュパイエ (後にV・ブランビラ/ A・チェザリス) 開幕戦アルゼンチンGP 予選20位から混戦生き残り5位入賞 2期アルファロメオとジャコメリの初入賞 ジャコメリの生涯F1入賞は6回 主にアルファロメオV12エンジンの 信頼性の不足の起因により決勝は 14戦中 完走僅か3回も5位入賞2回獲得 予選では速さを見せ9回のシングルグリット 最終戦アメリカEAST GPでは 生涯自身唯一となるPPを獲得 PPから31周目までリーダーラップも記録 シーズン途中のテストでチームメイトの パトリック・デュパイエが事故で他界した中 チームに希望と勇気を与える PPと31周のトップ走行であった https://muuseo.com/FW12C/items/1579?theme_id=34513
230624 B.GIACOMELLI 1980 23FW12C
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1980 (32ND) YAXON ALFA ROMEO 179 P.DEPAILLER
パトリック・ドゥパイエ テスト中に散る ALFA ROMEO 179 前年の1979年シーズン途中に ハンググライダーの事故で両足を骨折 リジェを離れ1980年はアルファロメオに移籍 チームメイトはブルーノ・ジャコメリ 序盤2戦の予選で23位・21位と苦戦 その後ドゥパイエの提案もあり 軽量化を含む大幅な改良を実施 R3南アフリカ 予選7位 R4アメリカW 予選3位と大きく進歩を見せたが 決勝は信頼不足もあり全てリタイア 後半戦に向けたドイツでのテスト中 コースアウトでクラッシュ 残念ながら帰らぬ人となった この年同郷フランスのアラン・プロストが F1デビューを果しドゥパイエは パドックなどで面倒をみていた そのアラン・プロストの結婚式当日に ドゥパイエ は帰らぬ人となる 悲しみの事故でもあった モデルはF1モデルで唯一の所持のYAXON F1通算2勝のドゥパイエ 富士スピードウェイで行われた 1976年・1977年の日本グランプリでは いずれも表彰台に上がっている 🏁パトリック・ドゥパイエ(フランス) 【決勝出走回】 95回 入賞36回-表彰台19回 【予選最高位】 PP 1974年 ティレル R7スウェーデン 【決勝最高位】 優勝(2回) 1978年 ティレル R5モナコ 1979年 リジェ R5スペイン 【ファステスト】 4回
230426 P.DEPAILLER 22 1/43FW12C
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1979 (30TH) SPARK ALFA ROMEO 179 V.BRAMBILLA
頭部骨折の重傷から1年ぶりの復帰の ヴィットリオ・ブランビラ 1979年アルファロメオで出場 (チーム名はアウトデルタ) R13イタリアは暫定モデルの177 予選22位→決勝12位 R14カナダでニューマシン179で参戦 179はモノコックの後端の上部が 斜めに削られ形状でそこに エンジンのオイルタンクを装備する ユニークな設計が特徴で 1982年の開幕戦まで改良版が使用された ブランビラはモデルのR14カナダGPは 1台のみのエントリーで予選18位→決勝R 最終戦のR15アメリカ東は予選落ちしている
V.BRAMBILLA 36 1/43 ALFA ROMEOFW12C
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1980 (30TH) SPARK ALFA ROMEO 179 A.DE.CESARIS
アンドレア・デ・チェザリス アルファロメオよりデビュー A・チェザリス イタリア出身 1979年 イギリスF3 2位(6勝) 1980年 ヨーロッパF2 5位(1勝) 父親がMarlboroのフィリップモリス社の 重役という事もあり1980年終盤2戦を アルファロメオからスポット参戦 チームメイトはB.ジャコメリ モデルはR13カナダGP仕様 予選8位→決勝はリタイア チェザリスはF1通算206戦中 歴代1位となる135回のリタイア 信頼性に欠けるアルファロメオは 予選では速さ見せるも 決勝では結果に繋がらず B・ジャコメリが3回完走したのみで セカンドドライバーの P・デュパイエ V・ブランビア A・チェザリスは 全てリタイア チームわずか完走率11.5% チェザリスは1981年はMarlboroの 後押しでマクラーレンに移籍
A.DE.CESARIS 1980 22 1/43FW12C