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2000 3RD PMA McLAREN MERCEDES MP4‐15 D.COULTHARD
飛行機事故から奇跡の生還 デビッド・クルーザード MP4-15 2000年マクラーレン5年目のクルザード チームメイトも5年連続M・ハッキネン R4地元イギリスGPシーズン初優勝を飾る イギリスGPは2年連続での勝利 そのGP後当時の恋人と搭乗した プライベートジェット機が墜落事故 パイロットと副操縦士が残念ながら死亡 しかしクルザードと恋人は奇跡的に生還 事故直後のR5スペインGPでは肋骨にヒビが 入りながらも2位表彰台を獲得 R7モナコ R9フランスでも勝利 R12ハンガリーGP時点では2点差で チャンピオン争いにも絡んだ 終盤は失速して年間ランキングは3位 シーズン3勝はキャリアベストとなった モデルはミニチャンプス チームのロゴが入ったオリジナル台紙 マクラーレンEDITIONのNo.30 タバコWEST禁止GPでのDavidのロゴ仕様 台紙のMP4/15→MP4-15の表記間違い
240310 D.COULTHARD 2000 3回FW12C
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1950【WORLD CHAMPION】BRUMM ALFA ROMEO 158 G.FARINA〖🏆3〗
🔲🔲🔲1950🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 ALFA ROMEO 158 🟥🟥 G.FARINA🟥🟥 🔲🔲🔲全7戦🔲🔲🔲 【出走】6回【PP】2回 【優勝】3回【FL】3回 F1初代ワールドチャンピオン ジュゼッペ・ファリーナ イタリア出身 記念すべき開幕イギリスGP シルバーストーン サーキット ファリーナは予選PPから優勝 ファステストラップも記録し 所謂F1ハットトリックを初戦で達成 キャリア1度きりのハットトリック その後2勝しアルファの3Fとよばれた ファンジオ ファジオーリを破り 見事 初代ワールドチャンピオン獲得 モデルはBRUMM アルファロメオ158のマシンに ファリーナの写真が貼られた特別モデル
240304 G.FARINA 1950 3回FW12C
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1977 【WORLD CHAMPION】HOT WHEELS FERRARI 312 T2 N.LAUDA 〖🏆3〗
🔲🔲🔲1977🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 FERRARI 312 T2 🟥🟥 N.LAUDA 🟥🟥 🔲🔲🔲全17戦🔲🔲🔲 【出走】14回【PP】2回 【優勝】 3回【FL】3回 ニキ・ラウダ 2度目のワールドチャンピオン 前年1976年の事故から完全復帰 R3南アフリカで復帰後 初優勝 その後年間3勝 2位6回の安定で R15アメリカEASTで2戦残して 2度目のワールドチャンピオン獲得 しかしこの年加入した カルロス・ロイテマンを優先傾向の チームに嫌気がさし2戦残し フェラーリを去り 翌1978年は ブラバム・アルファロメオに移籍 フェラーリはラウダのシートに ジル・ビルヌーブを起用 モデルはHOT WHEELS フェラーリの過去のモデルを ラインナップしたELITEシリーズ R13オランダGP仕様 予選4位→FLで優勝 シーズン3勝目はラウダの フェラーリでの最後の勝利となった
231215 N.LAUDA 3回 11FW12C
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1974【WORLD CHAMPION】 McLAREN FORD M23 E.FITTIPALDI〖🏆3〗
🔲🔲🔲1974🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 McLAREN FORD M23 🟥⬜E.FITTIPALDI⬜🟥 🔲🔲🔲全15戦🔲🔲🔲 【出走】15回【PP】2回 【優勝】 3回【FL】0回 エマーソン 2度目のチャンピオン
231120 E.FITTIPALDI 5 1/43FW12C
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1977 2ND PMA WOLF FORD WR3 J.SCHECKER
ウルフ初戦勝利の快挙 ジョディー・シェクター WOLF WR3 それまでフランク・ウイリアムズの スポンサーであったカナダの 石油王のウォルター ウルフが 半ば強引にチームを買取 ウォルター ウルフ レーシングを立ち上げた ウルフWR1は所謂キットカー ポスルズウェイトが設計をまとめ上げ 当初から起用予定のドライバ― ジョディー・シェクターの体格に合わせて コックピットが造られている 迎えた開幕戦アルゼンチンGPで 予選10位から上位陣の脱落にも助けられて 残り6周でトップに立ちまさかの優勝 F1創成期の1950年代を除いた場合 参戦チーム初戦での勝利は 1977年のウルフと2009年のブラウンGPのみ その後2勝でシーズン3勝含む9度の表彰台で 年間ドライバ―ランキングは2位 シェクター1台エントリーながら コンストラクタ―4位と堂々たる成績だった モデルはミニチャンプス 最終戦日本GP仕様 台紙はWR1であるが正しくはWR3(形は一緒) 予選6位→決勝トラブルで10位 シーズン唯一のノーポイントの完走 他の完走は全て表彰台獲得 なんといってもインダクションポッド横の 田宮模型の二つの星が輝いています
230915 J.SCHECKTER 1977 2回FW12C
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1973 2ND SPARK LOTUS 72E E.FITTIPALDI〖🏆3〗
エマーソン・フィティバルディ 連覇ならず LOTUS 72E 1973年エマーソン ロータス4年目 ワールドチャンピオン連覇がかかった チームメイトはロニー・ピーターソン 前半6戦で3勝 2位1回 3位2回と好調 しかし安全性向上のためルールが改善され 新ルールが施行にあわせたLOTUS 72Eが エマーソンに合わずその後4戦ノーポイント 予選でもピーターソンがPP9回に対し エマーソンは僅か1回に終わる R13イタリアGPではエマーソンに チャンピオンの可能性があったものの 先行するピーターソンにチームオーダーを 出さずピーターソンが優勝 チームに不信感を抱いたエマーソンは 翌1974年にマクラーレンに移籍 チームは2人のドライバ―で7勝 2年連続コンストラクターは死守した モデルはSPARK PLANEX COLLECTION別注 この年唯一のPPのR12オーストリアGP仕様 決勝はトラブルで11位完走 John Player Specialが添付済み このGPの優勝はピータソン
230903 E.FITTIPALDI PLANEX COLLECTION 1973FW12C
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1968【WORLD CHAMPION】QUARTZO LOTUS 49B G.HILL 〖🏆3〗
🔲🔲🔲1968🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 LOTUS 49B 🟧🟧🟧G.HILL🟧🟧🟧 🔲🔲🔲全12戦🔲🔲🔲 【出走】12回【PP】3回 【優勝】 3回【FL】0回 グラハム・ヒル 2度目のチャンピオン R3モナコGPから投入されたLOTUS 49B ギアボックはヒューランド製5速が導入 フロントノーズ左右にウィングを装着 エンジンカウルにリアスポイラーを取付 ダウンフォース発生を意識した形状 またこのGPよりタバコのGOLD LEAFが スポンサーとなり以前のナショナルカラーの ブリティシュグリーンから 赤・白・金のカラーリングとなり スポンサーカラーとなる先駆けになった1台 モデルはそのQUARTZO モナコGP仕様 予選PPスタートから序盤は マトラのJ・セルボ・ギャバンに先行許すも 4周目からトップを奪いそのまま優勝 シーズン2勝目を上げた その後最終R12も優勝 シーズン3勝 ジム・クラーク亡き後のロータスで 自身2度目のワールドチャンピオンに輝いた また史上初のファステスト・ラップが 1度も無かったワールドチャンピオン (その後は複数回有)
230825 G.HILL 1968 9FW12C
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1951 【WORLD CHAMPION】 PMA ALFA ROMEO ALFETTA 159 J.M.FANGIO 〖🏆3〗
🔲🔲🔲1951🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 ALFA ROMEO ALFETTA 159 🟥🟥J.M.FANGIO🟥🟥 🔲🔲🔲全8戦🔲🔲🔲 【出走】7回【PP】4回 【優勝】3回【FL】5回 ファンジオ1度目のワールドチャンピオン アルファロメオ(現時点)最後のチャンピオン 開幕戦スイスGP仕様 予選PP→決勝WIN #1951年
230801 J.M.FANGIO 1951 5回FW12C
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2022 2ND BBURAGO FERRARI F1-75 C.LECLERC 〖🏆3〗
2022年開幕戦覇者 シャルル・ルクレール FERRARI F1-75 オフシーズンの好調を持続し 開幕戦バーレーンGPでPP獲得 M・フェルスタッペン(RED BULL)との対決制し 自身3勝目は自身初のハットトリック達成 (F1ハットトリック PP➡FL➡優勝) R3オーストラリアGPは 何度もSC VSCが導入される展開も圧勝 F1史上26人目のグランドスラムを達成 (PP➡FL➡全ラップリーダー➡優勝) 予選では9度のPPを獲得 終盤自身自己最高の5戦連続表彰台獲得も チャンピオン争いはM・フェルスタッペンに 独走を許したが最終的には年間2位 フェラーリ ドライバーの年間2位は 2018年S・ベッテル以来4年ぶり #2022年
230305 C.LECLERC 2022 3回FW12C
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1981 【WORLD CHAMPION】 PMA BRABHAM FORD BT49C N.PIQUET 〖🏆3〗
ネルソン・ピケ1度目の WORLD CHAMPION #F1-1981年
221029 N.PIQUET 1回 5FW12C
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1981 5TH+α IXO RENAULT RE30 A.PROST 〖🏆3〗
アラン・プロスト 初優勝 地元フランスGP RENAULT RE30 1981年ルノーは完全新設計の ニューマシンRE30をR6モナコで導入 R8フランスGPでプロストは予選3位 大雨で2ヒートになったレースを制し 自身の初優勝と初FLも記録 プロストの通算勝利は51勝 FLは41回 プロストは自身初を含む予選PPを2度獲得 R12オランダ R13イタリアと連勝で年間3勝 年間で優勝3回 2位2回 3位1回も その他は全てリタイアと信頼性に苦しんだ チームは1発の速さはありR8フランスから 6戦連続PP獲得 コンストラクター3位と躍進 https://muuseo.com/FW12C/items/1056?theme_id=38179
221015 A.PROST 1回 15FW12C
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1974 6TH IXO BRABHAM BT44 C.REUTEMANN〖🏆3〗
1974年 R5ベルギーGP 1戦限りのHITACHIのスポンサー仕様 カルロス・ロイテマンは ブラバムで3シーズン目の 1974年R3南アフリカGPで初優勝 迎えたR5ベルギーGPは一転苦戦 ゴードン・マレー デザインのBT44が ニヴェルサーキットに合わず予選24位 決勝も62周目(全85)燃料系トラブルでリタイア このGPは1戦限りで日本のHITACHがサポート HITACHIのロゴと赤い特徴的なマーク CAR RADIO CASSTTE PLAYER と 書かれたマシンで出場した ブラバムはこのGPに5名エントリー レギュラードライバーの C・ロイテマン J・ワトソンに加えて R・フォン オペル オペル一族 F1で唯一のリヒテンシュタイン出身 G・ラルース (フランス) 1987年~のラルースチーム創設者 T・ピレット (ベルギー) F1で2組目の親子ドライバ― バラエティーなドライバ― ラインナップであった カルロス・ロイテマン 追悼モノ日記↓ https://muuseo.com/FW12C/diaries/3 #F1-1974年 #HITACHI #1974年
C.REUTEMANN F1マシンコレクション 1974 1回FW12C
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1981 5TH SPARK RENAULT RE20B A.PROST〖🏆3〗
アラン・プロスト RENAULT 1年目 自身初の表彰台獲得 RENAULT RE20B 1981年プロストはマクラーレンから 地元フランスルノーに移籍 TMはルネ・アルヌー 開幕~R5までは前年度改良のRE20Bで参戦 R3アルゼンチンGPで予選2位→決勝3位 プロスト自身初の表彰台獲得 プロストの生涯表彰台獲得回数は106回 2022年現在も歴代4位の記録 前年度3勝をあげたRE20の改良版の RE20Bであったが プロストの 他4戦はすべてリタイア この後R6~ニューマシンRE30を導入 プロストは初の優勝 PP FLを獲得します #F1-1981年 #プロスト
A.PROST 1回 15 1/43FW12C
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1996 3RD PMA FERRARI F310 M.SCHUMACHER〖🏆3〗
ミハエル フェラーリ初年度 PP4回 優勝3回 FERRARI F310 1994・1995年ベネトンで連覇を果たした ミハエル・シューマッハはフェラーリに移籍 ジョン・バーナード作のF310は仕上がりが 遅れて完成度も高くはなかった 初勝利はR7スペインGP他車を圧倒する 雨の中での快走で移籍後初勝利 R8カナダGPからは吊り下げ型のハイノーズ車 F310/2を導入(モデル画像5~8枚目) グスタフ・ブルナーが修正 R13 ベルギー R14イタリアで連勝 地元イタリアでのフェラーリの勝利は 1988年のベルガー以来の8年ぶり PP4回 3勝で年間順位は3位 1対2トレード古巣ベネトンには勝ったものの ウイリアムズには大きく引き離された フェラーリのガソリンは 1973年以来アジップであったが 1996年からはシェルに変更された #F1-1996年 #FERRARI #1996年
M.SCHUMACHER 2回 1 1/43FW12C
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1993 3RD PMA WILLIAMS RENAULT FW15C D.HILL〖🏆3〗
2021年ハンガリーGPはE・オコンが初優勝 1993年ハンガリーGPはD・ヒル が初優勝 前年度ブラバムで参戦もチームは途中で撤退 ウイリアムズのテストドライバーだったヒルが レギュラードライバ―に昇格 TMはプロスト 前半戦はプロストに遅れをとったが プロスト地元R8フランスで初PP R11ハンガリーからは3連勝 FLも4回獲得 最終戦でセナに逆転され年間順位は3位 昨年WCのマンセルが不在もあり ヒルのカーナンバーは0(ゼロ) 0をつけたドライバ―は1973年の J・シェクター(2戦のみ)と2人のみ 0(ゼロ)で思い出すのはF1と離れますが プロ野球で初めて背番号0をつけたのは 1983年広島カープ長嶋清幸(きよゆき)選手 ゴールデングラブ賞4回 1984年日本シリーズMVP 小柄ながら(170CM)チャンスに強く 100本塁打1000本安打を記録しています (写真はカルビープロ野球チップカード) 広島カープは長嶋選手日本シリーズMVPの 1984年以来36年間 日本一から遠ざかっています😢 #ハンガリーGP初優勝 #1993
D.HILL 0 1/43 WILLIAMSFW12C