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1980 20TH PMA LOTUS FORD 81 M.ANDRETTI
マリオ・アンドレッティ最後のロータス 僅か1ポイント LOTUS FORD 81 マリオ・アンドレッティロータス5年目 チームメイトはシャドーより移籍の エリオ・デ・アンジェリス ロータスはメインスポンサーが 石油関連会社のエセックスになり ダークブルーとレッドのカラーに変更 エセックス社はオーナーのデビット・ティームが 詐欺容疑で翌1981年で逮捕されて会社も崩壊 スポンサーも1981年途中で撤退する 詐欺で無くなった会社のロゴが1980年の モデルカーや写真・映像中で存在し続ける という何とも複雑な感じがします マリオは開幕からアンジェリスに負け その後も予選・決勝とも苦戦 ロータス81が明らかな失敗作 最終R14アメリカWで何とか6位入賞も ポイントはこの1Pのみで終了 2年前のワールドチャンピオンは 5年間過ごしたロータスを去り 翌1981年はアルファロメオに移籍
230720 M.ANDRETTI 11 1/43FW12C
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1978 20TH SPARK ENSING N177 D.DALY
デレック・デイリー デビュー 最終戦6位入賞 ENSING N177 D・デイリー アイルランド出身 同国出身ドライバ―は現在までに4人のみ 1977年イギリスF3 チャンピオン 1978年R4よりヘスケスより参戦も 決勝進出ならず チームも途中撤退 R9フランスGPよりエンサインに移籍 R10イギリスGPで初の決勝進出 最終戦R16カナダGPで予選15位 決勝は地元G・ビルヌーブの初優勝の中 6位初入賞 デイリーの生涯入賞は8回 エンサインはこの年9名のドライバ―を 起用も入賞はデイリーのみであった 黒いボディにスイスの時計ブランド TISSOTの黄色いロゴが目立つ 個人的に好きなカラーリング #F1-1978年
221228 D.DALY 1978 22FW12C
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1983 20TH CP THEODORE N183 J.CECOTTO
ジョニー・チェコット 唯一の入賞 セオドール最後のマシン N183 J・チェコットはベネズエラ出身 現在までにベネズエラ出身ドライバーは パストゥール・マルドナードと2人のみ チェコットは元々は2輪のチャンピオン 1975年当時最年少シリーズチャンピオン 1980年までに世界GPで14度の優勝 1980年以降は4輪に転向 1982年ヨーロッパF2で2位 1983年セオドールよりF1デビュー TMはロベルト・グェレロ(コロンビア) R2アメリカWEST ロングビーチGP 予選17位→混戦生き残り決勝6位 チェコットのF1での唯一の入賞 このGPの優勝はチェコットの5番下 予選22位のJ・ワトソン(マクラーレン) シャドウ エンサインを買収して 参戦を続けたセオドールも 1983年をもってF1から撤退 チェコットは翌1984年は トールマンに移籍 A・セナのチームメイトになります マニアックなモデルを発売の CP MODEL 出来栄えは…ですが 当時の雰囲気は感じることができます
J.CECOTTO 34 1/43 THEODOREFW12C
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1973 20TH Iso-Marlboro IR G.VAN LENNEP
ウイリアムズF1の前身Iso-Marlboro ギズ・ファン・レネップ F1初ポイント ウィリアムズF1の前身である フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズは イタリアのスポーツカーメーカーのイソと フィリップ・モリス社がスポンサーとなり 1973年Iso-Marlboro IRのマシンを投入 ギズ・ファン・レネップは 地元R10オランダGPでスポット参戦 予選20位ながら→決勝6位入賞 Iso-Marlboroチームと自身の初ポイント レネップはその後2レースに出場 R12オーストリア予選23位→決勝9位 R14イタリア 予選23位→決勝R レネップは生涯4年間のスポット参戦で 決勝進出した8レース中 リタイアは 上記の1973年R14イタリアGPのみで 他の7レースは全て完走 生涯2度の6位入賞を果たしている #F1-1973年 #Marlboro #Iso-Marlboro
G.VAN LENNEP 1973 26 1/43FW12C
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1979 20TH+α PMA ARROWS A2 R.PATRESE
1979年後半戦登場 ARROWS A2 R・パトレーゼは苦戦の後半ノーポイント 前輪ロッキングアームまでカウルで覆い 車体全体を一枚の翼に見立てた形状で 高いダウンフォースを得ようという コンセプトのARROWS A2は スポンサーのヴァルシュタイナーの ゴールドを纏い黄金の弾丸とも呼ばれた R8フランスGPから導入されたが R・パトレーゼはシャーシの剛性に欠け 安定性の悪いA2で苦戦をして 後半戦はノーポイントに終わる A2での成績の最高位は 予選R11オーストラリアGP13位 決勝R13イタリアGP13位 R14カナダGPでは旧型のA1に戻して出場 こちらのモデルは今は無きあるショップで 購入しましたがよく見ると初期不良で A2の特徴でもある角のように突き出した サイドミラーがついていません・・・ #F1-1979年 #ヴァルシュタイナー J・マス車はサイドミラーついています↓ https://muuseo.com/FW12C/items/695?theme_id=34203
R.PATRESE 29 1/43 ARROWSFW12C
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1976 20TH SPARK HESKETH 308D R.STOMMELEN
ロルフ・シュトルメン ドイツ出身 オランダGP ヘスケスより参戦 1976年チームヘスケスは オーナーのヘスケス卿の資金が尽き ドライバ―のJ・ハントとデザイナーの ポスルスウェイトが移籍 マシンは前年度後半戦の308Cから 308Dとマイナーチェンジしたのみ スポンサー無しのマシンが一転して 男性向けの月刊誌ペントハウスと フランスのタバコ巻紙のリズラが付き マシンにアダルトモデルが大きく描かれた シュトルメンはヘスケスのマシンで R12オランダGPのみスポット参戦 予選25位→決勝12位完走 ブラバムでも2戦のみ参戦 R10ドイツGPでは決勝6位入賞 1ポイント獲得して年間順位20位 ◆R16日本(富士SW)は未出走◆ マイナーマシン得意のRACELAND GOLD EDITION別注シリーズの1台 #1976 #F1-1976年
R.STOMMELEN 1976 300 25FW12C
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1975 20TH SPARK ENSIGN N175 G.VAN LENNEP
ジィズ・ヴァン・レネップ オランダ出身 最後のF1マシン 1971・1973・1974年とスポットでF1参戦 1975年もエンサインから3戦のみの出走 モデルのR9フランス予選22位→決勝15位 R11ドイツでは予選24位→決勝6位入賞 1973年より参戦のエンサインの初の入賞 レネップは2度目の入賞で最後のGPでもあった このレネップの入賞以降次の オランダン人ドライバ―のポイント獲得は 1994年のJ・フェルスタッペンまで20年かかった レネップは2度のル・マン24時間を優勝 1971年 マルティーニ・ポルシェ・917K TM=ヘルムート・マルコ(現レッドブル顧問) 1976年 ポルシェ・936ターボ TM=ジャッキー・イクス ジィズ・ヴァン・レネップ(オランダ) 決勝出走回数9回 入賞回数2回 予選最高位 20位 1973年 ウイリアムズ R10オランダ 決勝最高位 6位(2回) 1973年 ウイリアムズ R10オランダ 1975年 エンサイン R11ドイツ #F1最後のマシン #1975 #F1 #ヘルムート・マルコ
G.VAN LENNEP 1975 31 1/43FW12C
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1979 20TH IXO ARROWS A1 R.PATRESE
1979年で最も美しいともいわれた カラーリングの1台 アロウズA1 スポンサーのドイツのビールメーカー ヴァルシュタイナーの意向による ゴールド・ブラック・レッドの3色カラー アロウズは前年のA1の改良型での前半戦 独創的なコンセプトのA2までのつなぎ役 ダブルウイングが付いた サイドポンツーンが特徴のアロウズA1 リカルド・パトレーゼはアロウズ2年目 前年度は2位表彰台を含む4度の入賞も 1979年はR6ベルギーの予選16位→決勝5位が この年唯一の入賞 年間順位は20位 TMのヨッヘン・マスも A1の車体では6位入賞1回のみ パトレーゼは開幕戦のアルゼンチンGPを 予選13位で通過したが決勝は欠場 生涯予選落ちの無かったパトレーゼにとって 決勝未出走は257戦中唯一の出来事 #1979 #F1-1979年 #ヴァルシュタイナー
R.PATRESE F1マシンコレクション 30 48FW12C
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1994 20TH ONYX JORDAN 194 HART A.DE.CESARIS
1994年 チェザリスは本格参戦後 初めてレギュラーシートを失います しかしE.アーバインの出場停止を受けて ジョーダンよりサンマリノ・モナコに出場 ジョーダンは1991年以来の復帰 R4モナコGPでは予選14位→決勝4位と 慣れないマシンながら 得意の公道コースで結果出した そのモナコGPではレース前 グリット フロントロウで セナとラッツェンバーガーの冥福を ドライバ―全員で冥福を祈った(画像3) 1994年の年間順位はチェザリスを 19位と20位と表記する場合があります 決勝成績が 4位1回 6位1回 他Rが ベンドリンガーと一緒な為19位タイ 予選の最高位はベンドリンガーが上回り こちらも加味するとチェザリスは20位 分かりやすくするため チェザリスは20THと表記しています #F1-1994年 #F1
A.DE.CESARIS 15 1/43 JORDANFW12C
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1993 20TH ONYX CASTROL LOTUS 107B A.ZANARDI
アレッサンドロ・ザナルディは 1991年ジョーダン 1992年ミナルディ でスポット参戦 1993年はようやくロータスで レギュラーシートを獲得 R2ブラジルGPは途中ウェットに なるコンディションの中 決勝6位 結果これが生涯唯一となる入賞 ザナルディは R4サンマリノ 炎を上げて走行(5) R5スペインで 白煙上げて走行(6) が話題となりました R12ベルギーのフリー走行中 オー・ルージュで大クラッシュ(7)で 戦線離脱となってしまった ロータスは87年から開発の (フル)アクティブサスペンションを ようやく実践投入 (1992年はセミアクティブ) しかし 次年度からは禁止となり このことは悪夢の1994年の 遠因となったかもしれません #1993
A.ZANARDI 11 1/43 LOTUSFW12C
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1994 20TH+α PMA SAUBER MERCEDES C13 A.DE.CESARIS
1980年から参戦のチェザリスの最後は 通算10チーム目のザウバー K.ベンドリンガーの代役 ザウバーでの初戦R6カナダGPは チェザリスのF1通算200戦目 当時はR・パトレーゼに続き2人目 チームの粋な計らいで これまで出場したサーキット名が 描かれた200戦の特別カラーリングで出場 PMA(画像1)ONYX(画像2)両社で発売 PMAはドイツGP仕様も発売(画像3~6) 翌R7フランスでは決勝6位 自身最後 通算22回目の入賞 R12イタリアで予選8位の活躍もあったが R8~R14から決勝 7戦連続のリタイアで終了 チェザリスらしい締めくくりでもあった #1994 #F1
A.DE.CESARIS 29 1/43 SAUBERFW12C
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1991 20TH SPARK LEYTON HOUSE CG911 I.CAPELLI
#1991 #F1-1991年
I.CAPELLI 16 1/43 LEYTON HOUSEFW12C
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1985 20TH PMA ARROWS BMW A8 G.BERGER
ゲルハルト ベルガー 初のフル参戦 ARROWS A8 前年度ATSからデビューした ベルガーがアロウズでフル参戦 BMWからの大きな後押しがあった 開幕から4戦連続リタイアなど チームメイトのブーツェンに 予選決勝とも大きく負け越したが 終盤2戦で5位・6位と2回入賞を果たす 画像1BMW別注のデトロイトGP仕様 予選24位→決勝11位完走 タバコ純正BARCLAY 画像2 通常モデルをBARCLAY加工 サイドポンツーンのスポンサーが 画像1 USF&G(アメリカ保険会社) 画像2 DeLonghi(イタリア電気機器製造) 個人的にはDeLonghiのロゴが好きで オイルヒーターや電気ケトルを愛用しています
G.BERGER 17 1/43 MINICHAMPSFW12C