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2019 2ND SPARK MERCEDES-AMG F1 W10 EQ POWER+ V.BOTTAS〖🏆4〗
2019年 日本GP 鈴鹿ウイナー バルテリ・ボッタス MERCEDES W10 2019年 ボッタスはメルセデス3年目 チームメイトは変わらずL・ハミルトン 開幕戦オーストラリアGP 予選2位→決勝2年ぶり勝利 R4戦目までに2勝 2位2回 FL1回で チャンピオン争いでFL分の1Pリード しかしR5スペインGPから ハミルトン3連勝で波に乗り 前半戦までに勝負があり それでもボッタスは R17日本GP/R19アメリカGPで優勝 年間4勝はキャリアベストでランク2位 コンストラクター6連覇に大きく貢献した モデルはスパーク 開幕戦オーストラリア仕様 予選2位→決勝 FLで優勝 かつての中嶋悟のスポンサー 〖EPSON〗のロゴがリアウィング 翼端板に 1990年代ロータスのスポンサーであった 〖トミー・フィルフィガー〗のロゴが フロントノーズ先端に貼られている #2019年
240406 V.BOTTAS 3回 77FW12C
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1971 2ND QUARTZO MARCH 711 R.PETERSON
ロニー・ピーターソン 初入賞 独創的フロントウイング MARCH 711 前年度プライベータでF1デビューした ロニー・ピーターソン(スウェーデン)は 1971年はマーチのワークスでエントリー マーチはエンジンをコスワースDFVと アルファロメオをドライバーで使い分け ピーターソンは主にコスワースDFV車 ティートレイと呼ばれた フロントウイングは楕円形の独特のもので フロントノーズ先端から支柱を伸ばした形 ピーターソンはR3モナコで2位初入賞 その後優勝はなかったものの 2位4回 3位1回の表彰台4回で33P 参戦2年目ながら年間ランキング2位 マーチ711の車体でピーターソン以外の ワークスドライバーは全てノーポイント ウイリアムズで711を使用した アンリ・ペスカローロが2度入賞をしている モデルはQuartzo R3モナコGP仕様 予選8位→決勝2位 ピーターソンの初入賞&初表彰台 キャリア表彰台は26回 入賞は42回 QFC品番のQuartzoの後期の発売モデル 台座に直接 車体名等がプリントされている https://muuseo.com/FW12C/items/1901?theme_id=34513
240306 R.PETERSON 1971 17FW12C
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1999 2ND HOT WHEELS FERRARI F399 E.IRVINE
エディ・アーバイン 初優勝 最終チャンピオン争いFERRARI F399 1999年フェラーリ3年目アーバイン 開幕戦オーストラリアGP 予選6位からスタートで3位に上がると 上位のマクラーレンの2人が脱落 そのままトップに立ち初優勝 自身本格参戦6年 82戦目での栄冠 この時の表彰台は 2位H・H・フレンツェン(ジョーダン) 3位R・シューマッハ(ウイリアムズ)の ファーミュラニッポン(全日本F3000)出身 優勝のインタビューでアーバインが 日本では星野というクソ速いドライバ―がいて なかなか勝たせてもらえなかった旨を発言し 隣の2人のドライバ―も頷いていた ミハエル離脱後はフェラーリのエース 年間4勝をあげるも最終戦で ミカ・ハッキネン(マクラーレン)に逆転され 惜しくもタイトル逃し年間2位 エディー・アーバインは ミハエル・シューマッハに勝つためには 違うチームでなければならないという 想いが強くなり翌2000年新規ジャガーに移籍 モデルはホットウィール 1999年からフェラーリと独占契約 この年限りの台座で紅白の縁石と 跳馬フェラーリのロゴがデザイン
231209 E.IRVINE 1回 4FW12C
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1977 2ND PMA WOLF FORD WR3 J.SCHECKER
ウルフ初戦勝利の快挙 ジョディー・シェクター WOLF WR3 それまでフランク・ウイリアムズの スポンサーであったカナダの 石油王のウォルター ウルフが 半ば強引にチームを買取 ウォルター ウルフ レーシングを立ち上げた ウルフWR1は所謂キットカー ポスルズウェイトが設計をまとめ上げ 当初から起用予定のドライバ― ジョディー・シェクターの体格に合わせて コックピットが造られている 迎えた開幕戦アルゼンチンGPで 予選10位から上位陣の脱落にも助けられて 残り6周でトップに立ちまさかの優勝 F1創成期の1950年代を除いた場合 参戦チーム初戦での勝利は 1977年のウルフと2009年のブラウンGPのみ その後2勝でシーズン3勝含む9度の表彰台で 年間ドライバ―ランキングは2位 シェクター1台エントリーながら コンストラクタ―4位と堂々たる成績だった モデルはミニチャンプス 最終戦日本GP仕様 台紙はWR1であるが正しくはWR3(形は一緒) 予選6位→決勝トラブルで10位 シーズン唯一のノーポイントの完走 他の完走は全て表彰台獲得 なんといってもインダクションポッド横の 田宮模型の二つの星が輝いています
230915 J.SCHECKTER 1977 2回FW12C
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1973 2ND SPARK LOTUS 72E E.FITTIPALDI〖🏆3〗
エマーソン・フィティバルディ 連覇ならず LOTUS 72E 1973年エマーソン ロータス4年目 ワールドチャンピオン連覇がかかった チームメイトはロニー・ピーターソン 前半6戦で3勝 2位1回 3位2回と好調 しかし安全性向上のためルールが改善され 新ルールが施行にあわせたLOTUS 72Eが エマーソンに合わずその後4戦ノーポイント 予選でもピーターソンがPP9回に対し エマーソンは僅か1回に終わる R13イタリアGPではエマーソンに チャンピオンの可能性があったものの 先行するピーターソンにチームオーダーを 出さずピーターソンが優勝 チームに不信感を抱いたエマーソンは 翌1974年にマクラーレンに移籍 チームは2人のドライバ―で7勝 2年連続コンストラクターは死守した モデルはSPARK PLANEX COLLECTION別注 この年唯一のPPのR12オーストリアGP仕様 決勝はトラブルで11位完走 John Player Specialが添付済み このGPの優勝はピータソン
230903 E.FITTIPALDI PLANEX COLLECTION 1973FW12C
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1998 2ND PMA FERRARI F300 M.SCHUMACHER〖🏆6〗
モンツア 10年ぶりの1・2フィニッシュ ミハエル・シューマッハ FERRARI F300 1998年序盤マクラーレンに圧勝されたが グッドイヤーの巻き返しとF300の熟成が 進みR12までに5勝をあげて猛追 R14イタリアGPモンツァでは 予選PPから順位を落とすも巻き返し M・ハッキネン(マクラーレン)を抜き優勝 2位にチームメイトのE・アーバインが入り フェラーリは地元モンツアで 1988年のマクラーレン全勝を防いだ G・ベルガー/M・アルボレート以来の 10年ぶりの1・2フィニッシュ この時点でハッキネンと80Pで並んだが 終盤2戦で連勝を許しチャンピオンは逃した 1998年を持つてタイヤメーカー アメリカのグッドイヤー社が撤退 結果的にこのイタリアGPは 1965年よりF1でタイヤ供給を始めた グッドイヤーの最後368勝目でもあった
230522 M.SCHUMACHER 6回 3FW12C
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1998 2ND PMA FERRARI F300 "TOWER WING” M.SCHUMACHER〖🏆6〗
シューマッハの"TOWER WING”仕様は 限定数が9.999個 E・アーバインの3倍 現在では限定数は1.000個以下が通常で 当時のシューマッハとF1モデルカーの 人気が伺えるが現在でもMarlboroデカール 仕様の場合は大きな値崩れも無い このFERRARI F300のモデルを持って ミニチャンプスでの現行フェラーリの 量販F1モデルの販売が終了 以降は1999年よりマテル社の HOT WHEELS ブランドでの発売 また2015年からはBBURAGO並びに LOOK SMARTでの販売となっている 所持しているF1モデルカーで唯一 1998年のモデルだけが全チーム 全ドライバ―ともミニチャンプスのみ モデルカーの台紙の大きさが 揃っているので1998年のルームの アイテムのミテクレは一番良い いつかF1のモデル全ブランドの 統一台紙・台座で撮影の野望があるが 当分先になってしまいそうです
230522 M.SCHUMACHER "TOWER WING″ 6回FW12C
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1978 2ND QUARTZO LOTUS 78 R.PETERSON〖🏆2〗
ロータス復帰 ロニー・ピターソン 最後の乗車マシン LOTUS 78 1978年ロニー・ピーターソンは 1976年の開幕戦以来のロータスに復帰 チームメイトはマリオ・アンドレッティ 序盤戦は前年度のモデルLOTUS 78で参戦 モデル仕様のR3南アフリカGP 予選は11位に沈むも 決勝は徐々に順位を上げ ファイナルラップでトップ走行の P・デュパイエ(ティレル)を 激しいサイドバイサイドの競いを制し 最後は0.4秒差での逆転の勝利を飾る LOTUS 78はR6戦まで使用して PP 1回 優勝1回 入賞4回 FL1回 後ニューマシンLOTUS 79が導入された 運命のR14イタリアGP ピータソンは決勝前のウォームラップで LOTUS 79をクラッシュさせてしまい 決勝には旧車のLOTUS 78で出場 スタート直後の事故に巻き込まれて 後日 帰らぬ人となってしまい LOTUS 78が最後の乗車マシンとなった https://muuseo.com/FW12C/items/1334 #F1-1978年
230317 R.PETERSON 1978 3回FW12C
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2022 2ND BBURAGO FERRARI F1-75 C.LECLERC 〖🏆3〗
2022年開幕戦覇者 シャルル・ルクレール FERRARI F1-75 オフシーズンの好調を持続し 開幕戦バーレーンGPでPP獲得 M・フェルスタッペン(RED BULL)との対決制し 自身3勝目は自身初のハットトリック達成 (F1ハットトリック PP➡FL➡優勝) R3オーストラリアGPは 何度もSC VSCが導入される展開も圧勝 F1史上26人目のグランドスラムを達成 (PP➡FL➡全ラップリーダー➡優勝) 予選では9度のPPを獲得 終盤自身自己最高の5戦連続表彰台獲得も チャンピオン争いはM・フェルスタッペンに 独走を許したが最終的には年間2位 フェラーリ ドライバーの年間2位は 2018年S・ベッテル以来4年ぶり #2022年
230305 C.LECLERC 2022 3回FW12C
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1978 2ND PMA LOTUS 79 R.PETERSON〖🏆2〗
SUPER SWEDE 無冠の帝王 ロニー・ピーターソン 散る 1978年ロータスの復帰した ロニー・ピータソン チームメイトはマリオ・アンドレッティ 本格的なグランドエフェクトカーLOTUS79 この年の待遇は表面上は同等であったが 実際はマリオにマシンの優先使用や GYのスペシャルタイヤの提供があった ピーターソンはR3南アフリカと R12オーストリアでこの年2勝 チームオーダーもありマリオは6勝 逆転チャンピオンの可能性が残された R14イタリアGP スタート直後の 多重クラッシュにより両足に重度の骨折 命に別状は無いと思われたが 翌日の足の手術後に急変し帰らぬ人となった 享年34歳 その後年間2位が確定して 獲得51Pとともに生涯ベストリザルトとなった ピータソン亡き後スウェーデンドライバ―の 勝利者は無く 同国でのF1開催も現在まで無い 🏁ロニー・ピーターソン (スウェーデン) 【決勝出走回数】122回(入賞42回-表彰台26回) 【予選最高位】 PP(14回) 【決勝最高位】 優勝(10回) 【ファステストLAP】 ( 9回)
221229 R.PETERSON 1978 6FW12C
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1997 2ND PMA WILLIAMS RENAULT FW19 H.H.FRENTZEN〖🏆1〗
H.H.フレンチェンウイリアムズ移籍 初勝利・初PP WILLIAMS RENAULT FW19 1997年フレンチェンは前年度 ワールドチャンピオン D・ヒルの代わりに ウイリアムズに移籍 TMはJ・ビルヌーブ R4サンマリノGPで予選2位→初優勝 フレンチェンの通算勝利は3勝 R5モナコで予選初ポール・ポジション 終盤戦で5戦連続表彰台もあり コンストラクターチャンピオンに貢献 しかしJ・ビルヌーブの獲得ポイントの 約半分の42PでTM対決では見劣りする結果 年間順位はシューマッハのP剥奪で2位 フレンチェンはONYXと独占契約を結んでおり PMAの台紙はGERMAN DRIVERの表記 ONYXからは数種類バージョンが発売 ①PMA Rothmans仕様 ②PMA 通常版 ③ONYX 通常版 ④ONYX Castorolバージョン ⑤ONYX フランスGP仕様 ⑥ONYX イギリスGP仕様 ⑦ONYX ドイツGP仕様 #F1-1997年
221116 H.H.FRENTZEN 4 1/43FW12C
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1981 2ND PMA WILLIAMS FW07C C.REUTEMANN〖🏆2〗
チーム内分裂 カルロス・ロイテマン 1ポイント差でチャンピオン逃す 1980年2冠達成のウイリアムズ 1981年もA・ジョーンズ C・ロイテマンの布陣 R2ブラジルGP チームオーダーを無視して ロイテマンが優勝 ジョーンズは2位 この出来事でチーム内が分裂してしまう ロイテマンは序盤5戦を 優勝2回 2位2回 3位1回の最高のスタート しかしチーム内分裂のもありその後失速 最終戦R15アメリカGP ロイテマンはPPスタートも決勝8位 5位入賞のN・ピケ(ブラバム)に逆転を許し 最終ピケ 50P ロイテマン 49P 1ポイント差でワールドチャンピオンを逃した ウイリアムズはコンストラクターチャンピオン 獲得したもののA・ジョーンズは引退 C・ロイテマンも引退を表明したが その後撤回 翌1982年はエースで迎えたが… #F1-1981年 #1981年
221001 C.REUTEMANN 2回 1.008FW12C
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1996 2ND PMA WILLIAMS RENAULT FW18 J.VILLENEUVE〖🏆4〗
ジャック・ヴィルヌーブ 鮮烈デビューGP ポールポジション 伝説の父がジルが他界したのが11歳の時 1992年全日本F3参戦 シリーズ2位 1995年CARTチャンピオン・インディ500勝者 鳴り物入りでウイリアムズからデビュー 開幕を迎える前に9000Kmもの走り込み 開幕戦はオーストラリアの新コース アルバートパーク サーキット 1996年から予選は土曜日の1発勝負 この新コースで デビュー戦でPP獲得 1972年のカルロス・ロイテマン(ブラバム) 以来の24年ぶりの快挙達成 この後デビュー戦PPは1人も現れていない 決勝はデビュー戦のグランドスラムと 思われたが残り5周でトラブルで2位 モデル仕様のR4ヨーロッパGPで M・シューマッハ(フェラーリ)を 抑えて自身初優勝を飾る ジャックの通算F1勝利数は11勝 その後7戦連続表彰台など最終戦R16鈴鹿まで TMのデーモン・ヒルとタイトル争い PP2回 4勝 FL6回獲得で年間順位は2位 新し伝説を感じさせるデビューイヤーとなった #F1-1996年 #ヴィルヌーブ #F1デビューマシン #WILLIAMS
J.VILLENEUVE 6回 4.104 6FW12C
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1976 2ND QUARTZO FERRARI 312T N.LAUDA 〖🏆6〗
不死鳥 ニキ・ラウダ 大事故から6週間での復活 1976年 前年度Wチャンピオンのラウダは FERRARI 312Tで好調を維持して R9イギリスまでに5勝 表彰台8回と 選手権を優位に進めていた R11ドイツGPで悲劇に見舞われる レイン→ドライタイヤにスイッチして 順位を挽回中に高速コーナーで コントロールを失いクラッシュして炎上 ラウダのヘルメットは衝撃で脱げてしまう 4人のドライバーとマーシャルの決死の救出で 一命を取り留めたものの数日間生死を彷徨う その後驚異的な回復を見せて わずか6週間後のR13イタリアGPで 顔に火傷治療の跡を残しながら 予選5位→決勝復活の4位入賞を果たす ポイントリーダーで迎えた 最終戦 F1世界選手権イン・ジャパン 豪雨の中で行われた決勝レースを リスクが大きいと判断して2周でリタイア 結果J・ハント(マクラーレン)に逆転され Wチャンピオン連覇を逃してしまう コンストラクターチャンピオンは 死守したもののラウダ不在時に C・ロイテマンを招き入れ 結果盟友のC・レガッツォーニを チームが放出したこともあり フェラーリとの関係が悪化しながら 翌1977年シーズンを迎える事となる #F1-1976年
N.LAUDA 1976 4回 1FW12C
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1995 2ND PMA WILLIAMS RENAULT FW17 D.HILL〖🏆4〗
デーモン・ヒル ウイリアムズ3年目 チームは4年ぶりの無冠シーズン 1995年のベストマシンとも呼ばれる WILLIAMS RENAULT FW17 予選では17戦中 TMのD・クルザードと 合わせて12回のPPを獲得したが 決勝ではヒル4勝・クルザード1勝に終わる ギヤボックス関連の信頼性の不足もあったが ヒル自身も焦りのドライビングミスで R8イギリス・R12イタリアはいずれも M・シューマッハ(ベネトン)に速さがありながら 後方より追突リタイヤに終わった シューマッハと33Pの大差をつけられ 2年連続 年間順位2位でシーズン終了 1995年モデルはミニチャンプスとONYXの 激しいF1モデルの主導権争い ONYXは通常版(画像5)GP仕様(画像6) TESTカー(画像7)FW16などが発売 台紙にウイリアムズの オフィシャルのロゴが入つている GP仕様はONYXの地元ポルトガルGP仕様 ヒルのサインプリントが施され ONYX自身がスポットでスポンサーになり サイドポンツーン上部にONYXの デカールが添付されている #1995 #F1
D.HILL 4回 5 1/43FW12C