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1972 18TH SPARK (FRANK WILLIAMS) MARCH 711 C.PACE
カルロス・パーチェ F1デビュー フランク・ウイリアムズ MARCH 711 ホセ・カルロス・パーチェ ブラジル出身 同郷のエマーソン・フィティバルディの ライバルと目されたドライバー 現在まで続くウイリアムズの前身 フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズで マーチの旧型 MARCH 711で参戦 R2南アフリカGPよりデビュー 2戦目のR3スペインGPで早くも6位入賞 パーチェのキャリア入賞は16回 シーズン2度の入賞でランキングは18位 チームメイトのアンリ・ペスカロロは ニューマシンのMARCH 721で参戦したが こちらはノーポイントに終わった パーチェは翌1973年はサーティスに移籍 モデルはスパーク パーチェのF1デビュー戦となった R2南アフリカGP仕様 予選24位→決勝17位 イタリアの玩具メーカー ポリトイ (Politoys) 現在のポリスティル (Polistil) がスポンサー ティートレイと呼ばれた独特のウイングの 同社ロゴ〖POLITOYS〗がとても目立つ1台 #F1
240325 C.PACE 1972 22FW12C
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2016 18TH PMA RENAULT R.S.16 JOL.PALMER
F1 歴代15組目 親子ドライバー JOL・パーマー RENAULT R.S.16 ジョリオン・パーマー イギリス出身 父は医師免許を持ちフライング・ドクター とも呼ばれ1980年代にザグスピードや ティレルで活躍したジョナサン・パーマー F1歴代15組目の親子ドライバー 2014年GP2チャンピオン(4勝) 同年フォースインディアでテスト参加 2015年ロータス・ルノー テストドライバー 2016年チーム名がロータス→ルノーとなり レギュラードライバーに昇格 チームメイトはこちらも親子ドライバー 歴代13組目のケビン・マグヌッセン 開幕戦でシーズンベストの予選14位 後半戦ケビンに予選で勝ることも多かったが チーム買収の遅れにより マシン開発が進まなかった事もあり 決勝はR16マレーシアGPでの 予選19位→決勝10位入賞は1回のみ 翌2017年はケビンがHAASに移籍 ジョリオンはルノー残留となった モデルはミニチャンプス GP表記のないRACE CAR仕様 当時ルノーと提携があり 日産が1989年から日本国外で展開する ブランド インフィニティ (INFINITI)の ロゴが エンジンカバーに貼られている ⬇️父ジョナサン・パーマー https://muuseo.com/FW12C/items/84 https://muuseo.com/FW12C/items/424 https://muuseo.com/FW12C/items/301
240223 JOL.PALMER 2016 30FW12C
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2022 18TH BBURAGO ALFA ROMEO C42 Z.GUANYU
中国人初のF1ドライバ― ジョウ・グアンユ ALFA ROMEO C42 周冠宇(ジョウ・グアンユ) 中国上海出身 2021年 ヨーロッパF2 3位(4勝) 同年のアジアF3 チャンピオン(4勝) F1ではアルピーヌ(ルノー)の開発ドライバ― 2022年アルファロメロよりF1デビュー チームメイトはヴァルテリ・ボッタス カーナンバー24番は自身がファンである NBA コービー・ブライアントが 付けていた事によるチョイス 開幕戦のバーレーンGP 予選15位から上位脱落もあり10位入賞 デビュー戦での入賞は現在までに 約75名ドライバーで日本人は角田裕毅のみ R9カナダGP シーズンベストの決勝8位 R10イギリスGP 予選唯一のQ3進出の9位 R18鈴鹿ではファステストラップも記録 初年度は3度の入賞6P 年間18位 ボッタスは49P 年間10位 翌2023年もアルファロメオに残留 モデルはBBURAGO 2022年モデルはアルファロメオも BBURAGOからリリースされ 現状ミニチャンプスの現行モデルは 定価約2万円弱と高騰しており 約1/5価格のBBURAGOは コストパフォーマンスが高い
231118 Z.GUANYU 2022 1回FW12C
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1978 18TH SPARK SHADOW DN8 H.J.STUCK
シャドウ移籍のハンス・シュトック チーム主力離脱で苦戦 SHADOW DN8 1978年H・シュトックはN・ラウダ加入に 伴いブラバムを離脱→シャドウに移籍 チームメイトはC・レガッツォーニ チームの主力が抜け新規チームアロウズと 盗作問題騒動の中はシャドウは苦戦 シュトックは予選は20位前後が多く R10イギリスの決勝5位が唯一の入賞 シュトックの生涯F1入賞回数は12回 3位-2 4位-3 5位-5 6位-2 で5位が一番多く 1976年にコジマ(マーチ762)でスポット参戦した 全日本F2000 R5鈴鹿も5位であった スポンサーのvilligerは1888年創業の スイスの有名葉巻メーカー 通常タバコブランドは規制の影響で デカールが別添付で自己で貼り付けするが 何故かvilligerは添付されて販売されている H・シュトックは1年でシャドウを離れ F1最後の翌1979年はATSに移籍する
230627 H.J.STUCK 1978 16FW12C
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1980 18TH SPARK ALFA ROMEO 179 B.GIACOMELLI
ブルーノ・ジャコメリ 初入賞& 唯一のPP獲得 ALFA ROMEO 179 1980年第2期アルファロメオの 本格フル参戦1年目 ドライバーは 開発から携わったB・ジャコメリ チームメイトはパトリック・デュパイエ (後にV・ブランビラ/ A・チェザリス) 開幕戦アルゼンチンGP 予選20位から混戦生き残り5位入賞 2期アルファロメオとジャコメリの初入賞 ジャコメリの生涯F1入賞は6回 主にアルファロメオV12エンジンの 信頼性の不足の起因により決勝は 14戦中 完走僅か3回も5位入賞2回獲得 予選では速さを見せ9回のシングルグリット 最終戦アメリカEAST GPでは 生涯自身唯一となるPPを獲得 PPから31周目までリーダーラップも記録 シーズン途中のテストでチームメイトの パトリック・デュパイエが事故で他界した中 チームに希望と勇気を与える PPと31周のトップ走行であった https://muuseo.com/FW12C/items/1579?theme_id=34513
230624 B.GIACOMELLI 1980 23FW12C
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1999 18TH PMA ARROWS A20 P.DE.LA.ROSA
the story will be at a later date.
230326 P.DE.LA.ROSA 1999 14FW12C
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1986 18TH SPARK OSELLA FA1F C.DANNER
初代国際F3000チャンピオン クリスチャン・ダナー OSELLA FA1F 1985年初代国際F3000チャンピオン 同年ザグスピードでデビューした クリスチャン・ダナー(ドイツ) 1986年はオッゼラより参戦 OSELLA FA1Fは1984年に作製された 実に2年落ちのマシン エンジンはアルファロメオターボV8 チームメイトはP・ギンザーニ ダナーはこのマシンで6戦出場 1回の予選落ち 他はすべてリタイア R6カナダGPではアロウズのM・スレールの 欠場により同チームからもエントリー 1レースで2チームから登録されたが オッゼラの登録の方が早く優先された ダナーはR7より正式にアロウズに移籍 R12オーストリアGPで6位入賞している ドイツのRACE LAND社の別注シリーズ OSELLA FA1F初の量販モデル化 #F1-1986年
230325 C.DANNER 400 22FW12C
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1975 18TH CP MODEL SHADOW DN7 J.P.JARIER
シャドウ 2戦限りのマトラエンジン ジャン・ピエール・ジャリエ SHADOW DN7 1975年シャドウに残留したJ・P・ジャリエ チームメイトはトム・プライス ジャリエは開幕2戦 予選連続PPを獲得 ジャリエとチームシャドウ初の快挙 しかし開幕のアルゼンチンはスタートできず R2ブラジルGPもトラブルでリタイア R4スペインGPは観客を巻き込む事故が発生 ジャリエは4位走行中に途中で打ち切り 入賞を果たすもハーフポイントの1.5ポイント シーズンでの入賞はこの1回限り R12オーストラリアGPではブラバムとヒルとの 争奪戦に勝ちマトラV12エンジンを獲得 ニューマシンのSHADOW DN7を導入 しかしもともとコスワースエンジンを搭載の DN5の車体がベースの為 マトラV12では マシンの重量バランスが狂い直線が伸びず 僅か2戦のみでマトラとの関係解消した モデルはCP MODELで2戦限りの マトラエンジン搭載のDN7をリリース SHADOW DN7はジャリエのみが決勝で走行した #F1-1975年
230218 J.P.JARIER 1975 1回FW12C
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1997 18TH PMA PROST MUGEN HONDA JS45 S.NAKANO
日本人フルタイム5人目 中野信治 F1デビュー PROST MUGEN HONDA JS45 父 中野常治氏も全日本F2参戦したドライバ― 中野信治はフォーミュラニッポンでの 優勝経験がなかったものの(年間6位が最高) 無限ホンダの後押しもありリジェと契約 しかし1997年チーム名がプロストに変わると 早々に翌1998年からエンジンがプジョーに 変更が発表されるなど立場が微妙になり ルーキーながらTESTもままならない状況 R7カナダGPでは7位走行中に チームメイトのO・パニスがクラッシュ 赤旗中断となりレースはそのまま終了 これにより6位に上がりF1初の入賞 R11ハンガリーGPでは E・アーバイン(フェラーリ)との激闘を制し 自身2度の6位入賞 年間2Pで順位は18位 中野は1年限りでプロストを離脱 翌1998年は開幕直前にミナルディのシート獲得 #F1-1997年
221120 S.NAKANO 15 1/43FW12C
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1976 18TH SPARK ENSIGN N174 C.AMON
史上最強の未勝利ドライバ― クリス・エイモン ラストイヤー 1963年から参戦のエイモン最後の年 1976年はエンサインのレギュラーシート 開幕戦欠場後旧型のインダクションポッドが 高い位置にデザインされたN174でR2・R3を戦い モデルはR3アメリカW 予選17位→決勝8位 レギュレーションに合わせた新型N176 初戦R4スペインで予選10位→決勝5位入賞 自身3年ぶり通算29回目最後の入賞 R7スウェーデンGP予選3位 R9イギリスGP予選6位と速さ見せるも R10ドイツGPでのN・ラウダ(フェラーリ)事故を見て ヘルメットを置く決意をしてチーム離脱 R14カナダはウイリアムズで予選のみを走行し F1の長いキャリア14年の幕を閉じた 引退後は母国で家業の農業に従事した クリス・エイモン (ニュージーランド) 決勝出走回数 97回 予選最高位 PP(5回) 1968年 フェラーリ R2スペイン 1968年 フェラーリ R4ベルギー 1968年 フェラーリ R5オランダ 1971年 マトラ R9イタリア 1972年 マトラ R6フランス 決勝最高位 2位(3回) 1968年 フェラーリ R7イギリス 1970年 マーチ R5ベルギー 1970年 マーチ R6フランス ファステストラップ 3回 1970年 マーチ R4ベルギー 1972年 マトラ R5ベルギー 1972年 マトラ R6フランス リーダーラップ 183周 #F1-1976年 #1976年 #F1
C.AMON 1976 22 1/43FW12C
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1995 18TH ONYX MINARDI FORD M195 P.LAMY
ペドロ・ラミー ポルトガル 自身唯一の入賞 MINARDI FORD M195 1995年シーズン前 ラミーは当初 パシフィックからの参戦予定であったが ティレルのシートを画策し交渉 結局ティレルのシートを獲得出来ない だけでなくパシフィックのオーナーの キース・ウィギンスの逆鱗に触れて パシフィックのシートも失った ラミーはR10ハンガリーより 資金難のミナルディに持参金を持ち込み P・マルティニのシートを獲得 結果的にマルティニはこれでF1引退 最終戦のR17オーストラリアGPで 予選17位から完走8台のサバイバルを 生き残り自身初の6位入賞 (7位 P・デニス フォルティ) (8位 B・ガショー パシフィック) これはラミーの生涯唯一の入賞 ポルトガル人の初の入賞でもあり ミナルディの25戦ぶりの 1995年の初ポイントでもあった #1995 #F1 #MINARDI #ONYX #初入賞
P.LAMY 23 1/43 MINARDIFW12C
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1979 18TH PMA ARROWS FORD A2 J.MASS
1979年アロウズはR8フランスGPより ニューマシンARROWS A2 を登場させた トニー・サウスゲートとデイブ・ワスが デザインしたA2は極めて独創的なマシン ノーズからリヤ・ウイングまで伸びている ベンチュリ構造が最大の特徴 しかしグランドエフェクトが 過激なほど大きくダウンフォースに 路面に押し付けられると ごくわずかな変化にも影響を受けて 安定性の欠くマシンとなってしまった ヨッフェン・マスはA2で R10ドイツとR12オランダで6位入賞も 終盤2戦は連続予選落ち 年間では前半モデルのA1の1Pと 合わせ3ポイント 年間順位18位 ヘルメットのBOSSは マスの個人スポンサーのHUGO BOSS ドイツの高級ファッションブランド #ヴァルシュタイナー #F1-1979年
J.MASS 30 1/43 ARROWSFW12C
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1994 18TH+α SPARK LOTUS 109 E.BERNARD
エリック・ベルナール最後のマシン 資金難のロータスはエースドライバ―の J・ハーバートをブリアトーレに金銭譲渡 それに伴いR14ヨーロッパGPで J・ハーバートとトレードの形で ベルナールはリジェ→ロータスへ移籍 モデルのヨーロッパGPは予選22位→決勝18位 ベルナールのロータスは1戦限りで 終盤2戦はM・サロがドライブ ベルナールは翌1995年 ラルースでエントリー予定も チームがこちらも資金難で消滅 フランスの若手有望ABCDの内 B ベルナール C コマス D ダルマス の3人は奇しくも1994年でF1を去ります #F1
E.BERNARD 11 1/43 LOTUSFW12C
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1994 18TH ONYX LIGIER RENAULT JS39B E.BERNARD
1994年エリック・ベルナールは 1991年ラルース時代の日本GPで 金曜日に足を骨折して以来のF1復帰 予選・決勝ともTMで新人の オリビエ・パニスに敗れる事が多く R9ドイツGPではベルナール生涯唯一の 3位表彰台獲得もパニスは2位 入賞はこの1回のみで 年間順位は18位4ポイント R14ヨーロッパGPには ジョニー・ハーバートと入替で ロータスに移籍する #1994
E.BERNARD 25 1/43 LIGIERFW12C
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1985 18TH IXO FERRARI 156/85 R.ARNOUX
FERRARI 156/85の名称は 1.5リッター V6ターボ 85年から 126シリーズが終了し新設計の車体 R.アルヌーはフェラーリ3シーズン目 TMは昨年同様M.アルボレート 開幕戦ブラジルGP 予選7位→決勝4位 アルボレートは予選PP→決勝2位 このGP後アルヌーはフェラーリを解雇 原因はチームマネジャーの妻との 不倫疑惑が有力ではあるが不明のまま 現在までアルヌーからは語られていない 当時のアルヌーは36歳であるが 容姿はかなり若く見えました IXOはこの開幕戦のみの R.アルヌーのモデルを ラ ストーリア シリーズで発売 1戦のみの参戦の車体を 量産化してくれるのは嬉しです #F1-1985年
R.ARNOUX 28 1/43 FERRARIFW12C