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1999 5TH HOT WHEELS FERRARI F399 M.SCHUMACHER〖🏆2〗
ミハエル・シューマッハ骨折で欠場も 終盤2戦に驚異の復活 FERRARI F399 1999年ミハエル フェラーリ4年目 チームメイトはエディー・アーバイン R3サンマリノR4モナコで連勝 シーリーズをリードするも M・ハッキネン(マクラーレン)に 逆転され迎えたR8イギリスGP 予選2位より決勝開始直後 赤旗が 出ている中チームによる伝達も遅れる中 リアのブレーキトラブルでタイアバリアに 直角に突っ込み右足を骨折で長期離脱 残りシーズン欠場も噂されたが R15マレーシアGPで予選PPで復活 決勝はチャンピオン争いのアーバインに 譲り自身は2位表彰台で驚異の復活 最終R16日本GPもPP獲得 決勝はアーバインにタイトルは獲得 させることはできなかったが フェラーリの1983年以来の コンストラクターチャンピオン獲得に貢献 モデルは HOT WHEELS 台座をミニチャンプス仕様に載せ替え Marlboro仕様に変更しています こちらはMuuseoでもお馴染みの 大阪なんばにある アダムスキー (当時サイケデリア)で2008年9月に購入
230920 M.SCHUMACHER 1999 1回FW12C
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1968 10TH BRUMM FERRARI 312 F1 C.AMON
クリス・エイモン フェラーリで キャリアベスト2位 FERRARI 312 F1 1968年エイモンはフェラーリ2年目 チームメイトは前年度クーパーでデビューの ジャッキー・イクスが抜擢される エイモンは開幕戦南アフリカGPで4位 R2スペインGP 予選で初PP獲得 チーム欠場のR3モナコを挟み R4・R5と出場3戦連続でPPを獲得 エイモンの生涯獲得PPは5回 R7イギリスGPでは予選3位から プライベータの雄J・シフェールに敗れるも 自身初の2位表彰台を獲得する しかしその後は5戦連続リタイア 途中イクスは初優勝含む5戦連続入賞と 明暗が分かれる結果となった モデルはBRUMM GP仕様の表記は無いが 1968年はカーナンバーは固定でなく GPごとの登録の為 GPで異なる エイモンがカーナンバー9で出場したのは R5オランダ R9イタリア R10カナダ 海外のサイトなどではこのモデルを R5オランダGP仕様としているが このGPの決勝の映像を見ると リアウイングが装着されている為 リアウイングの無い当モデルは 何GPのモデルなのか詳細は不明 それでも1968年のエイモンの フェラーリで唯一2位の年のマシン というだけで個人的には満足です
230914 C.AMON 1968 9FW12C
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2022 5TH BBURAGO FERRARI F1-75 C.SAINZ 〖🏆1〗
カルロス・サインツ 151戦目の初優勝 FERRARI F1-75 2022年フェラーリ2年目のサインツ チームメイトはシャルル・ルクレール 開幕戦で2位でルクレールと1・2フィニッシュ フェラーリの1・2フィニッシュは2019年 R15シンガポールGP以来46戦ぶりの出来事 R10イギリスGPで初PPから初優勝 サインツの優勝は151戦目で 優勝まで参戦数史上2番目の遅い記録 (1位はS・ペレスの192戦目) スペイン人ドライバ―としては F・アロンソ以来の2人目の優勝 サインツは通算112人目のF1ウィナー 年間では22戦中9戦で表彰台に上がるも 前年の全戦完走から一転6回のリタイアで 年間順位は5位 ポイント246P FL2回 モデルはBBURAGO ホームグランプリのR16イタリアGP仕様 フェラーリ75周年記念と絡めた イエローを取り入れたスペシャルカラーリング リアウイングもFerrariの旧式のロゴ そのイタリアGPはサインツは予選3位も パーツ交換などで決勝18番グリット スタートから追い上げを見せて 途中セーフティカー導入を利用して ポジションアップ 最終4位でフィニッシュ #F1-初優勝
230902 C.SAINZ 2022 2回FW12C
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1980【WORLD CHAMPION】PMA WILLIAMS FW07B A.JONES〖🏆5〗
🔲🔲🔲1980🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 WILLIAMS FW07B 🟦🟦A.JONES🟦🟦 🔲🔲🔲全14戦🔲🔲🔲 【出走】14回【PP】3回 【優勝】 5回【FL】5回
230829 A.JONES 1980 5回FW12C
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1968【WORLD CHAMPION】QUARTZO LOTUS 49B G.HILL 〖🏆3〗
🔲🔲🔲1968🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 LOTUS 49B 🟧🟧🟧G.HILL🟧🟧🟧 🔲🔲🔲全12戦🔲🔲🔲 【出走】12回【PP】3回 【優勝】 3回【FL】0回 グラハム・ヒル 2度目のチャンピオン R3モナコGPから投入されたLOTUS 49B ギアボックはヒューランド製5速が導入 フロントノーズ左右にウィングを装着 エンジンカウルにリアスポイラーを取付 ダウンフォース発生を意識した形状 またこのGPよりタバコのGOLD LEAFが スポンサーとなり以前のナショナルカラーの ブリティシュグリーンから 赤・白・金のカラーリングとなり スポンサーカラーとなる先駆けになった1台 モデルはそのQUARTZO モナコGP仕様 予選PPスタートから序盤は マトラのJ・セルボ・ギャバンに先行許すも 4周目からトップを奪いそのまま優勝 シーズン2勝目を上げた その後最終R12も優勝 シーズン3勝 ジム・クラーク亡き後のロータスで 自身2度目のワールドチャンピオンに輝いた また史上初のファステスト・ラップが 1度も無かったワールドチャンピオン (その後は複数回有)
230825 G.HILL 1968 9FW12C
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1980 6TH QUARTZO RENAULT RE20 R.ARNOUX
ルネ・アルヌー 初優勝からの連勝 ルノー・ターボの2・3勝目RENAULT RE20 1980年アルヌーはルノー2年目 チームメイトは昨年同様の ジャン・ピエール・ジャブイユ 開幕戦リタイアだったものの R2ブラジルGPで初優勝 続くR3南アフリカと連勝 アルヌーの通算勝利数は7勝 前半7戦で2勝含む入賞4回で チャンピオン狙える位置で折り返す 後半戦は予選で3戦連続PPがあったものの 入賞はR12オランダGPの2位のみ 年間順位は6位に終わる チームは4年目にして2人で3勝 コンストラクターも4位に躍進 アルヌーはジャブイユから チームエースの座を奪いルノーは アルヌー中心で回るようになり 翌1981年ジャブイユはリジェ・マトラに移籍 ルノーはオールフレンチ体制を維持し チームメイトにアラン・プロストを迎える
230606 R.ARNOUX 1980 4回FW12C
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1998 2ND PMA FERRARI F300 M.SCHUMACHER〖🏆6〗
モンツア 10年ぶりの1・2フィニッシュ ミハエル・シューマッハ FERRARI F300 1998年序盤マクラーレンに圧勝されたが グッドイヤーの巻き返しとF300の熟成が 進みR12までに5勝をあげて猛追 R14イタリアGPモンツァでは 予選PPから順位を落とすも巻き返し M・ハッキネン(マクラーレン)を抜き優勝 2位にチームメイトのE・アーバインが入り フェラーリは地元モンツアで 1988年のマクラーレン全勝を防いだ G・ベルガー/M・アルボレート以来の 10年ぶりの1・2フィニッシュ この時点でハッキネンと80Pで並んだが 終盤2戦で連勝を許しチャンピオンは逃した 1998年を持つてタイヤメーカー アメリカのグッドイヤー社が撤退 結果的にこのイタリアGPは 1965年よりF1でタイヤ供給を始めた グッドイヤーの最後368勝目でもあった
230522 M.SCHUMACHER 6回 3FW12C
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1998 2ND PMA FERRARI F300 "TOWER WING” M.SCHUMACHER〖🏆6〗
シューマッハの"TOWER WING”仕様は 限定数が9.999個 E・アーバインの3倍 現在では限定数は1.000個以下が通常で 当時のシューマッハとF1モデルカーの 人気が伺えるが現在でもMarlboroデカール 仕様の場合は大きな値崩れも無い このFERRARI F300のモデルを持って ミニチャンプスでの現行フェラーリの 量販F1モデルの販売が終了 以降は1999年よりマテル社の HOT WHEELS ブランドでの発売 また2015年からはBBURAGO並びに LOOK SMARTでの販売となっている 所持しているF1モデルカーで唯一 1998年のモデルだけが全チーム 全ドライバ―ともミニチャンプスのみ モデルカーの台紙の大きさが 揃っているので1998年のルームの アイテムのミテクレは一番良い いつかF1のモデル全ブランドの 統一台紙・台座で撮影の野望があるが 当分先になってしまいそうです
230522 M.SCHUMACHER "TOWER WING″ 6回FW12C
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1970 【WORLD CHAMPION】PMA LOTUS 72 FORD J.RINDT〖🏆5〗
🔲🔲🔲1970🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 LOTUS 72 FORD 🟥🟥J.RINDT🟥🟥 🔲🔲🔲全13戦🔲🔲🔲 【出走】10回【PP】3回 【優勝】 5回【FL】1回 R10イタリア予選で事故死 唯一の故人のままワールドチャンピオン
230515 J.RINDT 1970 7FW12C
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2021 3RD BBURAGO MERCEDES-AMG F1 W12 E PERFORMANCE V.BOTTAS 〖🏆1〗
バルテリ・ボッタス 最後のメルセデス コンストラクター死守 AMG F1 W1 バルテリ・ボッタス フィンランド出身 フィンランド人5人目のウイナー □ケケ・ロズベルグ □ミカ・ハッキネン □キミ・ライコネン □ヘイキ・コバライネン 2021年はメルセデス5年目 勝利はR16トルコGPのみも表彰台は11回 ワールドチャンピオン争いには絡めなかったが セカンドドライバーとしての役割は果たし チームの9年連続のコンストラクター (自身は5年連続)のチャンピオンに貢献 MERCEDES-AMG F1 W12は前年から継続して ブラックを基調としたカラーリング この年限りでのメルセデスを離脱 同郷のキミ・ライコネンの後任として 翌2022年はアルファロメオに移籍 ボッタスはメルセデスの5年間 優勝 10回 表彰台58回 PP20回 FL19回 ルイス・ハミルトンの4連覇と コンストラクター5連覇に大きく貢献した
230419 V.BOTTAS 4回 77FW12C
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1990 5TH LOOK SMART FERRARI 641/2 N.MANSELL〖🏆1〗
美しきフェラーリ FERRARI 641/2 N・マンセル 1990年フェラーリはニューマシン FERRARI 641を開幕戦より投入 R3サンマリノGP マイナーチェンジが E・スカラブローニ S・ニコルズより 施されFERRARI 641/2とされた モデルはR6メキシコGP仕様 予選4位のマンセルは終盤3位を走行 2位走行のG・ベルガー(マクラーレン)を アクセル5速全開で180度旋回する 最終難関コーナー ペラルターダで アウト側から豪快に抜き2位に浮上 チームメイトのA・プロストと フェラーリ1・2フィニッシュを決めた 2015年にメキシコGPが復活した際に ペラルターダは低速コーナーに改修され 〖ナイジェル・マンセル・ターン〗 と命名され現在に至る このメキシコGPのサーキットは エルマノス・ロドリゲス・サーキット 1960年代のメキシコの誇るドライバ― レース中に残念ながら事故死している ペドロとリカルドのロドリゲス兄弟に 対して哀悼の意を込めて命名されている 1965年のホンダとグッドイヤーの ドライバ― リッチ・ギンザーによる F1初勝利のサーキットでもあります #F1-1990年
230402 N.MANSELL 3回 700FW12C
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1998 3RD PMA McLAREN MERCEDES MP4-13 D.COULTHARD〖🏆1〗
1991年以来のコンストラクターチャンピオン マクラーレンMP4-13 デビッド・クルザード 1998年クルザードはマクラーレン3年目 開幕戦オーストラリアGPで マクラーレンの2台は3位以下を 全て周回遅れにする圧倒的勝利 この時クルーザードはチームとの〖約束〗で トップをTMのミカ・ハッキネンに譲って2位 後半戦でM・シューマッハ(フェラーリ)に 追い上げられたハッキネンにとっては この勝利によるプラス4P(10-6)が ワールドチャンピオン争いに手助けとなった マクラーレンのあまりの速さにフェラーリより ブレーキ・ステアリング・システムに対する 抗議が入り 事前に確認をとっていた にもかかわらずレギュレーション違反と判定 R2戦目以降は使用中止となった クルザードの勝利はR4サンマリノのみ それでも2位6回 3位2回の安定した走りで マクラーレンの1991年以来の コンストラクターチャンピオン獲得に 大きく貢献し翌1999年もチーム残留 このモデルは台紙に不備があったようで 車名の所に上張りでシールが貼られている 本来は 誤 MP4/13→ 正 4-13であるが こちらは雑誌等でも統一されていない #F1-1998年
230322 D.COULTHARD 3回 7FW12C
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1978 2ND QUARTZO LOTUS 78 R.PETERSON〖🏆2〗
ロータス復帰 ロニー・ピターソン 最後の乗車マシン LOTUS 78 1978年ロニー・ピーターソンは 1976年の開幕戦以来のロータスに復帰 チームメイトはマリオ・アンドレッティ 序盤戦は前年度のモデルLOTUS 78で参戦 モデル仕様のR3南アフリカGP 予選は11位に沈むも 決勝は徐々に順位を上げ ファイナルラップでトップ走行の P・デュパイエ(ティレル)を 激しいサイドバイサイドの競いを制し 最後は0.4秒差での逆転の勝利を飾る LOTUS 78はR6戦まで使用して PP 1回 優勝1回 入賞4回 FL1回 後ニューマシンLOTUS 79が導入された 運命のR14イタリアGP ピータソンは決勝前のウォームラップで LOTUS 79をクラッシュさせてしまい 決勝には旧車のLOTUS 78で出場 スタート直後の事故に巻き込まれて 後日 帰らぬ人となってしまい LOTUS 78が最後の乗車マシンとなった https://muuseo.com/FW12C/items/1334 #F1-1978年
230317 R.PETERSON 1978 3回FW12C
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1978 2ND PMA LOTUS 79 R.PETERSON〖🏆2〗
SUPER SWEDE 無冠の帝王 ロニー・ピーターソン 散る 1978年ロータスの復帰した ロニー・ピータソン チームメイトはマリオ・アンドレッティ 本格的なグランドエフェクトカーLOTUS79 この年の待遇は表面上は同等であったが 実際はマリオにマシンの優先使用や GYのスペシャルタイヤの提供があった ピーターソンはR3南アフリカと R12オーストリアでこの年2勝 チームオーダーもありマリオは6勝 逆転チャンピオンの可能性が残された R14イタリアGP スタート直後の 多重クラッシュにより両足に重度の骨折 命に別状は無いと思われたが 翌日の足の手術後に急変し帰らぬ人となった 享年34歳 その後年間2位が確定して 獲得51Pとともに生涯ベストリザルトとなった ピータソン亡き後スウェーデンドライバ―の 勝利者は無く 同国でのF1開催も現在まで無い 🏁ロニー・ピーターソン (スウェーデン) 【決勝出走回数】122回(入賞42回-表彰台26回) 【予選最高位】 PP(14回) 【決勝最高位】 優勝(10回) 【ファステストLAP】 ( 9回)
221229 R.PETERSON 1978 6FW12C
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1997 EXCLUSION PMA FERRARI F310B M.SCHUMACHER 〖🏆5〗
ドライバ― ランキング除外裁定 ミハエル シューマッハ FERRARI F310B 1997年フェラーリはベネトンより ロス・ブラウン ロリー・バーンを迎え 戦力が改善 マシンの熟成が進んだ 年間5勝をあげてシューマッハ77ポイント J・ビルヌーブ(ウイリアムズ)76ポイント 最終戦までに1ポイントリード 最終戦R17ヨーロッパGPは予選上位3名 ミハエル ビルヌーブ フレンチェンが 1分21秒072で並ぶ奇跡の状況 タイムを出した順番で2位スタートの シューマッハはレースをリード しかし48周目にヘアピンで仕掛けてきた ビルヌーブをブロックして接触 シューマッハははじき出されてリタイア ビルヌーブは手負いながら3位フィニッシュ 逆転でビルヌーブがチャンピオン このブロックに関して重大な故意の過失と 判定され1997年のランキングから除外された (個人とコンストラクターポイントは有効) #F1-1997年
221208 M.SCHUMACHER 3回 5FW12C