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1963 10TH SPARK (SCUDERIA CENTRO SUD) BRM P57 L.BANDINI
プライベーターからフェラーリ移籍へ L.バンディーニ BRM P57 1963年 前年フェラーリでスポット参戦した ロレンツォ・バンディーニ(イタリア)は プライベーター BRMのマシンで R4フランスGPよりエントリー R5イギリスGP予選8位→決勝5位入賞 R6ドイツGP予選 BRMのワークスである G・ヒル R・ギンザーに勝ち予選3位獲得 この走りが認められて R7イタリアGPからはフェラーリに移籍 シーズン途中でフェラーリのシート獲得 フェラーリでは2度の5位 トータル5位3回で年間ランキングは10位 翌1964年はフェラーリに残留 モデルはスパーク R5イギリスGP仕様 このGPではBRMのマシンで出場の3人が 3位G・ヒル 4位R・ギンザー 5位バンディーニと 3人ともが上位入賞を果たした
240411 L.BANDINI 1963 3FW12C
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1971 2ND QUARTZO MARCH 711 R.PETERSON
ロニー・ピーターソン 初入賞 独創的フロントウイング MARCH 711 前年度プライベータでF1デビューした ロニー・ピーターソン(スウェーデン)は 1971年はマーチのワークスでエントリー マーチはエンジンをコスワースDFVと アルファロメオをドライバーで使い分け ピーターソンは主にコスワースDFV車 ティートレイと呼ばれた フロントウイングは楕円形の独特のもので フロントノーズ先端から支柱を伸ばした形 ピーターソンはR3モナコで2位初入賞 その後優勝はなかったものの 2位4回 3位1回の表彰台4回で33P 参戦2年目ながら年間ランキング2位 マーチ711の車体でピーターソン以外の ワークスドライバーは全てノーポイント ウイリアムズで711を使用した アンリ・ペスカローロが2度入賞をしている モデルはQuartzo R3モナコGP仕様 予選8位→決勝2位 ピーターソンの初入賞&初表彰台 キャリア表彰台は26回 入賞は42回 QFC品番のQuartzoの後期の発売モデル 台座に直接 車体名等がプリントされている https://muuseo.com/FW12C/items/1901?theme_id=34513
240306 R.PETERSON 1971 17FW12C
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2000 15TH PMA BENETTON PLAYLIFE B200 A.WURZ
アレキサンダー・ブルツ 自身最後のベネトン BENETTON B200 2000年ブルツはベネトンレギュラー3年目 チームメイトは3年連続G・フィジケラ フィジケラが前半8戦で 2位1回 3位2回など5度の入賞の中 ブルツは前半戦まさかのノーポイント 後半戦はフィジケラも失速しノーポイント ブルツはR14イタリアGPで ようやく5位でシーズン初ポイントを獲得も 入賞はこの1度限りとなった ブルツはこの年限りでベネトンを離れ 翌2001年はマクラーレンのテストドライバー 後2005年に同チームで代役でスポット参戦 モデルはミニチャンプス GP仕様無しのRACE CAR MILD SEVENEのブルーがベース タバコ禁止GPではチーム名の BENETTONがエンジンカバー等に貼られた
240227 A.WURZ 2000 12FW12C
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2008 10TH PMA PANASONIC TOYOTA RACING TF108 T.GLOCK
4年ぶりF1復帰 ティモ・グロック 最終戦・最終周… TOYOTA TF108 2004年ジョーダンよりF1デビューも レギュラーシート獲得はならず 2006年GP2 年間4位 2勝 2007年GP2 年間チャンピオン 5勝 2008年前年テストドライバーであった BMWザウバーと契約問題があったものの 最終的にトヨタのシートを獲得 チームメイトはヤルノ・トゥルーリ R7カナダGPで4位シーズン初入賞 R11ハンガリーGPは予選5位から ヘイキ・コバライネン(マクラーレン)優勝の中 グロッグは2位表彰台獲得 2位は結果的にグロックの キャリアベストリザルト(タイ) F1最高位2位のドライバーの一人 別のハイライトは最終戦ブラジルGP グロックはファイナルラップ5位走行 このままでの順位なら地元ブラジル フェリペ・マッサ(フェラーリ)の 初のワールドチャンピオンが決定 しかしグロックの車のタイヤが持たず 最終周・最終コーナー手前で ルイス・ハミルトン(マクラーレン)に オーバーテイクされ5位を奪われ ハミルトンが初のチャンピオン グロックが演出する形となってしまった モデルはミニチャンプス GP仕様表記の無しのRACE CAR TF108はPANASONIC/DENSO/KDDI タイヤもブリヂストン 日の丸カラーにスポンサーも ほぼ日本の企業が占めていた
240209 T.GLOCK 2008 11FW12C
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1973 11TH SPARK SURTEES TS14 FORD C.PACE
カルロス・パーチェ初の表彰台& ファステストラップ SURTEES TS14 前年ウイリアムズ(マシンはマーチ)で F1デビューを果たしたブラジル出身 カルロス・パーチェ 1973年サーティスに移籍 チームメイトはマイク・ヘイルウッド R4まではへイルウッドとともに すべてリタイアに終わり中盤戦も苦戦 R11ドイツGPでようやく4位入賞は 自身初のファステスト・ラップ パーチェのキャリア通算FLは5回 続くR12オーストリアGPでは 決勝3位自身初表彰台獲得 パーチェのキャリア表彰台は6回 連続でファステスト・ラップ記録 1978年まで参戦する チーム サーティスとしては 最後の表彰台(通算2回) 最後のファステスト・ラップ(通算3回) パーチェはこの年 フェラーリから 世界メーカー選手権(スポーツカー選手権) にも参戦している モデルはスパーク R12オーストリアGP仕様 予選8位→決勝3位 チームサーティスの象徴とも言える スポーツカーノーズの白い矢印と パーチェのヘルメットの黄色い矢印が マッチしている1台
240123 C.PACE 1973 2回FW12C
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2021 11TH SPARK ALPINE A521 E.OCON 〖🏆1〗
エステバン・オコン 混戦を制し 初優勝 ALPINE A521 エステバン・オコン フランス出身 2016年シーズン途中マノーよりデビュー 2021年はルノーから チーム名変更したアルピーヌで参戦 チームメイトはフェルナンド・アロンソ R11ハンガリーGP オコンは予選8位 ウエットコンディションで 1周目に5台がリタイアの波乱の レースを制し初優勝 フランス人ドライバ―としては 14人目のF1ウイナー フランス人最多勝利は言わずと知れた 51勝のアラン・プロスト しかしプロストの後のウイナーは 〇1995年 J.アレジ(フェラーリ) 〇1996年 O.パニス(リジェ) 〇2020年 P.ガスリー(アルファタウリ) 〇2021年 E.オコン(アルピーヌ) 4人とも(現在まで)1勝のドライバ― オコンは年間では11位 チームメイトのアロンソ(10位)とは 予選・決勝ともほぼ互角の成績 モデルはスパーク オコン&アルピーヌが 初優勝したハンガリーGP仕様 P1のピットボードが付属
231108 E.OCON 2021 31FW12C
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1999 (21ST) PMA BAR 01 SUPERTEC J.VILLENEUVE
ジャック・ビルヌーブ チーム初年度 11戦連続リタイア BAR 01 SUPERTEC 鳴り物入りで登場したBAR シーズン前のプレス発表では ビルヌーブ車➡ラッキーストライク ゾンタ車➡555 ブランドの別々のカラーで 登場したがレギュレーション違反となり却下 結局 左➡ラッキーストライク 右➡555を 真ん中のファスナーでつなぐ斬新なデザイン ジャックは開幕戦~R11ハンガリーまで 11戦連続のリタイア これは現在においても開幕からの 連続リタイアのワースト記録 年度またぎの連続リタイアを含めても 歴代ワースと3位のリタイア記録 (ワースト2位 12戦 A・チェザリス) (ワースト1位 14戦 I・カペリ) 2年前のワールドチャンピオンが まさかのノーポイント 決勝最高はR13イタリアGPの8位 チームのシーズン最高7位は ゾンタの代役のM・サロが記録という BAR1年目は悲劇のシーズンであった モデルはミニチャンプス BAT(ブリティシュ アメリカン タバコ) 社の2大主要ブランド 【LUCKY STRIKE】【555】を それぞれ左右でデカール加工 この年限りのデザイン
231029 J.VILLENEUVE 1999 22FW12C
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2022 10TH BBURAGO ALFA ROMEO C42 V.BOTTAS
バルテリ・ボッタス 10シーズン目 アルファロメオ移籍 ALFA ROMEO C42 2022年ボッタスは5年間過ごした メルセデスを去りアルファロメオに移籍 チームメイトは新人 ジョウ・グアンユー 開幕戦バーレーンGPで移籍初戦6位入賞 R3~R7まで5戦連続入賞など 前半9戦で7度の入賞と存在感見せるも 後半戦はアップデートも少なくなり 勢いが衰えR20メキシコGP 決勝10位 R21サンパウロGP 決勝9位の入賞は2回のみ 予選でも新人グアンユーと互角の成績 年間では入賞9回 49ポイントで10位 2019年~のアルファロメオとしては これまでの個人の最高成績 2023年もアルファロメオに残留 モデルはBBURAGO 2022年モデルよりアルファロメオも マクラーレンと共にラインナップされた コストパフォーマンス的にも 今後 中堅~下位チームのリリースも期待
230908 V.BOTTAS 2022 77FW12C
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1983 14TH PMA TOLEMAN TG 183B D.WARWICK (DUTCH GP TOLEMAN 1ST POINT)
トールマン/ワーウィック F1初ポイント獲得 TOLEMAN TG 183B 1983年チーム トールマンと ディレク・ワーウィックは参戦3年目 チームメイトはブルーノ・ジャコメリ この年全車フラットボトム規定に変わり ロリー・バーン作の前年マシンを レギュレーションに合わせたTG 183B投入 予選最高5位含むシングルグリット6回も 決勝にはつながらず11戦終了時 完走2回 リタイア9回 課題であった信頼性不足に悩まされた しかし終盤は一気に改善 12戦オランダGPは予選7位 決勝は同一周回での4位入賞 チームトールマンとD・ワーウィックの F1初入賞でポイント獲得 トールマンの通算入賞は11回 ワーウィックの通算入賞は30回 このGPから4位→6位→5位→4位の 4戦連続入賞で年間14位 モデルはそのオランダGP仕様 通序盤と比べるとフロントウイングに カー№が右側しかないのと ドライバ―フィギュアのクオリティがUP ワーウィックはA・セナのトールマン加入が 決まり自身はルノーへ移籍した https://muuseo.com/FW12C/items/239?theme_id=30446
230603 D.WARWICK 1983 504FW12C
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1998 12TH PMA STEWART FORD SF-2 R.BARRICHELLO
スチュワート グランプリ2年目 ルーベンス・バリチェロ STEWART SF-2 1998年レギュレーション変更で タイヤの円周方向に4本(前輪用は3本)の平行な 溝を持つグルーブドタイヤが初めて導入された ブリヂストンタイヤはこの変更にうまく対応し グッドイヤー勢に対しアドバンテージを得た スチュワートはこの利点を生かし ルーベンス・バリチェロが R5スペインGPとR7カナダGPで5位入賞 カナダはJ・マグヌッセン6位とダブル入賞 以降はチームメイトがヤン・マグヌッセンから ヨス・フェルスタッペンに変更されたが グッドイヤー勢の巻き返しもあり ノーポイントに終わった バリチェロはの予選はシングルグリットが2回 16戦中10戦が7列目スタート(13位・14位)を占めて フォードのワークスエンジンで あったがコンストラクター8位 予選の結果がほぼ年間の結果に近く スチュワート2年目も不本意なシーズンとなった バリチェロは翌1999年もスチュワートに残留 スチュワート最後の年にJ・ハーバートともに チーム唯一の1・2フィニッシュを決める #F1-1998年
230504 R.BARRICHELLO 18 1/43FW12C
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2000 16TH PMA ARROWS SUPERTEC A21 P.DE.LA.ROSA
キャリアベストタイ 予選5位 ペドロ・デ・ラ・ロサ ARROWS A21 前年度アロウズに貴重なポイントをもたらした デ・ラ・ロサはアロウズに残留 チームメイトはヨス・フェルスタッペン 高速重視のマシンであった ARROWS A21 レース中の最高速をデ・ラ・ロサは3回記録 フェルスタッペンとあわせてチームで7回 R6ヨーロッパGPでシーズン初6位入賞 R10オーストリアGPでは 一時3位走行(最終リタイア) R11ドイツGPキャリベスト(タイ)で予選5位 決勝もシーズン2度目の6位入賞 印象的な走りを見せたものの マシンの信頼性の不足もあり 完走は17戦中6回 完走率は37.5%は フル参戦ドライバーの中では最下位 デ・ラ・ロサはアロウズを離れ 翌2001はプロストのテストドライバー シーズン途中よりジャガーにて参戦する モデルはミニチャンプス フランス通信大手Orangeがスポンサー ブラック/オレンジのカラーリングが 印象的な2000年シーズンを彩った1台
230326 P.DE.LA.ROSA 2000 18FW12C
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1998 15TH PMA SAUBER C17 PETRONAS J.HERBERT
F1-10年生 ベテランコンビ ジョニー・ハーバート SAUBER C17 J・ハーバートはザウバー3年目 チームメイトは同じ1989年デビューの J・アレジ F1-10年目のベテランコンビ エンジンはPETRONASバッジのフェラーリ ハーバートは開幕戦オーストラリア 予選5位→決勝6位入賞 幸先の良いスタート しかしこれがどちらもシーズンベストで これ以降の入賞は無く年間1ポイント 15位 前年度はエース待遇もあり入賞を重ねたが アレジの加入で待遇を奪われ関係も微妙に チームオーダーを出されたレースもあり ハーバートはチーム残留のオファーを断り 翌1999年はスチュワートに移籍 結果 自身最後の勝利を手に入れる #1998
230216 J.HERBERT 15 1/43FW12C
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1998 15TH PMA SAUBER C17 PETRONAS "TOWER WING″ J.HERBERT
SAUBER C17 PETRONAS "TOWER WING″ ジョニー・ハーバート サウバーの導入したTOWER WINGは 外側が2本内側が1の支柱で支える 独得の形状のものでカラーリングも ウイング板がPETRONASのカラーになっている R4サンマリノGPではチームメイトの ジャン・アレジがレース中のピットインで タワーウィングに給油ホースを引っかける事故 この事故がきっかけでR5以降は禁止となるが 事故は口実でマシンの美観が損なう というのが主だった禁止理由とみられている サウバーはこのウイングが禁止された R5スペインGP以降はしばらく入賞が無く 多少の禁止の影響があった可能性がある
230216 J.HERBERT "TOWER WING″ 2.222FW12C
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1978 5TH SPARK TYRRELL 008 P.DEPAILLER〖🏆1〗
パトリック・デュパイエ 最後のティレル モナコで初勝利 TYRRELL 008 1978年ティレルは6輪のP34から オーソドックスなマシン 008へ変更 P・デュパイエはティレル5年目 チームメイトはディディエ・ピロー二 開幕4戦で表彰台3回(2位1回 3位2回) 好調で迎えたR5モナコGP シーズンベストの予選5位から デュパイエの初優勝 フル参戦5年目 69戦目の勝利 モデルはそのモナコGP仕様 その後はやや低迷 完走率は50% 年間で表彰台5回 入賞7回 年間5位 約5年間過ごしたティレルを離れ 翌1979年は母国フランスのリジェに移籍 #F1-1978年
230103 P.DEPAILLER 1978 4FW12C
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1978 8TH SPARK LIGIER JS9 J.LAFFITE
リジェ3年目 ジャック・ラフィー 最後の1台体制 LIGIER JS9 前年度1977年に初優勝したマシンJS5を 1978年シーズンも前半戦は使用 R5モナコGPでニューマシンJS9を投入 大型のリアウイングが特徴 投入のモナコはリタイアだったものの R7スペインとR11ドイツで3位表彰台 最終的には16戦中8度の入賞 リタイアもわずか2回と安定した成績 3年か継続したリジェ・ラフィーの1台体制は 1978年で終了して翌1979年からは2台体制 マトラのエンジンも一旦終了 #1978年
221224 J.LAFFITE 1978 26FW12C