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1966 7TH SPARK BRM P261 J.STEWART 〖🏆1〗
フライング・スコット ジャッキー モナコGP初勝利 BRM P261 1966年ジャッキー・スチュワートは BRMでの2年目のシーズン チームメイトはG・ヒルなど モデル仕様の開幕戦モナコGP 予選3位から2位に40秒の差をつけて優勝 自身初のモナコ制覇(通算モナコ3勝) G・ヒルのモナコ4連覇を阻止した形 このGPは100周で争われ 完走はエントリー16台中僅かの4台 完走4台中3台がBRMのマシンだった この後ジャッキーは4位・5位の入賞のみ チームは新型エンジンH型16気筒の開発を 進めるも水平対向8気筒を2段重ねという F1史上類を見ないレイアウトで 重量過多・高重心が仇となり苦戦 年間順位は前年度新人ながら 3位 34ポイント→7位 14ポイントと 大きく成績を落としてしまう 翌1967年ジャッキーは残留するも グラハム・ヒルはチームを離脱 BRMも3年間未勝利の低迷期に入る #F1-1966年
J.STEWART 12 1/43 BRMFW12C
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1996 4TH PMA BENETTON RENAULT B196 J.ALESI
1対2のトレードで移籍のJ・アレジ ベネトン1年目 F1キャリアベスト M・シューマッハとアレジ・ベルガーの 1対2のトレードの形でフェラーリから ベネトンに移籍した1996年 アレジはマシンに苦しむベルガーに対し 2位4回 3位4回の合計8度の表彰台獲得 R3アルゼンチン R6モナコはFLも記録 年間順位4位 47ポイントは ジャン・アレジの生涯ベストリザルト しかし前年チャンピオン ベネトンが 1勝もできずにシーズン終了 チャンピオン争いにもほとんど絡めず チーム代表のブリアトーレからの アレジに対する評価は低かった 3年連続のチャンピオンを目論んだ ロス・ブラウン ロリー・バーン 二コラ・トンバジスらによる デザインのB196は2人のドライバ―に フィットせずチームもフェラーリに 僅差で敗れてコンストラクター3位 J・アレジとG・ベルガーは R14イタリアGPでは当時の最長記録となる 同じチームメイトで60GPを迎えた 以前の記録はレイトンハウス(マーチ)の I・カペリとM・グージェルミンの59GP #F1-1996年 #J・アレジ #BENETTON #F1キャリアベスト
J.ALESI 2回 3 1/43FW12C
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1973 9TH IXO FERRARI 312 B3 J.ICKX
ジャッキー・イクスはベルギー出身 ベルギー出身のF1勝利ドライバーは ブーツェン(3勝)イクス(8勝)の2人のみ 1973年フェラーリは 初のイギリス製シャーシを採用 これが裏目に出て1969年以来の未勝利 しかもR10オランダGP R11ドイツGPを 開発の為欠場という事態を招いた R13イタリアGP予選14位→決勝8位 を最後に長年過ごしたフェラーリを離脱 皮肉にもフェラーリ欠場のドイツGPに イクスはマクラーレン(3台目)で参戦 レギュラー2人を上回る予選4位→ この年唯一の3位表彰台を獲得しています #F1-1973年 #F1
J.ICKX F1マシンコレクション 1973 7FW12C
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1984 7TH SPARK RENAULT RE50 D.WARWICK
1984年はワーウィックの ベストシーズン ルノーに移籍 チームメイトはP.タンベイ 開幕戦 ブラジルGPで予選3位 39週目にトップに立ち勝利目前 フロントサスペンション 壊れ惜しくもリタイヤ 昨年までルノーの プロスト(マクラーレン)が勝利 その後は2位2回 3位2回 FL1 生涯4回の表彰台は全てこの年 完走は6回中5回入賞もリタイヤ10回 モデルはR5フランスGP(予選7位→決勝R) タンベイがPP→2位獲得 最終R16ポルトガルでは ルノーチーム3台目をP.ストレイフが出走 こちらもモデル化を希望 #F1-1984年
D.WARWICK 14 1/43 RENAULTFW12C