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1978 (33RD) PMA WOLF FORD WR1 B.RAHAL
アメリカCART 3度チャンピオン ボビー・レイホール 2戦限りのF1参戦 1986年インディー500 優勝 アメリカCART 3度チャンピオン ボビー・レイホール 栄光を掴む前の1978年はF1に2戦限り参戦 チームはWOLFのセカンドカー R15アメリカGP 予選20位→決勝12位 R16カナダGP 予選20位→決勝リタイア モデルはカナダGP仕様 旧型マシンのWR1 ドライバ―としてはF1では2戦限り参戦 2001年はF1ジャガーのチーム代表を務めたが 思うような成績は残せずF1界から去った
230102 B.RAHAL 21 1/43FW12C
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1995 (27TH) PMA SIMTEK FORD S951 D.SCHIATTARELLA
シムテック21戦での終焉 ドメニコ・スキャッタレーラ イタリア出身 1994年終盤の2戦 R15・R17をシムテックで参戦 1995年シムテックは野田英樹を起用する 予定であったがスポンサーからの支払いが 遅れて開幕~R5までをスキャッタレーラが ドライブすることとなった R2アルゼンチン予選20位→決勝9位 決勝9位は1994年R7フランスGP J・M・グーノン(予選26位→決勝9位)と 並びシムテックの決勝ベストリザルト R5モナコGPではスキャッタレーラが 予選20位で通過も決勝を走れないほど チームの資金が悪化して結局このGPで シムテックはF1を撤退 スキャッタレーラもこの年がF1最後 野田英樹はスポンサーからの資金が 支払われたにもかかわらず シムテックでの出場は幻となった #1995
D.SCHIATTARELLA 11 1/43 SIMTEKFW12C
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1995 (26TH) ONYX PACIFIC FORD PR02 B.GACHOT
1991年ルマン24時間レース覇者 ベルトラン・ガショー 最後のマシン 1995年ガショーはパシフィックの 共同オーナー側で携わる予定も他者の 契約問題もありR1~8・R15~17の11戦出走 R17オーストラリアGPの8位がベスト モデルはR6カナダGP仕様で 予選20位→決勝リタイヤ 当初はベルギー国籍であったが 1992年よりフランスの国籍に 父親はEC(現EU)の高官 予備予選参加41回 通過25回は どちらも歴代1位の数字 1990年スバル・コローニで参戦 1991年マツダでのルマン24H優勝 1992年ベンチュリーで片山右京のTM など日本とも関わり多い F1引退後はエナジードリンク飲料会社 Hype Energyを買収しCEOを務めている 🏁ベルトラン・ガショー (フランス) 【決勝出走数】46回(入賞4回) 【予選最高位】10位(2回) 1991年 ジョーダン R2ブラジル 1992年 ベンチュリー R13イタリア 【決勝最高位】 5位 1991年 ジョーダン R5カナダ 【ファステストラップ】 1回 1991年 ジョーダン R10ハンガリー #F1-1995年 #F1-LAST
B.GACHOT 16 1/43 PACIFICFW12C
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1994 (33RD) SPARK LIGER RENAULT JS39B F.LAGORCE
1994年は46名のドライバ―がエントリー (A.モンテルミニのみ決勝未出走) 46名のドライバ―の出身国ランキング 3位 イギリス 7名 2位 イタリア 9名 1位 フランス 11名 11名のフランス人ドライバーで 最後にエントリーしたのが フランク・ラゴルス 1992年フランスF3チャンピオン 1994年国際F3000で2位 リジェのテストドライバーから J・ハーバートの移籍問題により R15日本GP 予選20位→決勝R R16オーストラリアGP(モデル仕様) 予選20位→決勝11位 の2戦のみの出場 1995年リジェ 1996年フォルティの テストドライバーもF1参戦はできず F1生涯出走回数は2回のみですが SPARKによりモデル化されました #1994
F.LAGORCE 25 1/43 GITANESFW12C