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1999 2ND HOT WHEELS FERRARI F399 E.IRVINE
エディ・アーバイン 初優勝 最終チャンピオン争いFERRARI F399 1999年フェラーリ3年目アーバイン 開幕戦オーストラリアGP 予選6位からスタートで3位に上がると 上位のマクラーレンの2人が脱落 そのままトップに立ち初優勝 自身本格参戦6年 82戦目での栄冠 この時の表彰台は 2位H・H・フレンツェン(ジョーダン) 3位R・シューマッハ(ウイリアムズ)の ファーミュラニッポン(全日本F3000)出身 優勝のインタビューでアーバインが 日本では星野というクソ速いドライバ―がいて なかなか勝たせてもらえなかった旨を発言し 隣の2人のドライバ―も頷いていた ミハエル離脱後はフェラーリのエース 年間4勝をあげるも最終戦で ミカ・ハッキネン(マクラーレン)に逆転され 惜しくもタイトル逃し年間2位 エディー・アーバインは ミハエル・シューマッハに勝つためには 違うチームでなければならないという 想いが強くなり翌2000年新規ジャガーに移籍 モデルはホットウィール 1999年からフェラーリと独占契約 この年限りの台座で紅白の縁石と 跳馬フェラーリのロゴがデザイン
231209 E.IRVINE 1回 4FW12C
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1979 6TH PMA LIGIER FORD JS11 P.DEPAILLER〖🏆1〗
人生は楽しむためにあるのスタイルを貫いた パトリック・ドュパイエ フランス出身 長年在籍したティレルを離れ 1979年は母国フランスのリジェに所属 TMはジャック・ラフィーのフランス人コンビ フランスチーム初のグランドエフェクトカー リジェJS11は開幕戦から2戦連続の 予選フロントロー独占して周囲を驚かせる ドュパイエも7戦目までで 予選平均2.85位(ラフィーも同率) 決勝もR5スペインで優勝(モデル仕様) 5度の入賞でランキング3位につける しかし趣味のハンググライダーで 両足骨折の事故を起こし8戦以降は欠場 開発能力の高いドュパイエの離脱で チームも勢いを失い後半失速 R4アメリカ東 ロングビーチでは ノーズの先端に穴をあけて急造ダクトを作成 現代では考えられない荒業を実施してます ドュパイエ予選4位→決勝5位 画像7 #F1-1979年
P.DEPAILLER 1回 25 1/43FW12C