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1980 8TH QUARTZO RENAULT RE20 J.P.JABOUILLE
2年連続入賞が優勝のみ ジャン・ピエール・ジャブイーユ ジャブイーユはルノー4年目 チームメイトは前年同様R・アルヌー 開幕戦よりニューマシンRE20を投入 この年もターボエンジンに左右され 予選ではPP2回 2位4回と速さを見せたが R9までに完走扱いの10位が1回のみ この間にアルヌーが2勝を含む入賞を4回 ジャブイーユのチーム内の立場も 微妙のものになっていった R10オーストリアGPは 予選2位からトップに立ち アラン・ジョーンス猛追をしのぎ 最後は0.8秒差で逃げ切り優勝 ジャブイーユの自身2勝目は 2年連続の入賞が優勝のみの珍しい記録 R13カナダGPのブレーキトラブルで クラッシュし両足を骨折 最終戦を欠場するとともにルノーを離脱 ターボエンジン開発ドライバ―として 多くのチームから声がかかる中 翌1981年はリジェへ移籍 RE20のマシンは号数で2番目の数値を 表記する場合がありこのモデルは 開幕のアルゼンチン仕様でRE22の表記 #F1-1980年
230722 J.P.JABOUILLE 1980 15FW12C
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1998 11TH PMA SAUBER C17 PETRONAS J.ALEJI
ザウバー移籍のジャン・アレジ 意地の最後の表彰台 SAUBER C17 ベネトンのシートを失ったアレジは かつて国際F3000時代に所属していた ジョーダンに懇願するもかなわず チームプロストはアレジを欲しがったが プジョーエンジンが拒否 最終的にかつてのチームメイト G・ベルガーの推薦もありザウバーに移籍 この年アレジは16戦中12回完走と 安定した走りを見せて R10オーストリアでは予選2位 R13ベルギーでは混戦生き残り3位表彰台 結果F1でアレジ最後の32回目表彰台 予選・決勝ともチームメイトの ジョニー・ハーバートに勝り 年間では9ポイントの11位 翌年もサウバーに残留 こちらのモデルはMuuseoではお馴染みの アダムスキー(当時はPSYCHEDELIA)で 2009年6月に購入 #F1-1998年
230416 J.ALESI 14 1/43FW12C
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1998 11TH PMA SAUBER C17 PETRONAS "TOWER WING" J.ALEJI
R3 アルゼンチンGP 予選11位から決勝に挑んだアレジは スタートで7位まで順位を上げて その後ポイント圏内を走行 27周目にピットインをした際に 右側のタワーウイングを インパクトレンチのホースにひっかけ 片側だけが折れるという事態に これにより11位まで順位を落としたが 左のタワーウイングのみで走行継続し その後は着実に順位を上げて 最終的には5位でフィニッシュ サウバー移籍初ポイントを上げた この件がきっかけとなり R5スペインGPよりタワーウイングが 安全上の理由により禁止とされたが 美観を損ねるという理由が 支持されたとみられている #F1-1998年
230416 J.ALESI "TOWER WING″ 2.222FW12C
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1971 11TH SPARK MATRA MS120B C.AMON
F1未勝利ドライバ― クリス・エイモン 非選手権GPでの勝利 MATORA MS120B C・エイモンはマーチからマトラに移籍 TMはJ・P・ベルトワーズ マシンは昨年の改良型MS120B 開幕 南アフリカGP 予選2位→決勝5位 R2スペインGP 予選3位→決勝3位表彰台 モデルはR5フランスGP仕様 ポールリカール 予選9位→決勝5位入賞 R9イタリアGPは3年ぶりのポールポジション 決勝は8人のドライバーがTOPに立つ大混戦 終盤エイモンもリーダーラップを記録するも ヘルメットのシールドが外れてるという 悲運もあり6位に終わる F1では生涯未勝利に終わったエイモンがだ 1971年の開幕戦前の非選手権の アルゼンチンGPでは優勝をしている #F1-1971年
220917 C.AMON 20 1/43FW12C
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1981 13TH BRUMM FERRARI 126CK TURBO D.PIRONI
リジェよりフェラーリ移籍 ディディエ・ピロー二 FERRARI 126CK 1981年フェラーリは引退した J・シェクターの後任として フランス出身のD・ピロー二を起用して G・ヴィルヌーブとコンビを組んだ フェラーリ初のターボエンジン搭載で あったが熟成に苦しみ入賞は4回 4位1回 5位3回で表彰台は無しに終わる 年間順位は13位 9P FL1回 TMのG・ヴィルヌーブは2勝を含む 表彰台3回の年間順位 7位と 差をつけられたものの 予選に関しては後半7戦で ピロー二が4度上回るなど徐々に 互角の戦いをするようになり 運命の翌1982年を迎える モデルはR13イタリアGP仕様 予選8位→決勝5位入賞 ピロー二がフェラーリで走行した 唯一のイタリアGP モンツァ #F1-1981年 #FERRARI #BRUMM #F1
D.PIRONI 1回 28 1/43FW12C
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1996 9TH PMA LIGIER MUGEN HONDA JS43 O.PANIS
MUGEN HONDA エンジン 初優勝 O・パニス唯一 リジェ最後の勝利 1996年R6モナコGP 決勝は暴風雨 予選14位のリジェ オリビエ・パニスは 朝のウォームアップランはトップタイム 当初ガソリンを満タンにして ノンストップの戦略をを取った 上位陣のリタイヤと安定した走りで モナコGPながら数台オーバーテイク 36周目には3位に浮上すると トップ走行のD・ヒル(ウイリアムズ) J・アレジ(フェラーリ)が相次ぎリタイア 59周目にトップに立ち2時間を超えた為 75周でレースが打ち切られて パニスがトップでチェッカー 最後はコース上に3台のサバイバルを制した MUGEN HONDA エンジン 初優勝は オリビエ・パニスのキャリア唯一の勝利 リジェも1981年ジャック・ラフィー以来 15年ぶりの優勝 リジェ通算最後の9勝目 翌1997年リジェはプロストに買収 1976年から21年間のF1参戦の幕を閉じた モデルは優勝モナコGP記念モデル フランス国旗のウイニングラン仕様 タバコ GAULOISESにデカール加工 画像2はオリジナルの加工前のモデル 画像3~6はPMA通常モデル こちらもGAULOISES仕様に変更 #無限エンジン初優勝 #F1-1996年 #リジェ最後のマシン #LIGIER #F1
O.PANIS 6.000 9 1/43FW12C
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1979 13TH SPARK RENAULT RS10 J.P.JABOUILLE〖🏆1〗
記念すべきルノーとターボエンジン初勝利 ジャン=ピエール・ジャブイユ フランス出身 ルノー初参戦の1977年より所属で3年目 この年よりルノーは2台体制 TMはR・アルヌー R3南アフリカは前年より仕様のRS01で ルノー初のPPを獲得も決勝はリタイヤ ニューマシンのRS10をR5スペインで導入 迎えたルノー地元R8フランス ディジョン モデル仕様 (台座のRS11表記は間違い) ルノーは予選フロントローを独占 決勝は47週目にジャブイユがトップを奪い 後半は独走して自身初の優勝 これはルノーにとっても 1.5ℓターボチャージャーエンジンにとっても F1初の優勝 ターボエンジンの幕開けとなった これ以降はターボエンジンの信頼性問題で ジャブイユはポイント獲得ならず 予選ではポールポジションは4回獲得も フランスの優勝のみがこの年唯一のポイント #F1-1979年
J.P.JABOUILLE 15 1/43 RENAULTFW12C
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1994 11TH ONYX LIGER RENAULT JS39B O.PANIS
1994年にデビューのドライバ―で 後に勝利を得たのは3人 D・クルーザード 13勝 H・H・フレンチェン 3勝 オリビエ・パニス 1勝 パニスは1993年の国際F3000のチャンピオン 1994年リジェでデビュー TMはE・ベルナールのフランス人コンビ 新人らしからぬ安定の走りで 16戦中15戦完走(内1回失格) 周回数906週 周回率86.6%は全体1位 この年安定のルノーV10エンジンと チェザーレ・フィオリオが監督に就任した 後半戦からはチームが改善をして R9ドイツでは2位表彰台を獲得 TMのE・ベルナールも3位 3回入賞で9ポイント 年間11位 この後リジェ~プロストのエースとして 長きに渡りF1に参戦する #F1-1994年
O.PANIS 26 1/43 LIGIERFW12C
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2001 10TH PMA RED BULL SAUBER PETORONAS C20 K.RAIKKONEN
キミ・ライコネンのデビューは異例 F3やF3000の経験もなく4輪のレースは フォーミュラ.ルノーなどわずか23戦のみ オーナーのペーター・ザウバーが 2000年9月のテストに呼び 当時のスポンサーであるレットブルが推す E.ベルノルディを抑えてシート獲得 スパーライセンスも4戦限定の仮で発給 初戦オーストラリアGPは7位フィニッシュも レース後4位のパニス(BAR)が黄旗無視で 25秒のペナルティーで6位入賞果たす その後もコンパクトで扱いやすいC20で 4位2回 5位1回トータル9ポイント獲得 翌年は早くも引退のM.ハッキネンに代わり マクラーレンのシート獲得 この時巨額の移籍金が発生してます 2001年は新人の当たり年(画像5枚目) ライコネン→モントーヤ →アロンソ→ベルノルディ #2021年ライコネン引退 #F1 #ライコネン
K.RAIKKONEN 17 1/43 SAUBERFW12C
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1991 9TH PMA JORDAN FORD 191 A.DE.CESARIS
1991年チェザリスはAGSとの契約撤回 新規ジョーダングランプリで参戦 チームメイトはB.ガショー含む4人 (シューマッハ/モレノ/ザナルディ) 初戦こそ予備予選不通過も モデルのR5カナダGP 予選11位→4位 ここからキャリアハイの 3戦連続含む 5戦中4戦入賞 15戦中10戦完走 完走率60% チェザリスらしからぬ?活躍 チームもコンストラクター5位に躍進 モデルは3種類 PMA CANADA GP仕様(無)LTD 270 PMA 初期版 (FUJI FLIM) ONYX (tic tac) でサイドのスポンサーが異なります 7UPグリーンが美しい 1年で終了がもったいないカラーリングです #F1-1991年 #F1
A.DE.CESARIS 270 33 1/43FW12C