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1980 4TH SPARK LIGIER JS11-15 J.LAFFITE〖🏆1〗
ジャック・ラフィー通算4勝目 リジェ最高成績コンストラクター2位 1980年リジェは前年度3勝 リジェ史上最高マシンとも呼ばれるJS11の 改良版JS11/15を開幕戦より投入 エンジンは前年よりフォード コスワース ドライバーはリジェ5年目のラフィー チームメイトは新規加入のD・ピロー二 ピロー二がR5スペインGPで優勝 ラフィーもR9ドイツで勝利 両ドライバ―とも1勝含む5回の表彰台 年間順位では ラフィーが4位34P ピロー二が5位32P チームトータル66Pは年間2位で リジェ史上のコンストラクター最高成績 リジェの通算勝利は9勝 JS11~JS11/15のマシンで半数以上の5勝 モデルはラフィーが勝利したR9ドイツGP仕様 タバコ広告の規制の為リジェの代名詞の GITANESのロゴが無く 小さなフラメンコダンサーのみが マシンに貼られている
230714 J.LAFFITE 1980 1回FW12C
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1961 【WORLD CHAMPION】QUARTZO FERRARI DINO 156 P.HILL〖🏆2〗
🔲🔲🔲1961🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 FERRARI DINO 156 🟥🟥P.HILL🟥🟥 🔲🔲🔲全8戦🔲🔲🔲 【出走】7回【PP】2回 【優勝】5回【FL】2回 1961年は全8戦のシーズン R6終了時点でフェラーリのフィル・ヒルは 僚友ヴォルフガング・フォン・トリップスに 4ポイント差での2位 R7イタリアGP PPスタートのフォン・トリップスは ジム・クラーク(ロータス)と接触 観客を巻き込む事故となり自身も即死 フィル・ヒルはこのGPにシーズン2勝目 フォン・トリップスの死亡により アメリカ人初のワールドチャンピオン誕生 しかしレース後に僚友の死を聞かされた ヒルは表彰台で人目も気にせず号泣 最終戦地元で凱旋となるはずだった アメリカGPはチームとも欠場した フィル・ヒルの通算勝利数は3勝は 1958年のマイク・ホーソン(イギリス)と 並びワールドチャンピオン通算最少勝利数 1960年イタリアGPでのDINO 246での優勝は フロントエンジン搭載車の最後の勝利
230604 P.HILL 1961 2回FW12C
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1978 5TH SPARK TYRRELL 008 P.DEPAILLER〖🏆1〗
パトリック・デュパイエ 最後のティレル モナコで初勝利 TYRRELL 008 1978年ティレルは6輪のP34から オーソドックスなマシン 008へ変更 P・デュパイエはティレル5年目 チームメイトはディディエ・ピロー二 開幕4戦で表彰台3回(2位1回 3位2回) 好調で迎えたR5モナコGP シーズンベストの予選5位から デュパイエの初優勝 フル参戦5年目 69戦目の勝利 モデルはそのモナコGP仕様 その後はやや低迷 完走率は50% 年間で表彰台5回 入賞7回 年間5位 約5年間過ごしたティレルを離れ 翌1979年は母国フランスのリジェに移籍 #F1-1978年
230103 P.DEPAILLER 1978 4FW12C
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1984 3RD SPARK LOTUS RENAULT 95T E.DE.ANGELIS
エリオ・デ・アンジェリス キャリアベスト 年間3位 LOTUS RENAULT 95T ロータス5年目のアンジェリス TMは4年連続でナイジェル・マンセル 新車LOTUS 95Tはレギュレーション 変更に合わせ小型化 タイヤを ピレリ→グッドイヤーに変更 開幕戦ブラジルでPP獲得→決勝3位 その後は開幕から10戦連続完走 9戦入賞 4度の表彰台と安定した走り 最高位はモデル仕様のR8アメリカEAST デトロイトGPでの予選5位→決勝2位 優勝は無かったもののマクラーレンの N・ラウダ A・プロストに次ぐ年間3位 アンジェリスのキャリアベスト 翌1985年もアンジェリスはロータスに残留 N・マンセルが移籍でA・セナが加入する こちらのモデルは2022年6月に発売 John Player Specialのタバコデカールが 最初から添付された状態で販売 今後はこれがスタンダードとなるのか?? それも含めてか値段もUPされ SPARK F1モデルは定価が 2009年発売当初に比べて約2400円UP 時代の流れなので仕方ないのでしょうか… #F1-1984年
E.DE.ANGELIS 11 1/43 John Player SpecialFW12C
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1982 4TH Quartzo RENAULT RE30B A.PROST 〖🏆2〗
#1982 #RENAULT
A.PROST 15 1/43 RENAULTFW12C
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1991 5TH IXO FERRARI 642 A.PROST
今のフェラーリは赤いカミオン 発言 プロストフェラーリ解雇 FERRARI 642 1991年プロストはフェラーリ2年目 チームメイトにジャン・アレジを迎える 前年度好調だった641/2の改良版642を投入 シーズン前のテストでは好タイムを連発し プロストがチャンピオン最有力と見られていた 開幕戦アメリカGPは予選2位→決勝2位 その後は優勝争いにさえ加われない状況が続き チェザーレ・フィオリオ監督が解雇 R7フランスGPからはニューマシン643が投入 フランスでは予選2位→決勝2位と健闘するも 結局プロストはデビューイヤーの 1980年以来の未勝利に終わった R15日本GP鈴鹿で4位入賞後にプロストは 『今のフェラーリは赤いカミオン(大型トラック)だ』 との発言がフェラーリ幹部の逆鱗に触れチームを解雇 翌1992年はリジェでのテスト参加したものの 将来的な契約で合意に至らず1年休養となった モデルはIXO(hachette) 公式フェラーリF1コレクション 表記的にはF1-91 GP表記はないものの サイドポッドの流れるような円形の曲線の為 開幕戦アメリカ R2ブラジル仕様と思われる 画像8枚目はONYX R7フランスGP以降仕様された FERRARI 643 #1991
A.PROST フェラーリF1コレクション 27 31FW12C
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1990 6TH PMA WILLAMS RENAULIT FW13B T.BOUTSEN〖🏆1〗
#1990 #FW13B #F1-1990年 #振り向けばブーツェン
T.BOUTSEN 470 5 1/43FW12C