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1979 7TH PMA LOTUS 79 C.REUTEMANN (GP ITALIAN)
通常版とは異なり後に発売された 1979年ロータス79 カルロス・ロイテマン R13 イタリアGP仕様車 1979年後半戦はLOTUS79のBスペック ともいうべきマイナーチェンジが施され モデルカーはドライバーフィギュア等の 改良バージョンで発売 かつてイギリスにあった石油会社 エセックス・ペトロリウムがサイドポッド イタリアの酒造メーカー マルティーニ・エ・ロッシの カラーリングも変更されている イタリアGP ロイテマンは 予選14位→決勝7位 全15戦中 前半7戦は6度の入賞 後半8戦は入賞無しに終わり ロータスを1年で去りウイリアムズに移籍 このイタリアGPはチームメイトの マリオ・アンドレッティが後半戦で チーム ロータス唯一となる5位入賞している ブリティッシュ グリーンと マルティーニのロゴはこの年限りであるが ミニチャンプスで2種発売された事? またこの年のロータスの成績不振もある為? セコハン市場でも価格は抑えられている ⬇️通常版 ロータス79 ロイテマン https://muuseo.com/FW12C/items/699?theme_id=34203
240228 C.REUTEMANN 1979 2FW12C
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1967 4TH IXO HONDA RA300 J.SURTESS〖🏆1〗
第1期HONDA 2勝目 ジョン・サーティス HONDA RA300 1967年HONDA第1期4シーズン目 ドライバ―はクーパーから 1964年チャンピオンのサーティスが移籍 そのサ―ティスが大株主であった イギリスのローラ社と提携 予算縮小もあり1台体制での参戦 R9イタリアGPニューマシンRA300を導入 予選は9位からスタート 終盤までトップが5名のドライバーで 入れ替わる大混戦の中 最終ラップでサ―ティスは J・ブラバム(ブラバム)のインを差し 最後はわずか0.2秒差で勝利 RA300でのデビュー戦の勝利は 僅かリードラップ1周での勝利 その後RA300がトップを走行は無く 第1期HONDAの最後の2勝目で サ―ティスの通算最後の6勝目でもあった
230613 J.SURTEES F1マシンコレクション 1967FW12C
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1998 6TH PMA JORDAN MUGEN HONDA 198 D.HILL〖🏆1〗
無限HONDA搭載 デイモン最後の勝利は ジョーダン初優勝 MUGEN HONDA 198 1998年ジョーダンは無限HONDAエンジン獲得 ドライバ―もデーモン・ヒルを迎えて 盤石な体制と思われたが チームメイト ラルフ・シューマッハと共に 前半戦を終えてまさかのノーポイント しかし後半覚醒しデーモン・ヒルは R10ドイツGP R11ハンガリーGPで連続4位 そしてR12ベルギーGPでは シーズンベストとなる予選3位から 優勝を2位ラルフと1・2フィニッシュで決めた ジョーダンは1991年参戦以来137戦目で 嬉しい初優勝 ヒルは最後の22勝目 最終戦の鈴鹿最終コーナーでヒルは H・Hフレンツェン(ウイリアムズ)を抜き4位入賞 コンストラクタ―でもランク4位となった 画像1 イギリス限定発売 ハイボックス ドイツGP仕様 限定4.999個 画像2 通常版 2台のモデルに違いを見つける事ができない‥
230508 D.HILL 4.999 9FW12C
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1997 8TH PMA JORDAN PEUGEOT 197 G.FISICHELLA
ジャンカルロ・フィジケラ ジョーダン移籍 初ポイント・初表彰台・初FL JORDAN 197 G・フィジケラはミナルディからジョーダンへ ラルフ・シューマッハと24歳・21歳の若いコンビ R3アルゼンチンで同士討ちで早くも関係悪化 R4サンマリノGPで予選6位→決勝自身初入賞4位 フィジケラの通算入賞回数は73回 R6スペインで初ファイナルラップ R7カナダで3位 R12ベルギーで2位 表彰台2回獲得 通算表彰台は19回 R10ドイツGPでは予選2位から G・ベルガー(ベネトン)と高速バトルで 優勝を争った(結果はパンクで11位) この年ジョーダンはスポンサーの B&Hの意向もあり鮮やかなイエローに変更 チームが終了する2005年までこのカラー継続 戦闘機のノーズアート風のグラフィックで ノーズコーンをスネークヘッドに見立てた カラーリングが注目された遊び心ある1台 #F1-1997年
221104 G.FISICHELLA 1回 12FW12C
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1967 5TH HOT WHEELS FERRARI 312 C.AMON
最強の未勝利ドライバ― クリス・エイモン ル・マン24時間優勝経てフェラーリ移籍 1967年それまでローラやプライベーターで 参戦してきたクリス・エイモンは 前年B・マクラーレンと組んだ ル・マン24時間での優勝などが評価され フェラーリに移籍 TMはL・バンディーニ フェラーリ初戦のR2モナコGPでは 予選14位ながら決勝は3位表彰台獲得 エイモンの生涯表彰台は11回 このGPではフェラーリのエースであった L・バンディーニが不運もあり事故死 エイモンは実質1人でフェラーリを支えた 最終的に3位を4回など6度の入賞で 年間順位は5位(ポイントは4位タイ) これはエイモンの生涯ベストリザルト #F1-1967年
221021 C.AMON 8 1/43FW12C
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1975 7TH PMA TYRRELL FORD 007 J.SCHECKTER〖🏆1〗
同一マシンによる兄弟同時出走 地元南アフリカGP優勝 J・シェクター 1975年ジョディー・シェクターは フル参戦ティレル2年目 TMは昨年同様パトリック・デュパイエ 前年途中投入して2勝をあげたマシン TYRRELL 007で1975年シーズンも戦い R3地元南アフリカGP 予選3位から優勝 このGPのは兄のイアン・シェクターも プライベートチーム Lexington Racing ティレル007で出場 予選17位→決勝リタイア 兄弟が同一GPを同一マシンで出場した ジョディー・シェクターは優勝含む表彰台3回 年間順位は7位 完走率は78%と高かったが 7位2回 8位2回と入賞に届かない レースが多かった 翌1976年もティレルに残留 革新的マシンTYRRELL P34に出会う #F1-1975年
220930 J.SCHECKTER 1975 1.392FW12C
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1976 8TH+α SPARK LIGIER JS5 J.LAFFITE
F1参戦初年度リジェ ジャック・ラフィー 予選 PP 決勝表彰台 3回 FL 獲得 1976年R4スペインGPから規定で 高いインダクションポッドが禁止された為 所謂〖ティーポット〗は姿を消し オーソドックスなマシンに変化 マシンの見た目は変わったものの JS5は十分な速さを備えており R5ベルギーGP予選6位→決勝3位 参戦5戦目で早くも表彰台を獲得 R11オーストリアGP予選5位→決勝2位 R13イタリアGPでは予選PPを獲得 決勝も3位に入り3度目表彰台を獲得 R16富士SWではファステストラップも記録 ◆R16日本(富士SW)予選11位→決勝7位◆ リジェは初年度 1台のエントリーながら コンストラクタ―6位(当時の解釈では5位タイ) ラフィーも20ポイント獲得して年間8位 この後ラフィーはトータル9シーズンを リジェで過ごし生涯6勝のすべてをあげる SPARKのF1としては2台目に購入したモデルで 不良があって交換した思い出のある1台 インパクトはティーポットJS5が断然上↓↓ #F1-1976年 #1976 https://muuseo.com/FW12C/items/881?theme_id=35914
J.LAFFITE 1976 1回 26FW12C
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1976 7TH IXO PENSKE PC4 J.WATSON 〖🏆1〗
チームペンスキー F1唯一の勝利は ジョン・ワトソンの初優勝 1958年設立のアメリカのレジェンド チームペンスキーは1974年から途中参戦 1976年はJ・ワトソンが前年末よりドライバ― R7スウェーデンGPよりニューマシン PENSKE PC4導入後成績が上昇 R8フランスR9イギリスで連続3位表彰台 フェラーリが欠場したR11オーストリアは 予選2位 決勝12週目からトップKEEPし優勝 この勝利はチームペンスキー唯一の勝利 F1通算5勝のワトソンの初勝利 そして前年度同じオーストリアGPで ペンスキー所属で命を落とした マーク・ダナヒューへ捧げる勝利でもあった チームはこの年限りで撤退 コンストラクター名は残るもATSへ売却 ワトソンは優勝含む表彰台3回 5度の入賞で年間順位は7位 ◆R16日本(富士SW)予選4位→決勝リタイア◆ 翌1977年はブラバムに移籍します #1976年 #F1-1976年 #F1-初優勝 #F1 #デアゴスティーニ https://muuseo.com/FW12C/items/675
J.WATSON F1マシンコレクション 1976 28FW12C
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1976 8TH SPARK LIGIER JS5 J.LAFFITE
フランスチーム リジェ デビューマシン LIGIER JS5 1976年新興のフランスチームリジェが参戦 当初ドライバーはJ・P・ベルトワーズの予定 しかしテストでJ・ラフィーが好タイムを出し ラフィーの1台体制で初年度向かえた エンジンはマトラ製 そしてなにより フランス国営のタバコGITANESがスポンサー 以降20年間潤沢な資金でリジェを支えた デビューマシンのJS5は 巨大なインダクションポッドと GITANESのフランメンコダンサーが目を引き その形状から〈ティーポット〉と揶揄された 形状とは裏腹にいきなりの好走を見せる 開幕戦予選11位 R2予選8位と好位置獲得 R3アメリカWEST LONG BEACHでは 予選12位からトップと同一周回での4位入賞 リジェにチーム初入賞をもたらした レギュレーション変更に伴い 〈ティーポット〉は開幕3戦で終了 2009年のSPARK F1の初期に発売のモデルで ドライバ―のヘルメットが若干大きい 人気のモデルで大阪のモデルガレージロムが 独占で再生産販売もしている #1976 #LIGIER #F1-1976年
J.LAFFITE 1976 1回 26FW12C
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1982 11TH BRABHAM BMW BT50 N.PIQUET 〖🏆1〗
1982年の11人のWINNERSの7人目 前年度Wチャンピオン ネルソン・ピケ ブラバムはBMWエンジン搭載の BT50を開幕から投入 エンジン初期トラブルで R2ブラジルGPは前年度の改良型の BT49D FORDでトップでチェッカーも 重量規定違反で失格となる R7アメリカでは予選落ちするも R8カナダで予選4位→優勝 1982年7人目のWINNERとなったが 年間はこの1勝に終わり 前年度ワールドチャンピオンが まさかの年間順位11位と苦戦 BT50はFIで初めてR10イギリスより 走行中のマシンデータをピットから モニタリングできる テレメトリーシステムを導入 BMWエンジンの燃費の悪さを補うため 燃料使用量を把握してピットイン時に 給油とタイヤ交換を行って ハイペースで走るという戦略を ゴードン・マレー発案で導入した #1983 #BRABHAM
N.PIQUET 2回 1 1/43FW12C
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1979 6TH PMA LIGIER FORD JS11 P.DEPAILLER〖🏆1〗
人生は楽しむためにあるのスタイルを貫いた パトリック・ドュパイエ フランス出身 長年在籍したティレルを離れ 1979年は母国フランスのリジェに所属 TMはジャック・ラフィーのフランス人コンビ フランスチーム初のグランドエフェクトカー リジェJS11は開幕戦から2戦連続の 予選フロントロー独占して周囲を驚かせる ドュパイエも7戦目までで 予選平均2.85位(ラフィーも同率) 決勝もR5スペインで優勝(モデル仕様) 5度の入賞でランキング3位につける しかし趣味のハンググライダーで 両足骨折の事故を起こし8戦以降は欠場 開発能力の高いドュパイエの離脱で チームも勢いを失い後半失速 R4アメリカ東 ロングビーチでは ノーズの先端に穴をあけて急造ダクトを作成 現代では考えられない荒業を実施してます ドュパイエ予選4位→決勝5位 画像7 #F1-1979年
P.DEPAILLER 1回 25 1/43FW12C
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1979 7TH PMA LOTUS 79 C.REUTEMANN
フェラーリを離脱したカルロス・ロイテマンは 1979年前年度チャンピオンのロータスに移籍 TMは前年度WCのM・アンドレッティ ロータスは新車のロータス80を準備も 戦力にならずロイテマンは 前年度のロータス79でフルシーズンを戦う 前半7戦中6回入賞も後半は入賞ゼロ 1979年は前半7戦中4戦分・後半8戦中4戦分が 有効のポイント制度の為 獲得25P→有効20P 年間順位は7位で終わりロイテマンは 1年でロータスを離脱します 1979年チームロータスは スポンサーがJohn Player Specialから イタリアの酒造メーカー マルティーニ・エ・ロッシに変更 WCジム・クラークのファンである ロッシ氏の希望により車体は ブリティッシュ・グリーンに塗られたが 成績不振もありわずが1年で終了 #1979年 #LOTUS #F1-1979年
C.REUTEMANN 2 1/43 LOTUSFW12C
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1975 8TH PMA McLAREN FORD M23 J.MASS 〖🏆1〗
ドイツ出身 ヨッヘン・マス 1973年にサーティスよりデビュー 1975年はマクラーレンよりフル参戦 R2ブラジルGP 予選10位→3位 自身初のポイントを表彰台3位で獲得 R4スペインGPは多重クラッシュで混乱の中 J.イクスを抜いてトップに立ち優勝 マスにとっては生涯唯一の勝利 途中中断があったこのレースは ハーフポイントとなり9P→4.5Pの優勝 ドイツ人ドライバ―の優勝はこの後 1992年のポルトガルGPの M.シューマッハまで現れなかった 1990年はそのシューマッハと メルセデスのドライバ―育成として スポーツカー世界選手権に パートナーとして参戦している #F1-1975年 #F1通算1勝 #F1
J.MASS 1975 504 2FW12C
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1982 10TH Quartzo BRABHAM BT-50 R.PATRESE 〖🏆1〗
1982年の11人のWINNERSの5人目 R.パトレーゼの初優勝(通算6勝) TMはN.ピケ前年チャンピオン アロウズから移籍 この年ブラバムは BMWエンジンの信頼性問題で BT49DをFORDV8 BT50をBMW4tで戦う変則シーズン R6モナコGP予選2位から 参戦5年目で初優勝(BT49D) モデルはR15スイスGP 予選3位→決勝5位(BT50) BT49Dは1.2.3位各1回 BT50は5位の入賞の1回のみ ピケは年間11位で1P差で パトレーゼは年間10位 #F1-1982年
R.PATRESE 2 1/43 BRABHAMFW12C