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1974 (37TH) IXO (TEAM GUNSTON) LOTUS 72E I.SCHECKTER
シェクター兄 イアンデビュー TEAM GUNSTON LOTUS 72E 1974年 R3南アフリカGP 弟ジョディ・シェクターから遅れること2年 イアン・シェクターが地元GP スポットで TEAM GUNSTONからF1デビュー このGPは同チームから同郷の パディ・ドライバーが11年ぶりに エントリーで初の決勝進出を果たしている イアン・シェクターは 予選22位→決勝13位でフィニッシュ 弟のジョディはティレルより参戦 予選8位→決勝8位 兄弟同時完走 イアンは同年R12オーストリアGPに ヘスケスからエントリーするも 0.290差で惜しくも予選落ちしている モデルはIXO デアゴスティーニ 日本未発売モデル ヨーロッパで発売されていた Formula 1 Auto Collection ラスト230号 GUNSTONは南アフリカのタバコブランドの為 デカールが貼られていない状態での発売 オレンジにブラウンストライプの入った GUNSTONカラー LOTUS 72E 2395
250124 I.SCHECKTER Formula 1 Auto Collection 1974FW12C
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1969 (20TH) Quartzo (Team Gunston) BRABHAM REPCO BT24 S.TINGLE
ローデシア出身 サム・ティングル 最後の出走 BRABHAM REPCO BT24 サム・ティングル ローデシア出身 ローデシアは現在のジンバブエで F1での同国出身エントリーは3名のみ ティングルは隣国であった南アフリカGPのみを スポット参戦1963年~1969年で5回出走 1969年はプライベターTeam Gunston マシンはブラバム レプコ BT24 開幕戦の南アフリカGP 予選はタイム出した中で最下位の17位 決勝はトップから7周遅れながら8位完走 キャリア5回の中でベストリザルト ティングルはこれがF1最後のレースとなり 最終レース時の年齢は47歳であった F1本戦ではポイント獲得はならなかったものの F1非選手権では3度の入賞がある モデルはQuartzo 南アフリカGP仕様 予選17位→決勝8位 Gunstonは南アフリカタバコで ブランドカラーはオレンジ 前年の1968年にF1で初めて タバコのスポンサーカラーを マシンに取り入れたのが このプライベートチームであった
240130 S.TINGLE 1969 17FW12C
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1975 (37TH) QUARTZO (TEAM GUNSTON) LOTUS 72E E.KEIZAN
プライベーター TEAM GUNSTON オレンジのLOTUS 72E E・ケイザン エディー・ケイザン 南アフリカ出身 南アフリカGPのみ出場したドライバ― 1973年1974年プライベーターでティレル004 1975年は南ローデシア(現ジンバブエ)出身 F1で2位表彰台の経験もあるジョン・ラブ 設立のプライベーターTEAM GUNSTONで参戦 マシンはロータス72Eを購入 チームのイメージカラーである オレンジに塗装して参戦 SHELLのオイル提供スポンサーも獲得 ケイザンはR3南アフリカGPに出場 予選は22位で通過決勝は13位完走 同じくガストンで参戦の南アフリカ出身 ガイ・タンマー予選25位→決勝11位 ちなみにこの1975年南アフリカGPは 11位 ガイ・タンマー LOTUS(TEAM GUNSTON) 12位 ジャッキー・イクス LOTUS 13位 エディー・ケイザン LOTUS(TEAM GUNSTON) 14位 ロニー・ピーターソンLOTUS LOTUSのマシンを使用した4名のドライバーが いずれも下位で4人連続のリザルトであった ケイザンとTEAM GUNSTONは このGPがF1でのラストレースとなった モデルはQUARTZO 1995年~1996年頃の発売と思われるが なかなかのマニアックなドライバ―と チームのモデルをリリースしていたのは 個人的には嬉しい所
230921 E.KEIZAN 1975 33FW12C
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1968 (26TH) SPARK (TEAM GUNSTON) BRABHAM BT20 J.LOVE
F1歴史上唯一 南ローデシア ドライバ― ジョン・ラブ BRABHAM BT20 ジョン・ラブ 南ローデシア出身 南ローデシアはアフリカ南部に位置する 旧イギリスの植民地で現在のジンバブエ こちらの出身ドライバ―はF1史上唯一 ラブは南アフリカGPのみを 毎年スポット参戦するドライバ― 1962年~1972年までエントリー 1964・1966年は南アフリカGPが未開催だが 1964年のみ代役でイタリアGPに エントリーも予選落ちしている このモデルは1968年のマシンで 1966・1967年のチャンピオンマシンである ブラバムBT20を購入してプライベート TEAM GUNSTONより参戦 フロントサス横に自身の名前を 赤地に白文字で【JOHN LOVE】と大きく 描かれたオレンジ色のマシンで 予選17位→決勝9位完走している ラブはF1では前年の1967年に 自身唯一の入賞を2位表彰台で飾っており 1964年の初代含む1969年まで 6度の南アフリカF1選手権チャンピオン #F1-1968年
230312 J.LOVE 17 1/43FW12C