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1995 (31ST) PMA SIMTEK FORD S951 J.VERSTAPPEN
ヨス・フェルスタッペン2年目 シムテックは5戦のみで撤退 フェルスタッペンは前年度の ベネトンの契約が残っており オートマチック用のギアBOX関連と 共に貸し出される形でシムテックの エースのシートを獲得 シムテックは資金難で新車S951は 開幕戦のブラジルGPでシェイクダウン それでもフェルスタッペンは予選で 中盤(ベストはR2アルゼンチン14位) など奮闘し決勝では一時6位を走行 開発資金はおろか運営資金もままならぬ チームはR5モナコで撤退 負債額は約600万ドル チームのあらゆるものが競売にかけられたが 僅か25万ドルにしかならなかった フェルスタッペンは個人スポンサー フィリップ・カー・ステレオの援助を得て 翌1996年はアロウズより参戦 フロントウイングとノーズのスポンサー BARBARAはモナコに拠点を置く スポーツなどのマネージメント会社 元々はローランド・ラッツェンバーガーの スポンサーであったがローランド亡き後も チームのサポートを継続 その一環として当時ヨーロッパで人気上昇の ロックバンドSELF CONTOROLをBARBARA社が 世界プロモ―ション活動として フロントウイングに 彼らのバンドのロゴが貼られています #F-1995年 #F1 #1995年
J.VERSTAPPEN 12 1/43 SIMTEKFW12C
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1995 (27TH) PMA SIMTEK FORD S951 D.SCHIATTARELLA
シムテック21戦での終焉 ドメニコ・スキャッタレーラ イタリア出身 1994年終盤の2戦 R15・R17をシムテックで参戦 1995年シムテックは野田英樹を起用する 予定であったがスポンサーからの支払いが 遅れて開幕~R5までをスキャッタレーラが ドライブすることとなった R2アルゼンチン予選20位→決勝9位 決勝9位は1994年R7フランスGP J・M・グーノン(予選26位→決勝9位)と 並びシムテックの決勝ベストリザルト R5モナコGPではスキャッタレーラが 予選20位で通過も決勝を走れないほど チームの資金が悪化して結局このGPで シムテックはF1を撤退 スキャッタレーラもこの年がF1最後 野田英樹はスポンサーからの資金が 支払われたにもかかわらず シムテックでの出場は幻となった #1995
D.SCHIATTARELLA 11 1/43 SIMTEKFW12C
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1994 (31ST) PMA SIMTEK FORD S941 D.BRABHAM
デイビット・ブラバム(オーストラリア) 父は3度のWC ジャック・ブラバム 兄のゲーリー・ブラバムも 1990年 ライフで予備予選出走 デイビットも1990年のブラバムから 4年ぶりのF1参戦 新規シムテック チームメイトが ①ローランド・ラッツェンバーガー ②アンドレア・モンテルミーニ ③ジャンーマルク・グーノン ④ドメニコ・スキャッタレーラ ⑤井上隆智穂 の5人 ローランドの悲劇 モンテルミーニの事故もあったが デビットは全戦参戦 モンテルミーニの事故の R5スペインGP決勝10位がベスト MTVやRUSSELL ATHLETICなどのスポンサー 独得なノーズ形状とカラーリング 当時若干27歳のニック・ワース作の マシンSA194は美しいフォルムで魅了も 残念ながら成績は伴わなかった #F1-1994年 #F1親子鷹
D.BRABHAM 31 1/43 SIMTEKFW12C
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1994 (34TH) PMA SIMTEK FORD S941 R.RATZENBERGER
ローランド・ラッツェンバーガー オーストリア出身 日本では全日本F3000や ツーリングカー選手権で活躍 F1新規チームシムテックとは 5戦の契約(序盤4戦+鈴鹿) 画像2枚目の初期版は流行の サイドディフレクターが装備 しかしローランドの搭乗時は 本来は未だ装着されておらず 画像1枚目ディフレクター無しの ニューバージョンで 再販された珍しパターン (ドライバ―フィギュアも変更) ローランド亡き後 S941は 彼を偲び【for ROLAND】と 入った彼のヘルメットの デザインされたインダクションポッド 上段になった(画像5枚目) 画像2枚目の初期版はMuuseoではおなじみの 【アダムスキー(当時はサイケデリア)】で購入 2009年6月20日 2500円 #1994 #ラッツェンバーガー #F1 #アダムスキー(サイケデリア)
R.RATZENBERGER 32 1/43 SIMTEKFW12C