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2000 (18TH) PMA RED BULL SAUBER PETRONAS C19 P.DINIZ
ペドロ・ディニス 有終の美とはならず 最後のマシン SAUBER PETRONAS C19 2000年ペドロ・ディニスはザウバー残留 チームメイトは1998年にアロウズでも 同僚であったミカ・サロが加入 ディニスの地元R2ブラジルGPでは リアウイングが脱落するアクシデントで チームは2台とも予選終了後に欠場した ディニスの予選最高はR15アメリカGP9位 決勝最高はR6ヨーロッパGP7位 参戦初年度1995年フォルティ以来の シーズンノーポイントに終わる その資金力から多数のオファーが あったもののディニスはドライバーを引退 翌2001年はチームプロストの株式40%を 取得し共同オーナーとなったが チームを取得を目指しプロストと対立 シーズン半ばでF1界から去って行った モデルはミニチャンプス 最終戦R17マレーシアGP仕様 予選20位→決勝リタイア ディニスのF1ラストレース 車体にマレーシアの国旗が描かれている 🏁ペドロ・ディニス (ブラジル) 【決勝出走数】98回 (入賞8回) 【予選最高位】7位 1997年 ARROWS R12 ベルギー 【決勝最高位】5位(2回) 1997年 ARROWS R15 ルクセンブルグ 1998年 SAUBER R13 ベルギー
240221 P.DINIZ 2000 1.999FW12C
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1999 14TH PMA RED BULL SAUBER PETRONAS C18 P.DINIZ
チームメイトに年間で勝利 P・デニス SAUBER PETRONAS C18 1999年デニスはアロウズからサウバーに移籍 チームメイトはジャン・アレジ デニスは強力なブラジルスポンサーマネーを チームにもたらすだけでなく ドライバ―としても勤勉化であった為 中堅チームからはオファーが絶えなかった デニスはギアボックストラブルなどもあり 年間での完走は僅か4(/16戦)回 しかしその完走の内の3戦で ねばりの6位入賞を果たした (R6カナダ R8イギリス R9ドイツ) この3Pで年間14位となり チームメイトのアレジ(2P)を上回った デニスは翌2000年もサウバーに残留 再びミカ・サロとタッグを組むことになる モデルはミニチャンプス デニス車はミラーとシート周辺は黄色 アレジ車は赤で区別されている この時代のザウバーは似たような カラーリングが多く セコハン市場価格も抑え気味
231103 P.DINIZ 1999 1/43FW12C
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1999 15TH PMA SAUBER PETRONAS C18 J.ALESI
ザウバー2年目 ジャン・アレジ チーム不振で批判合戦 SAUBER C18 1999年ザウバー2年目のアレジ チームメイトはペドロ・デニス ザウバーは新規でXトラック製の 7速ギアボックスを導入したが これが裏目となりトラブル多発 フェラーリV10エンジンとの相性も悪く シーズン当初から問題に悩まされた それでもアレジは予選では1発の速さを見せ R5スペイン予選5位 R7フランス雨を利用して予選2位 しかし決勝はR3サンマリノ6位 最終R16日本6位の2度の入賞のみで 1989年のデビュー以来最悪の成績 チームメイトのペドロ・デニスにも 1ポイント差で敗れ年間15位 チームオーナーのペーター・ザウバーとも チームとドライバ―批判合戦で 不仲となりザウバー2年目で離脱 翌2000年はプロストに移籍 ミニチャンプスの1999年モデルより ドライバ―フィギュアが各段に良くなり ドライバ―の腕が独立していいる
230826 J.ALESI 1999 11FW12C
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1998 11TH PMA SAUBER C17 PETRONAS J.ALEJI
ザウバー移籍のジャン・アレジ 意地の最後の表彰台 SAUBER C17 ベネトンのシートを失ったアレジは かつて国際F3000時代に所属していた ジョーダンに懇願するもかなわず チームプロストはアレジを欲しがったが プジョーエンジンが拒否 最終的にかつてのチームメイト G・ベルガーの推薦もありザウバーに移籍 この年アレジは16戦中12回完走と 安定した走りを見せて R10オーストリアでは予選2位 R13ベルギーでは混戦生き残り3位表彰台 結果F1でアレジ最後の32回目表彰台 予選・決勝ともチームメイトの ジョニー・ハーバートに勝り 年間では9ポイントの11位 翌年もサウバーに残留 こちらのモデルはMuuseoではお馴染みの アダムスキー(当時はPSYCHEDELIA)で 2009年6月に購入 #F1-1998年
230416 J.ALESI 14 1/43FW12C
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1998 11TH PMA SAUBER C17 PETRONAS "TOWER WING" J.ALEJI
R3 アルゼンチンGP 予選11位から決勝に挑んだアレジは スタートで7位まで順位を上げて その後ポイント圏内を走行 27周目にピットインをした際に 右側のタワーウイングを インパクトレンチのホースにひっかけ 片側だけが折れるという事態に これにより11位まで順位を落としたが 左のタワーウイングのみで走行継続し その後は着実に順位を上げて 最終的には5位でフィニッシュ サウバー移籍初ポイントを上げた この件がきっかけとなり R5スペインGPよりタワーウイングが 安全上の理由により禁止とされたが 美観を損ねるという理由が 支持されたとみられている #F1-1998年
230416 J.ALESI "TOWER WING″ 2.222FW12C
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2011 (20TH) SPARK SAUBER C30 FERRARI P.DE.LA.ROSA
the story will be at a later date.
230328 P.DE.LA.ROSA 17 1/43FW12C
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2010 17TH PMA SAUBER C29 P.DE.LA.ROSA
the story will be at a later date.
230327 P.DE.LA.ROSA 22 1/43FW12C
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1998 15TH PMA SAUBER C17 PETRONAS J.HERBERT
F1-10年生 ベテランコンビ ジョニー・ハーバート SAUBER C17 J・ハーバートはザウバー3年目 チームメイトは同じ1989年デビューの J・アレジ F1-10年目のベテランコンビ エンジンはPETRONASバッジのフェラーリ ハーバートは開幕戦オーストラリア 予選5位→決勝6位入賞 幸先の良いスタート しかしこれがどちらもシーズンベストで これ以降の入賞は無く年間1ポイント 15位 前年度はエース待遇もあり入賞を重ねたが アレジの加入で待遇を奪われ関係も微妙に チームオーダーを出されたレースもあり ハーバートはチーム残留のオファーを断り 翌1999年はスチュワートに移籍 結果 自身最後の勝利を手に入れる #1998
230216 J.HERBERT 15 1/43FW12C
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1998 15TH PMA SAUBER C17 PETRONAS "TOWER WING″ J.HERBERT
SAUBER C17 PETRONAS "TOWER WING″ ジョニー・ハーバート サウバーの導入したTOWER WINGは 外側が2本内側が1の支柱で支える 独得の形状のものでカラーリングも ウイング板がPETRONASのカラーになっている R4サンマリノGPではチームメイトの ジャン・アレジがレース中のピットインで タワーウィングに給油ホースを引っかける事故 この事故がきっかけでR5以降は禁止となるが 事故は口実でマシンの美観が損なう というのが主だった禁止理由とみられている サウバーはこのウイングが禁止された R5スペインGP以降はしばらく入賞が無く 多少の禁止の影響があった可能性がある
230216 J.HERBERT "TOWER WING″ 2.222FW12C
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1997 10TH ONYX SAUBER C16 PETRONAS J.HERBERT
ザウバー2年目 ジョニー・ハーバート エース待遇 SAUBER C16 PETRONAS フレンチェンがウイリアムズに移籍 ハーバートはザウバーエース待遇 序盤5戦の予選では7位(3回) 8位(1回) R3アルゼンチンGPで4位入賞 R11ハンガリーGPでは3位表彰台獲得 年間では6度に入賞 15ポイントで10位 エンジンがフォードからペトロナス名称の フェラーリエンジンの耐久性が極めて高く ハーバートの入賞を後押しした 翌1998年も実績が認められてザウバー残留 #F1-1997年
221206 J.HERBERT 16 1/43FW12C
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1997 (23RD) ONYX SAUBER C16 PETRONAS G.MORBIDELLI
ジャンニ・モルビデリ F1ラスト SAUBER PETRONAS C16 イタリアのオートバイメーカーの モルビデリ社の御曹司のラストイヤー 1997年はフェラーリのテストドライバー フェラーリエンジンの関連で R6スペインGPでサウバー参戦 途中ケガで離脱もR11ハンガリーから復帰 R16日本GP鈴鹿の予選でダンロップコーナーで クラッシュして結果これがF1最後となった 7戦中6戦完走も入賞は無し 決勝最高は9位 🏁ジャンニ・モルビデリ (イタリア) 【決勝出走回数】67回 (入賞5回) 【予選最高位】 6位 1994年 アロウズ R1 ブラジル 【決勝最高位】 3位 1996年 アロウズ R16 オーストラリア
221121 G.MORBIDELLI 17 1/43FW12C
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1997 (24TH) ONYX SAUBER C16 PETRONAS N.FONTANA
アルゼンチン出身 ノベルト・フォンタナ 4戦限りのF1出走 SAUBER C16 PETRONAS N・フォンタナは1995年ドイツF3チャンピオン アルゼンチン出身ドライバーとしては 1989年のO・ララウリ(ユーロブルン)以来 1997年はザウバーのテストドライバー G・モリビデリのTEST中のケガにより R8~R10の3戦に出場して R10ドイツGPの予選18位→決勝8位が最高 再度モリビデリがR16日本GPケガした為 最終R17ヨーロッパGPにも出場 この年のみのF1参戦でポイント獲得はならず 合計4戦がフォンタナの生涯出走回数 N・フォンタナは1996年~1998年まで 日本のフォーミュラニッポンにも参戦 各年1勝づつを上げて1997年の年間3位が最高
221109 N.FONTANA 17 1/43FW12C
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1996 12TH PMA SAUBER FORD C15 H.H.FRENTZEN
フレンツェン3年目最後のザウバー 新型ZETEC-R V10 SAUBER FORD C15 フォードは拘りのV8エンジンから 全面新設計の軽量・小型ユニット ZETEC-R V10を新シャーシC15に搭載 しかしシーズン序盤からパワー不足 ドライバビリティの悪さもあり苦戦 フレンツェンは雨のR6モナコGP R7スペインGPの2度の4位が最高位 最終戦は得意の鈴鹿で6位入賞 結局3度の入賞で年間は12位に終わる フレンツェンは翌1997年は チャンピオンチームのウイリアムズに移籍 フォードエンジンも新規参戦チームの スチュワートグランプリに奪われた ザウバーとしては成績もパッせず 挙句エースドライバ―とエンジンを失う 明るい話題に欠いたシーズンとなった 1996年シーズンよりマレーシアの 公営企業 ペトロナスがサポート 単なるスポンサーでなく 共同で新会社を設立して関係を強化 ロゴはバックが鮮やかなミントグリーン #F1-1996年 #F1
H.H.FRENTZEN 15 1/43 SAUBERFW12C
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1996 14TH PMA SAUBER FORD C15 J.HERBERT
ジョニー・ハーバート キャリア8年目 通算6チーム目 チーム ザウバー 1996年ハーバートは前年度シーズン終了時 チームが未決定であったが マーク・ブランデルとのシート争いに勝ち ザウバーのシートを獲得 TMはH・H・フレンチェンの全日本経験コンビ 予選ではフレンチェンに3勝13敗と負け越す 決勝ではほぼ互角の成績だったが 両ドライバ―ともリタイアが多かった R6モナコGPで混戦を生き残り3位表彰台獲得 この年ザウバー唯一の表彰台で ハーバートの入賞もこのGPのみ 1974年に設立のマレーシアの国営石油会社 ペトロナスとザウバーの関係が強化されて 鮮やかなミントグリーのカラーで 同社のロゴが大きく訴求された ハーバートは前年シューマッハ中心の チームに嫌気が差しベネトンを離脱 ザウバーでは公平に扱われた事を高く評価 翌1997年以降の2年契約をザウバー結んだ #F1-1996年 #SAUBER
J.HERBERT 14 1/43 SAUBERFW12C
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2011 16TH SPARK SAUBER C30 FERRARI S.PEREZ
2022年 FORMULA 1 第2戦サウジアラビアGP セルジオ・ペレス メキシコ 最遅215戦目のポールポジション獲得 メキシコ人初のポールポジション これまでのPPまでの最遅記録 M・ウエバー(2009年 レッドブル)の 132戦目を大きく上回る215戦目の獲得 2011年ザウバーよりデビュー チームメイトは小林可夢偉 メキシコ通信大手のテルメックス メキシコNEC claro などのスポンサーを 持ち込みシートを獲得 初戦で7位フィニッシュも後に失格 2011年は5回入賞 年間16位 予選最高9位 決勝最高7位 ペレスのF1キャリアは12年目 ザウバー2年 マクラーレン1年 フォースインディア・ レーシングポイントを合わせて7年過ごし 2021年よりレッドブル 優勝2回 FL6回 今回初のPP #F1-2011年 #最遅PP #2011
S.PEREZ 17 1/43 SAUBERFW12C