-
1980 (24TH) PMA RAM WILLIAMS FW07 R.KEEGAN
復活のチームRAM WILLIAMS FW07 ルパート・キーガン 決勝全戦完走 1980年 1976・1977年カスタマーで参戦の RAM RACINGが復活しウイリアムズの旧車 WILLIAMS FW07を購入し参戦 ルパート・キーガン イギリス出身 1976年21歳 イギリスF3チャンピオン 1977年プライベーター(ヘスケス308E) 1978年サ―ティス レギュラーで参戦 1980年 RAMでR8イギリスから7戦出走 予選通過・予選落ちを交互に繰り返し 4戦決勝進出 3戦予選落ち 決勝に進出の4戦はすべて完走 最高位はR14アメリカEAST GPでの 予選15位→決勝9位 参戦当初よりキーガンは 【ペントハウス】イギリス男性向け雑誌 【リズラ】 フランス手巻きタバコ のサポートを受けており 同社のロゴがRAMマシンにも貼られている キーガンは2年後の1982年 J・マスの離脱後のマーチ(RAM) 最後のF1参戦をする
230628 R.KEEGAN 2.784 50FW12C
-
1980 (DNQ 41ST) PMA RAM RACING WILLIAMS FW07 K.COGAN
復活のチームRAM WILLIAMS FW07 ケビン・コーガン決勝進出ならず 1980年 1976・1977年カスタマーで参戦の RAM RACINGが復活しウイリアムズの旧車 WILLIAMS FW07を購入し参戦 ケビン・コーガンはアメリカ出身 R13カナダGPのみのエントリー 予選はPPのネルソン・ピケ(ブラバム)から 約5.4秒落ちの最下位(28位)で予選落ち カナダの6カラー鮮やかなレインボージーンズ 香港のセオドール・レーシング〖徳利賽車隊〗 スポンサーロゴが印象的なマシン コーガンは翌1981年開幕戦地元アメリカGPを ティレルでエントリーするも こちらは惜しくも0.071足りずに予選落ち F1では決勝進出できなかった アメリカCARTシリーズでは 1986年に1勝 INDY500で2位 年間順位6位を記録しているドライバ―
230605 K.COGAN 2.496 51FW12C
-
1976 (37TH) SPARK (RAM) BRABHAM BT44B L.KESSEL
ロリス・ケッセル スイス出身 自身唯一の完走 チームRAM初参戦 1983~1985年までコンストラクターとしても 参戦したイギリスのチームRAMは 1976年ブラバムのマシンBT44Bを購入し R4スペインGPより参戦 ドライバーはL・ケッセル R4スペインGPは予選落ち R5ベルギーGP予選23位→決勝12位 この成績はどちらもケッセルのキャリアベスト 5戦出走して2度の予選落ち 完走は1回 このマシンはスイスの時計ブランド TISSOTがはじめてF1でスポンサーに付き 同郷のクレイ・レガッツォーニとも 親しかったケッセルをサポート TISSOTはこの後70年代~90年代にかけて エンサイン ルノー リジェ ロータス ザウバー 様々なチームのスポンサーとなり個人的にも 印象的なスポンサーロゴの1つであった マニアックマシンをリリースする RACE LANDの別注モデル 限定300台 #1976 #F1-1976年
L.KESSEL 1976 300 32FW12C
-
1985 (30TH) SPARK RAM 03 S4T M.WINKELHOCK
2022年現在までに親子揃って F1ドライバ―になったのは15組31名 親子でワールドチャンピオンは ヒルそしてロズベルグ 複数人はブラバム 日本人は中嶋 近年はフェルスタッペンが有名 2021年はミック・シューマッハが参戦 マンフレッド・ヴィンケルホック ドイツ出身 主にF1ではATSに所属 1985年はATSが撤退もありRAMで参戦 R7フランスGPの決勝12位が最高位 並行して参戦の世界耐久選手権(WEC) にてレース中に事故死 享年33歳 マンフレッドの弟のヨアヒムも 1989年AGSで参戦 こちらは 7戦全戦予備予選落ちで決勝進出ならず 1985年5歳であったマンフレッドの息子 マルクス・ヴィンケルホックは 2007年のスパイカーチームで1戦限り R10ヨーロッパGPでF1に参戦している #F1-1985年 #F1親子鷹 https://muuseo.com/FW12C/items/679
M.WINKELHOCK 9 1/43 RAMFW12C
-
1985 (28TH) SPARK RAM 03 S4T P.ALLIOT
イギリスコンストライクターRAM 最後のマシン RAM 03 S4T P・アリオー 1976・1977 1980~1982年はチーム 1983~1985年はコンストラクターとして 参戦したイギリスチームRAM 1985年はアメリカの噛みタバコ スコール・バンディトがスポンサーで 濃い緑がキレイな車体のRAM03 ドライバ―はフィリップ・アリオーと マンフレッド・ヴィンケルホック ヴィンケルホックは残念ながら 他のカテゴリーレースで他界 ケニー・アチソンが代役を務めた アリオーは開幕戦で決勝9位完走したものの モナコGPで予選落ちと決勝進出の 他のレースでは全てリタイア チームRAMは2戦を残してF1撤退した モデルはスパーク ベルギーGP仕様 チームは1台エントリー 私の資料ではベルギーGPのアリオーは カーナンバー9ですがモデルは10で間違い? 予選20位→決勝は10周でリタイア
P.ALLIOT 10 10 1/43FW12C