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1990 11TH+α SPARK EUROBRUN ER189 JUDD R.MORENO
コローニから1990年はユーロブルンに R・モレノは移籍 TMはC・ランジェス R1アメリカ 予備予選を1位で通過 予選をなんと16位で通過 (17位はフェラーリ マンセル) 決勝は5週遅れの13位で完走 モデル仕様のR3サンマリノで 予選25位→決勝R 予選通過は2回のみ C.ランジェスは全戦予備予選落ち ユーロブルンは日本GP前に撤退 (全シーズン ノーポイント) 当時ほとんど情報の入らない謎のチーム しかしながらこの撤退が モレノの感動の2位につながります #1990 #F1
R.MORENO 350 33 1/43FW12C
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1989 (DNPQ 47TH) SPARK EUROBRUN ER189 JUDD O.LARRAURI
ユーロブルン 参戦5戦で予備予選落ち オスカー ララウリ EUROBRUN ER189 1989年ユーロブルン 2年目 1台エントリーのグレガー フォイテクが離脱 R12イタリアGPから前年度所属の オスカー ララウリ(アルゼンチン)が 再度エントリー ニューマシンER189 イエガ-マイスターのスポンサーが徹底 マシンがオレンジからブラックに変わり 日本スポンサーのアルファが付いた しかしながら予備予選突破の4台の厚い壁に ぶつかりララウリは5戦全てで予備予選落ち この年限りでF1からは引退 ユーロブルンも撤退が噂されたが 翌1990年は2台体制 ロベルト・モレノ クラウディオ・ランジェスで参戦継続 モデルは日本GP仕様 予備予選14台中9位 マニアックなマシンのリリースが多い ドイツのRACE LAND 別注 #1989
O.LARRAURI 400 33 1/43FW12C
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1989 (DNQ 42ND) SPARK EUROBRUN ER189 JUDD G.FOITEK
グレガー・フォイテク ユーロブルンよりエントリー グレガー・フォイテク スイス出身 1988年 国際F3000 1勝 ランキング7位 イギリスGPは無理な追い越で 多重事故を引き起こし 翌年ベネトンでF1デビューの ジョニー・ハーバートの 右足複雑骨折の重傷を負わせた 1989年チーム2年目のユーロブルンより フォイテクは1台エントリー ユーロブルンはエンジンをジャッド タイヤをこの年復帰のピレリに変更 開幕戦ブラジルGPはブラバムの 2台に次ぐ3位で予備予選通過も 決勝は29位で進出ならず この後は全て予備予選不通過 R9ドイツGPよりニューマシンER189投入 メインスポンサーでドイツのリキュール イエガーマイスターを獲得するも 状況は改善せずにR11ベルギーGPで フォイテクはチームを離脱 イエガーマイスターも短期間で スポンサー支援打ち切った フォイテクはこの後リアルで出場も予選落ち 翌1990年ブラバムとオニクスで決勝進出する モデルはスパーク R9ドイツGP仕様 ドイツのレースランド社別注モデル フォイテクは予備予選11位/13台で不通過 予備予選の12位・13位はザグスピードの 鈴木亜久里とベルトン・シュナイダー
G.FOITEK 400 33 1/43FW12C