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1999 4TH PMA McLAREN MERCEDES MP4‐14 D.COULTHARD
デビッド・クルザード2勝上げるも コンストラクター連覇逃す MP4-14 1999年マクラーレン4年目のクルザード チームメイトは変わらずM・ハッキネン ニューマシンのMP4-14は エイドリアン・ニューウェイのデザイン 前年のMP4-13と外見は変わらないものの リアの絞込み ラジエーターコンパクト化 重量配分の見直し ホイールベースの短小化 など大きくコンセプトを変更した クルーザードは予選でPPは無かったものの 予選全てで2列目より前のスタート しかし決勝ではメカニカルトラブルが クルザード車中心に多く発生した それでもR8地元イギリスGP R12ベルギーGP と2勝を上げてR12イタリアGP時点では ワールドチャンピオン争いに残った そこからまさかの3戦連続のリタイア チャンピオン争いから脱落するだけでなく コンストラクターもフェラーリに敗れた 結局チャンピオンのハッキネンの 約2/3のポイント48Pで年間4位に終わった モデルはMINICHAMPS McLaren EDITION シリーズ台紙の28番目 タバコ【WEST】加工しております
230911 D.COULTHARD 1999 3回FW12C
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1999 【WORLD CHAMPION】 PMA McLAREN MERCEDES MP4-13 M.HAKKINEN〖🏆8〗
🔲🔲🔲1999🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 McLAREN MERCEDES MP4-13 ⬛⬛M.HAKKINEN⬛⬛ 🔲🔲🔲全16戦🔲🔲🔲 【出走】16回【PP】9回 【優勝】 8回【FL】6回 画像1-5 WORLD CHAMPION BOX WEST仕様 画像6-8 PMA通常版
230531 M.HAKKINEN 6回 8FW12C
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1997 3RD PMA McLAREN MERCEDES MP4-12 D.COULTHARD〖🏆2〗
マクラーレン50戦ぶりの勝利 D・クルーザード MP4-12 1997年マクラーレンは23年間続いた MarlboroからWestにスポンサーを変更 カラーも赤/白→黒/銀に変更された 開幕戦のオーストリアGP クルーザードは予選4位から優勝 マクラーレンは1993年最終戦オーストリア A・セナ以来 50戦ぶりの勝利 その後は苦戦が続いたがR7カナダでFL R13イタリアGPではトップ走行の J・アレジ(ベネトン)と同時ピットインで 逆転して勝利 シーズン2勝目を上げた 2勝 2位2回 年間順位は3位 36ポイント コンストラクターは4年連続4位だったものの E・ニューウェイが8月頃より開発に 携わった事もありマクラーレンは MP4-12が名門復活の足掛りとなった #F1-1997年 https://muuseo.com/FW12C/items/1216
230119 D.COULTHARD 1回 10FW12C
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2004 7TH PMA McLAREN MERCEDES MP4-19 K.RAIKKONEN
#2021年ライコネン引退
K.RAIKKONEN 2回 6 1/43FW12C
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1989 (37TH) SPARK ZAKSPEED 891 B.SCHNEIDER
ベルント・シュナイダードイツ出身 1987年ドイツF3チャンピオン 1988年ザグスピードでF1デビュー2年目 1989年は参加台数の増加に伴い予選の前に 予備予選が実施 金曜日のフリー走行前の 1時間で4台通過の狭き門を13台で競った 開幕のブラジルGPは予備予選免除の P・ストレイフ(AGS)がケガで欠場の為 通過が4台→5台に増えてこの5台目に シュナイダーが滑り込んだ 予選も25位で通過 決勝は36週目にサスペンションが壊れ E.チーバー(アロウズ)が追突しリタイア 予備予選通過はR15日本GPと2回のみ 鈴鹿は予備予選3位→予選21位→決勝R モデルはなぜか? 予備予選落ち(8位)したR3モナコGP シュナイダーは翌1990年に アロウズで2戦スポット参戦 その後はドイツツーリングカー選手権で 5度のチャンピンを獲得して DTMの顔とも言える存在になりました #1989
B.SCHNEIDER 34 1/43 WESTFW12C
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1985 (35TH) SPARK ZAKSPEED 841 C.DANNER
クリスチャン・ダナー ドイツ出身 1985年初代の国際F3000のチャンピオン 1985年初参戦のザグスピード J・パーマーのケガにより クリスチャン・ダナー 2戦のみF1デビューを果たす R13ベルギーGP 予選22位(モデル仕様) R14ヨーロッパGP 予選25位 決勝はどちらもリタイア ザグスピードは WESTがタバコスポンサー エンジン・シャーシとも自製であっあたが 完走はJ.パーマーの1回(11位)と 厳しい参戦1年目の結果となった #F1-1985年
C.DANNER 30 1/43 WESTFW12C
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1985 (29TH) SPARK ZAKSPEED 841 JON.PALMER
1985年初参戦の ZAKSPEEDは1台エントリー ジョナサン・パーマーは フライング ドクターの異名をもち 趣味はヘリコプター操縦 医師免許を所持 奥様は看護師さん 2016・2017年 ルノー所属の ジョリオン・パーマーの父 この年唯一の完走のモナコGP (予選19位→決勝11位) タバコWEST仕様
JON.PALMER 30 1/43 WESTFW12C