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1985 11TH PMA ARROWS BMW A8 T.BOUTSEN (BARCLAY)
ブーツェン初の表彰台2位 ARROWS BMW A8 BARCLAY仕様 ティエリー・ブーツェンはアロウズ3年目 チームメイトはゲルハルト・ベルガー ニューマシンA8はBMW M12エンジン チューナーは、ハイニ・マーダー R3サンマリノGP 予選ブーツェン初のシングルグリット5位 決勝ラスト3周でトップ走行の A・セナ(ロータス)/S・ヨハンソン(フェラーリ)が 相次ぎ燃料切れでリタイアもあり ブーツェンは3位フィニッシュ レース後トップでチェッカーを受けた アラン・プロスト(マクラーレン)が 最低重量規定違反で失格 ブーツェン初の表彰台は繰り上がり2位 ブーツェンのキャリア表彰台は15回 その後3度の入賞でランキング11位 予選・決勝ともG・ベルガーを圧倒した モデルはミニチャンプス 元々はDeLonghi(イタリア電気機器製造) ロゴのあるエンジンカバーを タバコブランドのBARCLAY仕様に変更 個人的にはじまりの1台である ARROWS BMW A8のブーツェンを もう1台所持してデカール変更実施 2373
250105 T.BOUTSEN 1985 18FW12C
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1990 7TH PMA WILLIAMS RENAULT FW13B R.PATRESE〖🏆1〗
99戦 6年7カ月ぶりの勝利 リカルド・パトレーゼ WILLIAMS FW13B 1990年 R・パトレーゼはウイリアムズ3年目 チームメイトは前年同様ティエリー・ブーツェン ルノーエンジン復帰2年目 前年度のマシン改良版のFW13B R3サンマリノGP 予選3位 決勝残り10周でG・ベルガー(マクラーレン)を かわしトップに立ちそのままチェッカー ブラバム時代の1983年最終R15南アフリカGP 以来となる6年7カ月 99戦ぶりの勝利 当時の最大ブランク期間での優勝となった 2018年キミ・ライコネン(フェラーリ)が 113戦で記録更新(5年7カ月) ブランク年数としては現在においても最大 表彰台はこの1回のみに終わるが 終盤戦はFLを4回記録するなど エンジンとのマッチングが進みつつあった 翌1991年もウイリアムズに残留 N・マンセルとコンビを組む事となる モデルはミニチャンプス GP表記の無い RACE CAR仕様 タバコBARCLAY仕様 長い間FW13Bの量販モデルは発売が無く 限定数が430台と少なかった事もあり 人気のモデルとなっている
241229 R.PATRESE 4回 430FW12C
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1989 5TH TAMEO WILLAMS RENAULT FW13 T.BOUTSEN〖🏆2〗
ティエリー・ブーツェン 2勝目 4戦限り使用 WILLAMS RENAULT FW13 1989年ウイリアムズは前年の改良型 FW12Cで前半戦を戦い シーズン途中で 新車のFW13を投入予定であったが 実際の投入は終盤のR14ポルトガルGP FW13はパトリック・ヘッドがデザイン インダクションポッドは 横幅のある楕円形の独特のデザイン フロントサスペンションは プルロッドからプッシュロッドへと変更 ノーズ上面にこぶのような形状があるのが特徴 R15鈴鹿ではブーツェンが3位 チームメイトのR・パトレーゼが2位 A・セナ(マクラーレン)の失格裁定で繰上り モデル仕様のR16オーストラリアGP 豪雨の中自身2勝目を上げたレース (中嶋悟 ロータス ファステストラップ) 途中周回遅れのE・ピロ(ベネトン)がTMの 2位走行のA・ナニー二を追いつかせるために スロー走行し妨害 ブーツェンは追い越し時 右手を大きく振りかざし抗議したが 左手は同時にカウンターを当てて車を制御する 冷静沈着なドライビングを見せた モデルはTAMEOのキットの完成品 できればレインタイヤ仕様にしたい #ブーツェン2勝目 #1989 #F1 #1989年オーストラリアGP #振り向けばブーツェン
T.BOUTSEN 5 1/43 BARCLAYFW12C
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1988 11TH SPARK WILLIAMS JUDD FW12 R.PATRESE
鉄人 リカルド・パトレーゼ ウイリアムズ本格参戦苦戦の初年度 1987年最終戦のみウイリアムズで出場 1988年はフル参戦1年目 この後自身最長の5年間同チームに在籍 TMはN・マンセル マンセル2戦欠場時は M・ブランドルとJ.L.シュレッサー 1988年はJUDDエンジンに変更と リアアクティブサスペンションの熟成不足で ウイリアムズは苦戦のシーズン パトレーゼの前半戦はモデル仕様の R3モナコの予選8位→決勝6位が唯一の入賞 リアアクティブサスペンションを 後半戦は撤回して成績が上昇 終盤3戦で5位 6位 4位と連続入賞も 完走率50% 入賞5回 年間順位は11位 パトレーゼは1988年でF1キャリア12年目 最終戦オーストラリアはF1参戦174戦目で 当時のF1最多参戦記録 J・ラフィーと G・ヒルが持つ175戦に残り1戦と迫っていた 1988年~1990年の3年間ウイリアムズは タバコのBARCLAYがスポンサー #1988
R.PATRESE 1/43 BARCLAY WILLIAMSFW12C
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1988 (30TH) SPARK WILLIAMS JUDD FW12 J.L.SCHLESSER
ジャンールイ・シュレッサー フランス出身 叔父のジョー・シュレッサーも 1968年ホンダでR6フランスGPに出場 残念ながらこのGPで事故死している 1983年RAMにて参戦時は予選不通過 1988年は病欠のN・マンセルの代役として R12イタリアGPに出場 予選はTM R・パトレーゼから 約2.1秒遅れの22位で通過 決勝はラスト2週 周回遅れで走行中に第1シケインで トップ走行のA・セナ(マクラーレン)に タイヤをロックさせて接触 セナはリタイヤ(10位完走扱い) シュレッサーは11位で完走 結果的ではあるがこれが マクラーレン・ホンダの16戦全勝を阻んだ シュレッサーは2001年ダカールラリーで 日本人で優勝目前の増岡浩に妨害 計測ミスもあり総合2位に 追いやったことでも話題に上がった 世界耐久選手権では ザウバー・メルセデスで 1989年.1990年と連覇している
J.L.SCHLESSER 5 1/43 BARCLAYFW12C
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1993 (26TH) PMA JORDAN 193 HART T.BOUTSEN
1993年T.ブーツェンはリジェ残留できず ザウバーのファクトリーに訪れたが 契約に至らず シートを失います I.カペリ離脱のジョーダンから BARCLAYの後押しもあり参戦 予選ではR.バリチェロに全敗 決勝もR11ハンガリーの9位が最高位 1983年R6の地元ベルギーでデビュー 1993年R12参戦10周年のそのベルギーで 突如引退を発表しました JORDAN 193のブーツェンも量産化モデルは 発売されていない為 ジョーダンSETを カーナーンバー・BARCLAY加工と ドライバ―のフィギュアを乗せています 引退後 BOUTSEN JETを設立 モナコに移住し飛行機の販売事業に従事 2019年鈴鹿サーキットのイベントで ポルシェ962Cに搭乗 1分59秒010の 当時(1988年1分57秒709)さながらの タイムを出し会場を沸かせました #振り向けばブーツェン
T.BOUTSEN 15 1/43 BARCLAYFW12C
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1993 22ND PMA JORDAN HART 193 E.IRVINE
E.アーバインのデビューマシン I.カペリ→T.ブーツェン→ M.アピチェラ→E.ナスペッティ→ と5人目のジョーダンのシート 1993年は全日本F3000で2位が評価され R15 日本GP 鈴鹿でデビュー 走り慣れたコースという事もあり 予選はTM R.バリチェロ(12位)上回る8位 決勝も6位入賞(バリチェロは5位) このレースでセナに周回遅れで譲らず ファイナルラップでクルージング中に抜き返し 同一周回に戻ったことがセナの逆鱗に触れ レース後セナに頭部を左手で払われたが アーバインが「セナに殴られた」と語った為 【セナがアーバインにパンチ】という形で報道 ここからヒール感のイメージが付いた アーバインの個人スポンサーは ♪ココロも満タンに♪のコスモ石油 ジョーダンはSASOLがメインスポンサー 同業他社だがSASOLが日本で展開していない為 バイザーとフロントウイングには コスモ石油のロゴが貼られました Muuseo 500個目の登録アイテムは 2台目に買ったF1モデルカー BARCLAY仕様で個人的に好きな1台です 501
E.IRVINE 2.808 15 1/43FW12C
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1988 9TH WILLIAMS JUDD FW12 N.MANSELL
#1988
N.MANSELL 5 1/43 BARCLAYFW12C
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1989 5TH SPARK WILLAMS RENAULT FW12C T.BOUTSEN〖🏆2〗
当時最遅95戦目の初優勝 T・ブーツェン WILLAMS RENAULT FW12C 1989年ブーツェンはウイリアムズに移籍 チームメイトはリカルド・パトレーゼ エンジンはサプライヤーで復帰のルノー ルノーエンジン用のFW13投入までの つなぎで前年改良モデルFW12Cで戦う 4位と6位 2度入賞後迎えた R6カナダGP 予選6位 決勝は雨の波乱のレース 途中スピンをするもコースに留まり 残り6周で3位走行のブーツェンは トラブルを抱えたパトレーゼを抜いて2位浮上 残り3周でトップ走行中の アイルトン・セナ(マクラーレン)が エンジンブローでストップ ブーツェンに勝利が舞い込んだ この勝利は決勝レース95戦目で それまでのナイジェル・マンセル(72戦)を 大きく更新する当時の最遅初優勝記録 当初2~3戦まで使用予定であったFW12Cは FW13の開発の遅れもあり R12イタリアGPまで使用され ブーツェンは1勝含む表彰台3回 この年最終戦は新車FW13で2勝目をあげる モデルはスパーク R6カナダGP仕様 予選6位→決勝WIN ブーツェンの初優勝モデル レインタイヤ タバコブランド BARCLAY仕様 当時のフジTVのF1中継は基本深夜1時~3時 カナダGPは時差の関係で3時頃~5時 かなり眠いながらTVを興奮して観ていた 当時の記憶が思い出される1台 当館の名称はこのマシンに由来
T.BOUTSEN 5 1/43 BARCLAYFW12C
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1989 3RD ONYX WILLAMS RENAULT FW12C R.PATRESE
鉄人リカルド・パトレーゼ 92戦ぶりの…RENAULT FW12C 1989年 3年ぶりにルノーエンジンが F1復帰しウイリアムズに供給 リカルド・パトレーゼはチーム残留 チームメイトはティエリー・ブーツェン 開幕ブラジルGPでは予選2位 決勝は92戦ぶりにファステストラップ記録 R2サンマリノGP 当時の最多出走記録 176戦目を記録 (それまでの記録はG・ヒル J・ラフィー) パトレーゼは最終256戦出走 R10ハンガリーGPではこちらも 92戦ぶりとなった予選PPを獲得 中盤4戦・終盤2戦連続の表彰台6回 着実にポイントを重ねて 年間順位は マクラーレンの2人に次ぐ ランキング3位 ポイント40P モデルはONYX 1989年のウイリアムズFW12Cは 長年 他のブランドでの量販がなかった (近年スパークで発売) パッケージに当時のスポンサー Canon elf Tactel DENIM ICIなどが 印刷されたウイリアムズのカラーが モデルカーとマッチしています タバコBARCLAYは添付済みで発売
R.PATRESE 6 1/43 BARCLAYFW12C
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1986 (26TH) PMA ARROWS BMW A8 M.SURER
複数の名前表記 マルク・スレール F1ラスト ARROWS BMW A8 スイス出身のマルク・スレールは 日本語表記としてはシュレール シュラー/シュアー/ズレール/ズラー など複数あるが当館はスレール 1986年はブラバムからアロウズに復帰 チームメイトはティエリー・ブーツェン 前年度のARROWS BMW A8を継続使用 決勝では2戦リタイア後3戦連続9位 R5ベルギーGP終了後の ADACヘッセン400kmラリー出場時 コントロールを失い立木に激突しマシンは炎上 スレールはやけどと全身骨折 同乗ドライバ―は残念ながら亡くなった この後1年間車椅子生活を余儀なくされた 事もありドライバ―からは引退 FIでは82戦出場で最高位は4位が2回 表彰台に上がれそうで上がれなかった ドライバ―の一人 引退後はレースの解説やスイス人ドライバ―の 若手育成の基金設立など精力的に活動した モデルはミニチャンプス 1980年代の中盤から後半の アロウズの独得のカラーリング タバコBARCLAY仕様にしています 🏁マルク・スレール (スイス) 【決勝出走数】82回 (入賞11回) 【予選最高位】 5位(2回) 1983年 ARROWS R5アメリカEAST 1985年 BRABHAM R15南アフリカ 【決勝最高位】 4位(2回) 1981年 ENSING R2ブラジル 1985年 BRABHAM R12イタリア 【ファステストLAP】 1回 1981年 ENSING R2ブラジル
M.SURER 17 1/43 BARCLAYFW12C
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1988 (20TH) SPARK WILLIAMS JUDD FW12 M.BRUNDLE
1988年はM・ブランドルは レギュラーシートを失い マンセルの代役でのスポット参戦のみでした ベルギーGP 予選12位→決勝7位 カーナンバー5はレッド5のままです SPARKはこのようなモデルを 出してくれるのが良いです #1988
M.BRUNDLE 5 1/43 BARCLAYFW12C