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柚木 沙弥郎 美しい本の仕事/絵と型染から生まれる御伽草子
型染め作家で美術家の柚木 沙弥郎は1922年に東京・田端に生まれた。 父は洋画家、祖父も画家という芸術一家に育っ。 東京帝国大学文学部美学・美術史科に入学するが間もなくして学徒動員される。 戦争で勉学が中断されたが終戦の翌年から父の故郷である岡山県・倉敷にある大原美術館に勤務、 そこで民芸運動を牽引する柳宗悦らと親交を持つようになる。 同じく民芸運動に参加していた染色工芸家・芹沢銈介の型染カレンダーに魅せられ、弟子入りする。 氏の芹沢から学んだ染色技法の型染め文字絵は、型紙を使ったもので、個性豊かで味わい深さがある。 型染とは絵や図案を画いて型紙を作り、染めない部分を糊で防染して布や紙を染める伝統技法である。 2022年に生誕100年を迎えたが、現役で創作を続け、国内外で数多くの展覧会が開催されている人気の作家。 2024年1月、天寿を全うし永眠されました。
美しい本の仕事/絵と型染から生まれる御伽草子 柚木 沙弥郎 最近0318
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柚木 沙弥郎 いのちの旗じるし 続き
柚木沙弥郎 染色家。 柳宗悦の「民藝」と芹沢銈介のカレンダーとの出会いから染色の道に進む。 型染による染布、染絵など多くの作品を制作しながら、女子美術大学で教鞭をとる。 シンプルで力強い造形力の染色作品のほか、絵本や版画、立体作品にも取り組む。 国内外で数多くの個展を開催。 後半の画像は、盛岡の「光原社」です 光原社は宮沢賢治ゆかりの工芸品店で、クラシカルな喫茶店「可否館」を併設。 盛岡を訪れたらなら、この「可否館」と「841」は外せない。 さて、「見聞録」は今どうなっているのかな? 光原社はかつては児童文学の金字塔として今も読み継がれる宮沢賢治の『注文の多い料理店』を出版したことで知られる出版社でした。 創業者・及川四郎が宮沢賢治と同じ盛岡高等農林学校の1年後輩という間柄で、 光原社という社名も賢治が名付けたという、宮沢賢治ゆかりの老舗です。 『注文の多い料理店』は、今ではとても有名な宮沢賢治の作品ですが当時はあまり注目を集めることはなく出版業は失敗に終わったそうです。 その後、岩手を代表する工芸品・南部鉄器の製造販売をはじめ、 民藝運動の提唱者、柳宗悦との交流を深める中で、現在のような形態になっている。
いのちの旗じるし 柚木 沙弥郎 世田谷美術館0318