月報 日本ディスク 1950年代

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日本ディスク(株)は、1956年3月にフランスの在日実業家アンドレ・キャラビ氏によって設立されました。フランスの電機メーカー「トムソン・ハウストン」と契約し、「デュクレテ・トムソン」レーベルのレコードを発売しました。クラシック系ではフルートのランパル,ピアノのイーヴ・ナットやリリー・クラウス,ハープのリリ・ラスキーヌ等、シャンソン系ではシャルル・アズナヴール,ミッシェル・アルノー等の香り高い盤を日本に紹介しました。レコード芸術の1956年9月号によると、プレスはエンジェル(東芝)と記されています。1957年には「ディスコフィル・フランセ」と「オワゾリール」レーベルが加わります。

その後の推移はざっと以下の通りです。

1957年10月 新マーキュリー(株)と合併(社名は日本ディスクを踏襲)
1958年6月 ユニバーサル・レコード(株)が設立され、「ディスコフィル・フランセ」と「オワゾリール」が同社に移行する。(前者は、後に戻ってくることになります)
1958年9月 新マーキュリーと分離し、日本ビクターと業務提携契約を結ぶ
1959年4月 「イスパボックス」レーベルを発売(スペインのレーベルです)

なお、1957年頃より日本吹込の邦盤を「ディスク(DISQUE)」レーベルで発売していますが、アイテム数は限定的だったようです。

画像を掲載したのが

●ミッシェル・アルノーの25cm LP DLP-512 1957.12.15発売
 伴奏のクレジットにフランク・ブゥルセルの名前が見えます

●ルネ・ルイ・ラフォルグのEP盤 DEP-5011 1958.12.5発売
 センター孔の形状から、ビクター・プレスであることが明らかです(明記もされていますが)

●スクーザミ/四月の恋 武井義明 DH-38 1958年3月新譜(2月発売)
 数少ない国内録音盤。ちなみに「DH」というシリーズは日本ディスクではなく、マーキューリーのものです。合併した会社のシリーズに挿入したということでしょうか……

ウェストミンスターのところでも触れましたが、マイナー企業の場合「こういう音楽を紹介したい、広めたい」という創業者の強い思いが立ち上げの動機となっており、そこが経済合理性重視の大手との差別化になっています。が、その思いの成就に困難を伴うのも事実。音友の レコード年鑑に日本ディスクの社名が載っているのは1960年版までで、61年版では、デュクレテ・トムソンムとディスコフィル・フランセがビクターのカタログに移っています。レコード年表によると「1963年2月解散」とあります。

ところで創業者のアンドレ・キャラビ氏、朝日ソノプレス社(朝日ソノラマ)の代表を務めるなど、その後も業界の発展に貢献されています。

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