ミュージック・ライフ誌 1964年9月号

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「ミュージック・ライフ」1964年9月号です。
(全133ページ)

画像1 表紙
 ビートルズ。

画像2~5 マージー・ビート系のグループ
 ビートルズを筆頭としたイギリスのロック・グループが大流行し、
 マージー・ビートとか、リヴァプール・サウンドと呼ばれていました。
 2:ピーターとゴードン
   世界的なヒット曲「愛なき世界」をはじめ、レノン=マッカートニーの
   楽曲提供を受けていました。ピーター・アッシャー(左側)の
   妹さんが、一時ポールのフィアンセと言われていた
   ジェーン・アッシャーです。
 3:サーチャーズ
   「ピンと針」、「恋の特効薬(Love Potion No.9)」
   などのヒット曲がありました。日本盤のシングルは「ピンと釘」に
   なってました。
   ジョン・マクナリー(左端)のリズム・ギターが軽快で
   小気味よいものでした。
 4:ローリング・ストーンズ
   正直言って、この頃はこんな長寿バンドになるとは
   思っていませんでした。
 5:デイヴ・クラーク・ファイヴ
   左から3人目は、エド・サリヴァンですね。
   「グラッド・オール・オーバー」「ドゥー・ユー・ラヴ・ミー」
   「オーバー・アンド・オーバー」等のかっこいい曲が多かったですが、
   「ビコーズ」「別れ得ぬ君(ホエン)」といったバラードも
   ありました。後者は、当時かなりの衝撃を受けました。

画像6 山本リンダさん
 岡田プロダクションの広告ページですが、山本リンダさんの写真が
 掲載されています。この時代はモデルさんだったということですが、
 ジャズ喫茶で歌ったりしていたのでしょうか?
 「こまっちゃうナ」の発売は、2年後の1966年です。

画像7 東京で1番売れているレコード
 マージー・ビートが大ブーム,エレキ・インストもこの頃から、
 という時代ですが、映画音楽、カンツォーネ、フォーク、
 アメリカン・ポップスなど、実に多彩な楽曲が聴かれていたのがよく判る
 チャートです。決して一色ではありませんでした。
 日本盤(歌謡曲や演歌系は除いているものと思います)は、
 ほとんどカバー曲です。
 まだ、国産のポップスはほとんどなかったのですね。
 そんな中で特筆すべきなのが「ウナ・セラ・ディ東京」でしょう。
 ミルバのレコードが洋楽チャートに載っていますが、もちろんこの曲は、
 岩谷時子・宮川泰のコンビによる国産の音楽です。
 ザ・ピーナッツ盤は「東京たそがれ」というタイトルで
 1963年に発売されていましたが、この曲が有名になったのは、
 ミルバのカバー盤のヒットからでした。

画像8 僕と私のレコード評
 13才(中2)の方の「ツイスト・アンド・シャウト」(ビートルズ)評が
 載っています。「これは音楽じゃない」とか「単なる騒音に過ぎない」
 といった大人の拒絶反応の中で、理屈ではないところで
 ストレートに反応したのが当時のこういう世代だったということですね。

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