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ミュージック・ライフ誌 1969年12月号
「ミュージック・ライフ」1969年12月号です。 (全188ページ) 画像1 表紙 エリック・クラプトン。 画像2 ジャニス・ジョプリン 既にビッグ・ブラザーからは離れていました。 「若い頃はフォーク・シンガーとして活躍」 という記事を見たことがありますが、YouTubeで1963年頃の音を聴くと、 フォークとは言ってもPP&Mやジョーン・バエズとは大違いで、 オデッタなどに似た泥臭いものです。むしろ、ブルースに近いです。 画像3 デヴィッド・ボウイ 既に、ビジュアル系に深化していきそうなオーラが発揮されています。 画像4 ジョニー・ウィンター どうしてもブロンド・ヘアーに目が行ってしまいます。 画像5 レッド・ツェッペリン ロック系アーティストの風貌やファッションは、 どんどん派手になって来ました。 「後期のヤードバーズは、ほとんどツェッペリンと地続き」 という話を聞いた時は、意外な気がしました。ヤードバーズは 「フォー・ユア・ラヴ」のバンドとしか認識しておらず、 その後のことをよく知らなかったためです。 画像6 森山良子,ショーケン ナッシュビル録音として話題を呼びました。 ショーケンの方は「テンプターズ・イン・メンフィス」として 発売されましたが、レコーディング・スナップを見ると、 全然テンプターズではないですね。 画像7 大阪三木楽器の広告 ビートルズのイギリス盤の広告が出ています。 この時代、アメリカ盤は大型店などにはありましたが、 イギリス盤は珍しかったと思います。 画像8 ニルソン 「うわさの男」のヒットにより、「ハリー・ニルソンの肖像」 (Vic SHP-6105)というアルバムも発売されていました。 (1970年5月5日発売) ジョン・レノンが大絶賛した「パンディモニアム・シャドウ・ショウ」も 1970年11月5日には国内発売されました。(Vic SHP-6153) #音楽雑誌 #ミュージック・ライフ(MusicLife) #内外アーティスト情報 #アナログ・レコード情報
(株)新興楽譜出版社 ¥230 1969年12月chirolin_band
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ミュージック・ライフ誌 1969年9月号
「ミュージック・ライフ」1969年9月号です。 (全188ページ) 画像1 表紙 スコット・ウォーカー(スコット・エンゲル) 画像2 ミック・ジャガー 「ホンキー・トンク・ウィメン」は完璧にロックしていてました。 画像3 ジョンとヨーコ この写真を初めて見た時、ヨーコさんは日本人なんだなと 改めて思ったものです。 画像4 ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ ストリングスやブラスを加えるなど、ブルース系のバンドとは 違った方向性を目指していたように思います。 最初期にはアル・クーパーが中心的存在でしたので、彼の音楽性 を反映させていたものと思います。 もっとも、私が聞いたのは1970年頃までなので、その後はよく判らない のですが… 画像5 B.B.キング,ジョニー・ウィンター B.B.キングを目指したギタリストは、非常に多かったと思います。 ジョニー・ウィンターは「百万ドルのギタリスト」などと 呼ばれていました。 第一印象は、特異な容姿でした。 画像6 ブライアン・ジョーンズ 急逝したブライアン・ジョーンズ(ストーンズ)の写真集が 掲載されています。 画像7 T.レックス この時代は、ティラノサウルス・レックスがユニット名ですね。 国内のファースト・アルバムは、1969年5月15日に発売されていました。 (日グラモフォン SMP-1433) ここでは「タイラノサウルス」と書かれています。 クリームのようなタイトなバンドと比較すると、やや脂肪分が多い 感じで、グラム・ロックなどと呼ばれていました。 画像8 エイプリル・フール こういったグループも紹介されていました。 「日本のGS界に〜第一歩を踏み出そうと」というのがすごいですね。 ファンは音楽を理解出来てるのか、という問いに対する「わからないな。 でも理解してくれようと努力はしてくれているな。」という答えが 言い得て妙というところ。 #音楽雑誌 #ミュージック・ライフ(MusicLife) #内外アーティスト情報 #アナログ・レコード情報
(株)新興楽譜出版社 ¥230 1969年9月chirolin_band
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ミュージック・ライフ誌 1968年11月号
「ミュージック・ライフ」1968年11月号です。 (全194ページ) 画像1 表紙 ザ・ハード 画像2 ステッペン・ウルフ 「ワイルドでいこう!(Born To Be Wild)」が大ヒット。 「イージー・ライダー」や独特のバイク(チョッパー?)が 目に浮かびます。 画像3 イコールズ 「ベイビー・カム・バック」がヒットしました。 白人と黒人を混ぜて「イコールズ」というグループ名、 裏を返せば、まだまだ人種差別があった時代、 ということなのではないでしょうか? 画像4 ボビー・ヘブ 国内盤のオリジナル(SM-1022)は、1966年11月新譜として 発売されています。この時は、リバイバル・ヒットになるわけですね。 画像5 恒例の人気投票(中間発表) プレイヤー部門は、ジミ・ヘンドリックスやエリック・クラプトンを 押しのけてジョージ・ハリスンとキース・リチャードが選ばれています。 何と言ってもバンドの人気が高かったということですね。 5位のレイ・マンザレクはドアーズのオルガン奏者です。 画像6 乞食の晩餐 ストーンズのアルバム「ベガーズ・バンケット」に関する記事です。 ジャケット・デザインで揉めていました。「魔王宮殿の旅」というのは 一作前の「サタニック・マジェスティーズ」のことです。 トイレのジャケットは結局デッカに拒否されましたが、アルバムとしては ストーンズがビートルズの影響から逃れ、自身のアイデンティティーを 取り戻した作品だったと思います。 画像7 ニュース・ア・ラ・カルト 日増しに高まるブルース熱が報じられています。 画像8 タイガー・ビート アメリカの音楽雑誌「タイガー・ビート」の翻訳記事が掲載されています。 #音楽雑誌 #ミュージック・ライフ(MusicLife) #内外アーティスト情報 #アナログ・レコード情報
(株)新興楽譜出版社 ¥230 1968年11月chirolin_band
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ミュージック・ライフ誌 1968年10月号
「ミュージック・ライフ」1968年10月号です。 (全198ページ) 画像1 表紙 ビートルズ(マジカル・ミステリー・ツアー)。 画像2 ピーター・フランプトン(ザ・ハード) この時代は、アイドル的な存在でしたね。 その後ハンブル・パイを経てソロとしてのキャリアを確立します。 画像3 メリー・ホプキン ツィッギーの紹介から、ポール・マッカートニーの庇護の下にアップルから デビューということで、さだまさし風に言えば「幸せの半分を手にした」 ようなスタートでした。ただし、本人の志向性とポールとの相性は 決して良くなかったように思います。 画像4 ビー・ジーズ ここに紹介されている「I’ve gotta get a message to you (獄中の手紙)」は日本では小ヒットに終わってしまいましたが、 個人的にはベスト・ソングのひとつと思っています。 次の「I started a joke(ジョーク)」ともども ロビン・ギブのヴォーカルは神の領域! 画像5 クリーム 活動期間の短かったグループです。ライブ盤のクラプトンのギター・ソロを 最初から最後まで完全コピーした、といったギター少年が少なからず いたようです。 画像6 ドアーズ 「ハートに火をつけて」「ハロー・アイ・ラヴ・ユー」「タッチ・ミー」 などのシングル曲が有名です。ライブでは、何かとお騒がせなバンドでも あったようです。 画像7 オーティス・レディング オーティス・レディングの最期を伝える記事です。 画像8 ジャックス 感性豊かな友人がいたおかげで、1969年には聞いていました。 「からっぽの世界」は文化祭のライブでコピーしました。 「時計をとめて」,「遠い海へ旅に出た私の恋人」といったバラードや 「裏切りの季節」などの破滅的な作品が混在していました。 個人的には「われた鏡の中から」が好みでした。 #音楽雑誌 #ミュージック・ライフ(MusicLife) #内外アーティスト情報 #アナログ・レコード情報
(株)新興楽譜出版社 ¥230 1968年10月chirolin_band
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ミュージック・ライフ誌 1967年8月号
「ミュージック・ライフ」1967年8月号です。 (全190ページ) 画像1 表紙 スコット・エンゲル,ポール・マッカートニー ビートルズ対ウォーカーズ、ポール対スコット なんていうのがありましたっけ。 画像2 デイブ・ディー・グループ 正式名称は、なかなか覚えられませんでした。 「オーケイ!」,「キサナドゥーの伝説」が大ヒットし、 カーナビーツやジャガーズのカバー・バージョンも作られました。 いかにもサイケなファッションですね。 画像3 ツィッギー レコードを出したり、来日もしました。 それにしても、目が凄いことになっています。 画像4 ビー・ジーズ 日本でのデビュー曲「ラヴ・サムバディ」(DP-1545)が67年10月15日 発売ですから、まだレコードは出ていませんでした。 このグループの第一期の音楽性は、アート・ロック全盛の時代の中では 正当に評価されにくかったように思います。 画像5 ビートルズの宇宙中継 放映当日は、3時起きで家庭用のテープ・レコーダーをスタン・バイさせ、 今か今かと待ち構えていました。「愛こそはすべて」は理屈抜きに 「いい曲だな」と感じました。 ポールの「All together now!」「Everybody!」の掛け声に、固かった ジョンの表情が和らいだところ、いいシーンでした。 画像6 ザ・フーとのインタビュー 日本グラモフォン側の人間がイギリスに出向き、 実現させた電話インタビューだったようです。グラモフォンにしてみれば、 何とかヒットが欲しかったでしょうし、ザ・フーとしても極東の地の 販促活動になるのならばと引き受けたのでしょうか。 バンドのメンバーの受け答えは、終始紳士的です。 ステージでの派手なアクションについても、真面目に答えています。 画像7 モンタレー・ポップ・フェスティヴアル この年に開催されたフェスティヴァルに関するレポートです。 ジミ・ヘンドリックスなども、この辺りから注目度が高まったと 思いますが、日本ではまだレコードも発売されていませんでした。 画像8 編集後記 1967年7月1日に東京九段会館での、ビートルズ来日一周年記念イベント のことが書かれています。個人的な話ですが、これには私も参加しました。 進行は星加ルミ子さんでした。最後に日本公演の録音を(映像はなし) 全曲聴かせるということでしたが、 途中で終わってしまった記憶があります。 余計な話ですが、日本公演をTV放送から録音した個人録音テープは、 ラストの「アイム・ダウン」の途中で途切れているものが多いと思います。 (私もそうでした) 1時間番組だったので、片道30分のオープン・テープを用意し、 前座が終わったところで裏にしてビートルズを録音したところ、 30分で収まらなかったのです。 (九段会館の途中終了は、別の事情でしょうが) #音楽雑誌 #ミュージック・ライフ(MusicLife) #内外アーティスト情報 #アナログ・レコード情報
(株)新興楽譜出版社 ¥230 1967年8月号chirolin_band
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ミュージック・ライフ誌 1967年2月号
「ミュージック・ライフ」1967年2月号です。 (全184ページ) 画像1 表紙 シェール(ソニーとシェール)。 画像2 モンキーズ バンドと言うよりも、アイドルだったように思います。 本人達も、ギャップを感じていたようです。 画像3 ママス・アンド・パパス こちらは、優れたコーラスを聞かせてくれました。 画像4 バーズ サングラスをしていないと、別人のように見えます。 フォークとフォーク・ロックの違いは、エレキを使うか使わないか ということだと理解していました。 フォーク・ロックとロックの違いは、よく判りませんでした… 画像5 デイブ・ディー・グループ 正式名称はなかなか覚えられませんでした。 何と言っても「オーケイ!」と「キサナドゥーの伝説」でしょう。 日本でもカーナビーツやジャガーズがカバーしていました。 画像6 ポールの映画主題曲 ここに書かれているのは、ポールが単独で創った邦題「ふたりだけの窓」 の映画音楽のことです。 記事によると2種類のレコードが同時発売ということで、 国内の発売状況が気になって調べてみたところ、 両方とも発売されていました。 ・LONDON TOP-1177 サウンド・トラック盤(1967.8.1発売) ・United Artists LL-2128-UA ジョージ・マーティン楽団 (1968.3.1発売) なお、「ベートーベンと共演」というのは、同じ映画にベートーベンの 第5交響曲(運命)が使われている、というだけのこと。 画像7 サイモンとガーファンクル この頃から注目していた方は、いいセンスしていたなと思います。 画像8 人気投票の中間発表 男性歌手の中には、バンドのメンバーも含まれています。 女性歌手部門では、バーブラ・ストレイザンドなどの名前も見えます。 決して多いとは言えないものの、日本にもこういったシンガーに 注目している層があったということなんですね。 #音楽雑誌 #ミュージック・ライフ(MusicLife) #内外アーティスト情報 #アナログ・レコード情報
(株)新興楽譜出版社 ¥230 1967年2月号chirolin_band
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ミュージック・ライフ誌 1966年12月号
「ミュージック・ライフ」1966年12月号です。 (全188ページ) 画像1 表紙 ハーブ・アルパートとティファナ・ブラス。 画像2 キンクス キンクスは、「サニー・アフタヌーン」で開眼しました。 最初に買ったLPはベスト盤(YS-2236-Y)で、そこで 「ウォータールー・サンセット」を知りました。 2012年のロンドン五輪で、レイ・デイヴィスが歌ってくれましたね。 自分にとっては、一番のハイライトでした。 画像3 ブルー・コメッツ 奥のジャッキー吉川さん、ちょっとなべおさみさんっぽい!?。 画像4 ホリーズを聞こう 「リヴァプールの若者達 Vol.2」(OR-7193)というLPを中古で買い、 そこに入っていた「アイム・アライヴ」で初めて聞いたバンドです。 その後、「ゴー・ゴー・フラバルー」(日本でも放映されていたアメリカ の音楽TV番組)で「Look Through Any Window(恋は窓から)」 を聞きレコードが欲しくなったのですが、 日本ではシングル盤が出ていませんでした。 「バス・ストップ」は、出るべくして出たヒット曲だと思いました。 画像5 クラウス・ヴーアマン(マンフレッド・マン) 「リボルバー」のジャケットを描いたことは、知られていましたが、 ハンブルグ時代のビートルズとの関わりなど、 当時は全く知りませんでした。 画像6 トロッグス 邦題「ボクは危機一髪」という曲のことですが、 友人が面白がって聞いてました。 レコードを借りたのですが、 your slacks are low and your hips are showing なんていう歌詞には「なんじゃ、こりゃ」と思ったものです。 この記事では、タイトルの「I Can’t Control Myself」が 問題になっていたということなのですが、 これは何とも思いませんが…… (時代が変わったということなのでしょうか) これがダメなら、山本リンダさんの「どうにもとまらない」も ダメですよね。 画像7 モンキーズ 「恋の終列車」が発売された時、「ビートルズそっくり」と言う友人がいて 「全然似てないじゃん」と思ったものです。 その後「デイドリーム」が出た時、 やはりビートルズ的とは思いませんでしたが、 作品そのものは極上のポップ・ソングで感心しました。 その後出たタイマーズ(忌野清志郎)のカバー・バージョンも秀逸。 画像8 森山良子 デビュー前の記事です。ここで紹介されている「一番星」という曲は、 デビュー・シングル「この広い野原いっぱい」のB面に収録された 「一番星の歌」のことだと思います。 #音楽雑誌 #ミュージック・ライフ(MusicLife) #内外アーティスト情報 #アナログ・レコード情報
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