Schubert Piano sonata ニ長調 Op.53 D.850 / イ短調 Op. Posth(遺作)143 D.850

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ピアノソナタニ長調 Op.53 D.850

satz1. Allegro
satz2.Con moto
satz3.Scherzo(Allegro vivace)
satz4.Rondo(
Allegro moderato)

ピアノソナタイ短調 Op.Posth.(遺作)143 D.784

satz1.Allegro giusto
satz2.Andante
satz.Allegro vivace

pianist:Alfred Brendel

1897年9月西ドイツ

オーパスOPとドイッチェD.の両方の作品番号が併記されていてソナタとしての番号の記載がない。D.850は第17番(現在のところ)というところか。
遺作のソナタ番号は一応第14番となっていたと思う。
とにかくこの作曲家のゴミ箱意に棄てた作品や書きかけの音楽もありとあらゆるものが再現されて引っ張り出され、僕らの耳に届く。
ソナタの番号がないのは、用心深さ。番号をふった後で新しい楽譜が見つかり、その作成年代により、今までの作品が繰り上がったり繰り下がったりする。作品番号に至っては付けてもひっくり返ったり、番号をふれない未完成があまりにも多い。この作曲家に関してはドイッチェが妥当だろうね。シューベルトが完成した自作に付けていたのはOP.108までで、あとは死後にドイッチェが整理番号として記述されている。
完成した作品のみにシューベルト自身がふったOpusはそれなりに意味があるが、他の作曲家に比較すると余りにも未完成に傑作が多いってことだろうかね。バッハやモーツァルト、バルトークなんかは独自の番号を研究家が付けるけど、シューベルトはわかりにくい。

D.850は長大な曲だね。D.894(幻想)やD.958,D.959最後のD.960などと並ぶ大作。
ピアニスティックでベートーヴェンのハンマークラヴィールを想起させるテーマからユニゾンで両手を使うスケール感を感じさせる音楽。その中に時折挿入される彼の歌の断片がテンポを変える息遣いみたいに聴こえる。
ただベートーヴェンのようにぐいぐい入り込んでこなくて、主和音の両手の響きは拡散する。同じ形の花火が同じところで素晴らしい音を聴かせるけれ度、次第に前の花火の煙の中で火花の本体が隠れてくるような感じ。

息を整えるようなコンモートの歌。ここも、冒頭の美しい歌からシンコペーションして揺れるんだけど、時間の長さを感じる。演奏するものの張りつめるような息遣いが入りにくい。川岸から川の真ん中迄あまり深さが変わらないいくつもの流れが強弱の歌になって流れていく。うっかりしているとその微妙な変化を聴き逃してしまい。生理的な睡眠を誘われる。シューベルトの主観を覗き込む集中力が、僕の場合途切れてしまう。
村上春樹氏が海辺のカフカでこの曲についてカフカ少年に語らせるが、至言なんだけど、僕にはそこに潜り込んでいく集中力がベートーヴェンのあの長大な第29番の緩徐楽章をたてに深く潜ってゆく感覚と異なり、あまりにも広々としていてどこに行っていいかわからなくなる。弾く方にとっても、聴く方にとっても難物です。

スケルツォではホント、ほっとしますね。
最後のロンドもシューベルトらしいと言えばそれまでですが、収斂感がない歌が溢れた音楽です。
彼の作品に未完成が多いのは何となくわかるような気がします。

https://youtu.be/gguHcUWUVOE?si=lTrvyhS3pgzyDIug

14番イ短調のソナタも書こうかと思いましたが、これはLabの方に回します。

藍の中の黒い歌

https://muuseo.com/Mineosaurus/diaries/194

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