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1963 15TH SPARK (SIFFERT RACING TEAM) LOTUS 24 J.SIFFERT
プライベーター・スイスの星 ジョー・シフェール 初ポイント ジョー・シフェール スイス出身 2輪ライダーとしてキャリアをスタート 1960年4輪転向しヨロッパFJチャンピオン 1962年F1デビューを果たす 1963年は自己のチーム SIFFERT RACING TEAMを立ち上げ ロータス24のマシンを購入して参戦 R3オランダGP 決勝7位初完走 R4フランスGP 予選10位から 自身の初入賞の決勝6位 シフェールのキャリア入賞は20回 この年の入賞は1回1ポイントで 3名のドライバーが並んだが オランダの7位があり 3名の最上位の年間15位 モデルはスパーク R5イギリスGP仕様 予選15位→決勝はリタイア フロントのカーナンバー25が 中心の白い丸から右斜め前方に ずらしたデザインとなっている
240122 J.SIFFERT 1963年 25FW12C
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1980 13TH SPARK TYRRELL 010 J.P.JARIER
ティレル本格参戦10年目 初の表彰台無し TYRRELL 010 1980年ティレルは ジャン・ピエール・ジャリエが残留 チームメイトにディレク・デイリーを迎える R3よりニューマシンティレル010を投入 フロントウイングの無い保守的にまとめた グランド・エフェクトカーで 予選・決勝とも中段~下位に沈んだ 予選シングルグリットは9位が僅か2回 決勝も5位に3回入賞するのがやっとで D・デイリーと合わせても入賞5回で チーム本格参戦1971年から10年目で 初の表彰台無し ティレルの低迷期となった イタリアの家電メーカーCandyが メインスポンサーでティレルブルーに マシンの上側部分は赤く染められた ジャリエはこの年でティレルを離れ 翌1981年はレギュラーシートが無く リジェとオッゼラでスポット参戦した
230703 J.P.JARIER 3 1/43FW12C
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2010 17TH PMA SAUBER C29 P.DE.LA.ROSA
the story will be at a later date.
230327 P.DE.LA.ROSA 22 1/43FW12C
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1970 15TH QUARTZO (STP CORPORATION) MARCH 701 M.ANDRETTI
マリオ・アンドレッティ 初の3位表彰台 MARCH 701 1970年マリオ・アンドレッティは 新規参入のMARCH 701の車体で STPの支援を受けて5戦のみの参戦 モデル仕様のR2スペインGPで 予選16位からの追い上げで3位表彰台 マリオにとって初入賞(生涯入賞38回)を 初の表彰台(生涯表彰台19回)で決めた 他の4レースは全てリタイアに終わり 年間順位は15位 4ポイント この年8名ものドライバ―が MARCH701の車体で参戦しており マーチのワークスだけでなく ティレル等のチームも使用 そのドライバーは C.エイモン/J.シフェール/J.シュチュワート R.ピーターソン/F.セーベルなど錚々たる面々 マリオは翌1971年はフェラーリに移籍 自身の初優勝を飾ります #F1-1970年
230228 M.ANDRETTI 18 1/43FW12C
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1998 (22ND) PMA PROST PEUGEOT AP01 O.PANIS
プロスト2年目 オリビエ・パニス キャリア唯一のノーポイントPROST AP01 1998年 チームプロスト2年目 車名をJS→APに変更 APはアランプロストの略 オールフレンチを目指しエンジンは 無限→プジョーにスイッチした チームメイトはヤルノ・トゥルーリ パニスはリジェ時代から5シーズン目 開幕戦のオーストラリアの9位が最高 ギアBOXのトラブルが頻繁に発生 完走率は60%でパニスは粘り強く走るも シングルフィニッシュは1回のみ 年間順位は(22位) チームノーポイントの ミナルディ/ティレルの計4人にも負けて パニスより下の順位はは途中参戦した ヨス・フェルスタッペン(スチュワート)のみ 1994年~2004年(2000年は未参戦) 10年間 F1参戦オリビエ・パニスだが 年間ノーポイントで終わった唯一の年 画像1 タバコ GAULOISES仕様 画像2 オリジナル(バーコード)仕様
230224 O.PANIS 11 1/43FW12C
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1998 (22ND) PMA PROST PEUGEOT AP01 "TOWER WING″ O.PANIS
プロストが採用したタワーウイングは 1本の支柱でウイングが外側に付いた 最もオーソドックなタイプで この形状はフェラーリ/ティレルも採用 プロストはタワーウイングが禁止された R5スペインGP以前・以降とも不振の為 タワーウイング禁止の影響は不明 この年プロストにはPlayStationが スポンサーで付いているが これは ソニー・コンピュータエンタテインメントの ヨーロッパが主導しているもので 同社が1996年から発売したプレステ ソフト Formula 1 シリーズの販売促進の一環 1998年に発売されたFormula 1 98の ヨーロッパ版にはプロストAP01が パッケージに使用されているものが有り 他の地域ではフェラーリ/マクラーレンの パッケージ版も存在するが この年の日本版の発売は無かった #F1-1998年 https://muuseo.com/FW12C/items/658?theme_id=30882
230224 O.PANIS "TOWER WING″ 2.222FW12C
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1989 23RD PMA BENETTON FORD B189 E.PIRRO
エマニエル・ピロ イタリア出身 F1デビュー BENETTON FORD B189 1989年 ベネトンは新人のJ・ハーバートが F3000時代の足のケガによりR6カナダGPで 予選落ちするとドライバーの変更模索 同時期にティレルを解雇された ミケーレ・アルボレートとは金銭面で決裂 イタリア出身のE・ピロが起用された ピロは1988年からマクラーレン・ホンダの テストドライバーを務めており 全日本F3000にも出場し1988年は年間3位 R7フランスGPより参戦 R9ドイツGPよりニューマシンB189がピロにも 与えられ予選でシーズンベストの9位 チームメイトのA・ナニー二がR7フランスGP~ 優勝含む表彰台3回入賞5回に対して ピロは最終戦豪雨のオーストラリアでの 5位入賞が唯一のポイントの獲得 このGPでは2位のA・ナニー二を助けるため トップ走行のT・ブーツェン(ウイリアムズ)を 自身が周回遅れ中執拗にブロック ブーツェンは腕を大きく振り上げ猛抗をした ベネトンはネルソン・ピケの加入により ピロは解雇され翌1990年は スクーデリア・イタリアに移籍 ピロはル・マン24時間では アウディで2000・2001・2002・2006・2007と 5度のチャンピオンに輝いている #F1-1989年
E.PIRRO 20 1/43 CAMELFW12C
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1989 17TH ONYX SCUDERIA ITALIA BMS DALLARA F189 A.DE.CESARIS
#F1-1989年
A.DE.CESARIS 22 1/43 MarlboroFW12C