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BBM2017 1st 進藤拓也
交流戦 四国アイランドリーグ選抜VSフューチャーズ 第3戦にて。 フューチャーズのメンバーとして参加していた進藤選手に書いていただきました。
大田スタジアム 2017年6月22日さまちん
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BBM2016横浜 百瀬大騎
交流戦 四国アイランドリーグ選抜VSフューチャーズ 第3戦にて。 フューチャーズのメンバーとして参加していた百瀬選手に書いていただきました。
大田スタジアム 2017年6月22日さまちん
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BBM2012 2nd 小池正晃
交流戦 四国アイランドリーグ選抜VSフューチャーズ 第3戦にて。 当時横浜の二軍打撃コーチを務めており、フューチャーズのコーチとして参加していた小池さんに書いていただきました。
大田スタジアム 2017年6月22日さまちん
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BBM2016西武 星孝典
交流戦 四国アイランドリーグ選抜VSフューチャーズ 第3戦にて。 当時西武の二軍育成コーチを務めており、フューチャーズのコーチとして参加していた星さんに書いていただきました。
大田スタジアム 2017年6月22日さまちん
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BBM2015西武 星孝典
交流戦 四国アイランドリーグ選抜VSフューチャーズ 第3戦にて。 当時西武の二軍育成コーチを務めており、フューチャーズのコーチとして参加していた星さんに書いていただきました。
大田スタジアム 2017年6月22日さまちん
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GRANDSTAND2013 LAKE COUNTY CAPTAINS ホルヘ・マルティネス
交流戦 四国アイランドリーグ選抜VSフューチャーズ 第3戦にて。 フューチャーズのメンバーとして参加していたマルティネス選手に、インディアンス傘下A級レイクカウンティ時代のカードに書いていただきました。 2010年にインディアンスと契約しプロ入り。 2013年にA級レイクカウンティで112試合に出場。 翌年にアストロズ傘下に移籍するが、2015年のA級クアッドシティを最後にリリース。 2016年はドミニカ国内でプレーする傍ら巨人のトライアウトを受験。 2017年に育成選手として巨人と契約し来日。 1年目は主戦場が三軍だったが、2年目の2018年は二軍で活躍しシーズン途中に支配下登録。一軍デビュー初打席で初本塁打を放った。結局この年一軍では2本塁打だったが、二軍では14本塁打した。 2019年は外国人枠の関係で出場機会が殆どなく、二軍でも100試合の出場で3本塁打、打率.216と精彩を欠いた。この年限りで戦力外に。 2020年はBCリーグの新潟アルビレックスBCと契約するも、コロナの影響でビザが発給できず来日すらできなかった。翌2021年も来日できないまま退団。
GRANDSTAND 大田スタジアム 2017年6月22日さまちん
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BBM2013読売 成瀬功亮
交流戦 四国アイランドリーグ選抜VSフューチャーズ 第3戦にて。 フューチャーズのメンバーとして参加していた成瀬選手に書いていただきました。
大田スタジアム 2017年6月22日さまちん
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BBM2014読売 成瀬功亮
交流戦 四国アイランドリーグ選抜VSフューチャーズ 第3戦にて。 フューチャーズのメンバーとして参加していた成瀬選手に書いていただきました。
大田スタジアム 2017年6月22日さまちん
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タカラ56年度巨人 鈴木康友
交流戦 四国アイランドリーグ選抜VSフューチャーズ 第3戦にて。 当時徳島インディゴソックスのコーチを務めていた鈴木さん。選抜メンバーの首脳陣には選出されていなかったものの、教え子達の活躍を視察に訪れた際に書いていただきました。 1977年ドラフト5位で巨人に入団。 高卒ながら新人時代から注目された存在だったが、当時の層の厚い野手陣に割って入れずレギュラー獲得は至らなかった。 1985年に西武にトレード移籍。 さらに翌1986年には中日にトレード移籍。その年119試合に出場し11本塁打とレギュラーを獲得。 1990年には三たびトレードで二度目の西武に移籍。 1992年に現役引退。 引退後は古巣を含めNPB5球団、クラブチーム1球団、独立リーグ2球団と、長い間指導者として後進の指導にあたった。 通算688試合出場、24本塁打91打点、打率.226。
大田スタジアム 2017年6月22日さまちん
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BBM2013ジャイアンツ・レジェンド 鈴木康友
交流戦 四国アイランドリーグ選抜VSフューチャーズ 第3戦にて。 当時徳島インディゴソックスのコーチを務めていた鈴木さん。選抜メンバーの首脳陣には選出されていなかったものの、教え子達の活躍を視察に訪れた際に書いていただきました。 1977年ドラフト5位で巨人に入団。 高卒ながら新人時代から注目された存在だったが、当時の層の厚い野手陣に割って入れずレギュラー獲得は至らなかった。 1985年に西武にトレード移籍。 さらに翌1986年には中日にトレード移籍。その年119試合に出場し11本塁打とレギュラーを獲得。 1990年には三たびトレードで二度目の西武に移籍。 1992年に現役引退。 引退後は古巣を含めNPB5球団、クラブチーム1球団、独立リーグ2球団と、長い間指導者として後進の指導にあたった。 通算688試合出場、24本塁打91打点、打率.226。
大田スタジアム 2017年6月22日さまちん
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BBM2011千葉ロッテ20周年 仁村徹
交流戦 四国アイランドリーグ選抜VSフューチャーズ 第3戦にて。 当時楽天のスカウト部副部長を務めており、この試合を視察に訪れていた仁村さんに書いていただきました。 1983年ドラフト2位で中日に入団。 1987年にレギュラーを獲得。 1988年以降は兄の仁村薫も中日に移籍したため兄弟で同一チームでプレーした。当時は西武の松沼兄弟と並んで兄弟選手としては知られた存在だった。 1990年代前半まで中日の中心選手として支えたが、1995年オフに3対3のトレードでロッテに移籍。 移籍1年目の1996年は100試合以上の出場。翌年は主に代打として活躍していたが1997年限りで現役引退。 引退後は古巣の中日で長くコーチや二軍監督などを歴任。 通算1068試合出場、67本塁打344打点、打率.273。
大田スタジアム 2017年6月22日さまちん
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BBM2013世紀のトレード 仁村徹
交流戦 四国アイランドリーグ選抜VSフューチャーズ 第3戦にて。 当時楽天のスカウト部副部長を務めており、この試合を視察に訪れていた仁村さんに書いていただきました。 1983年ドラフト2位で中日に入団。 1987年にレギュラーを獲得。 1988年以降は兄の仁村薫も中日に移籍したため兄弟で同一チームでプレーした。当時は西武の松沼兄弟と並んで兄弟選手としては知られた存在だった。 1990年代前半まで中日の中心選手として支えたが、1995年オフに3対3のトレードでロッテに移籍。 移籍1年目の1996年は100試合以上の出場。翌年は主に代打として活躍していたが1997年限りで現役引退。 引退後は古巣の中日で長くコーチや二軍監督などを歴任。 通算1068試合出場、67本塁打344打点、打率.273。
大田スタジアム 2017年6月22日さまちん
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BBM2017ルーキーエディション 高山竜太朗
交流戦 四国アイランドリーグ選抜VSフューチャーズ 第3戦にて。 フューチャーズのメンバーとして参加していた高山選手に書いていただきました。
大田スタジアム 2017年6月22日さまちん
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BBM2017ルーキーエディション 松澤裕介
交流戦 四国アイランドリーグ選抜VSフューチャーズ 第3戦にて。 フューチャーズのメンバーとして参加していた松澤選手に書いていただきました。
大田スタジアム 2017年6月22日さまちん
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GRANDSTAND2015 QUADCITIES RIVER BANDITS ホルヘ・マルティネス
交流戦 四国アイランドリーグ選抜VSフューチャーズ 第3戦にて。 フューチャーズのメンバーとして参加していたマルティネス選手に、アストロズ傘下A級クアッドシティ時代のカードに書いていただきました。 2010年にインディアンスと契約しプロ入り。 2013年にA級レイクカウンティで112試合に出場。 翌年にアストロズ傘下に移籍するが、2015年のA級クアッドシティを最後にリリース。 2016年はドミニカ国内でプレーする傍ら巨人のトライアウトを受験。 2017年に育成選手として巨人と契約し来日。 1年目は主戦場が三軍だったが、2年目の2018年は二軍で活躍しシーズン途中に支配下登録。一軍デビュー初打席で初本塁打を放った。結局この年一軍では2本塁打だったが、二軍では14本塁打した。 2019年は外国人枠の関係で出場機会が殆どなく、二軍でも100試合の出場で3本塁打、打率.216と精彩を欠いた。この年限りで戦力外に。 2020年はBCリーグの新潟アルビレックスBCと契約するも、コロナの影響でビザが発給できず来日すらできなかった。翌2021年も来日できないまま退団。
GRANDSTAND 大田スタジアム 2017年6月22日さまちん