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THE WRESTLER VOL.16 - '83 ビッグファイト・シリーズ第2弾 パンフレット
『'83 ビッグファイト・シリーズ第2弾』シリーズ中の2大会の「本日の試合」スタンプ付きパンフレットです。 画像2枚目 3枚目 1983年4月1日 後楽園ホール大会(シリーズ開幕戦) 画像4枚目 5枚目 1983年4月3日 蔵前国技館大会 このシリーズ開幕戦における試合で、タイガーはキッドのツームストン・パイルドライバーにより頸椎挫傷の重傷を負い、4.3 蔵前大会から欠場に追い込まれました。 蔵前大会パンフレットの「本日の試合」欄に『タイガーマスク 1/60 ダイナマイト・キッド』のスタンプが見られることからも、ギリギリまで出場を考えていたことが伺えます。 この日はNWA Jr. ヘビー級のタイトル戦の予定でしたが、欠場によりタイガーは二冠タイトルを返上。代わりにキッドと小林邦昭との間で同タイトルの王座決定戦がおこなわれました(結果は両者リングアウト。タイトルはコミッショナー預かりに)。 ちなみに4.3 蔵前大会 第8試合の『藤波辰巳 vs 長州力』の一戦は、この年の年間最高試合に選ばれた『名勝負数え唄』の頂点とも言える試合でした。 https://muuseo.com/yukio/items/673?status_to=open https://muuseo.com/yukio/items/674?theme_id=43285
プロレスパンフレット タイガーマスク 1983年TORA
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Wrestling Revew - サミー・リー時代のプログラム
1981年4月2日 ブリストル大会 サミー・リー vs ジム・ブレイクス サミー・リー出場大会のプログラムです。 ジム・ブレイクスはサミー・リー登場前のイギリスマットにおいて、ダイナマイト・キッドのライバルだった選手です。 英国ライト級およびウェルター級の王者だったことから見ても、しっかりとした実力を持った選手だったようです。 画像5枚目 ジム・ブレイクスの写真です。
プロレスパンフレット サミー・リー 1980年TORA
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Wrestling Revew - サミー・リー時代のプログラム
1980年12月4日 ブリストル大会 サミー・リー & ウェイン・ブリッジ vs ジャイアント・ヘイスタック & ブラック・バロン サミー・リー出場大会のプログラムです。 画像1枚目 / 紙面中に2週間後の17日 ロイヤル・アルバートホール大会の告知が掲載されています。 カードはサミー・リー vs マーク・ロコ。そしてダイナマイト・キッド vs トーリー・ホー・ケイとあります。 この発表カードとは別に、サミー・リー vs M・ロコの試合後、サミー・リー & D・キッド vs M・ロコ & T・ホー・ケイの試合が改めて行われています。 反則負けの判定を不服としたM・ロコがリングを降りずに抗議しているところへ、次に試合をすることになっていたD・キッドらが入場。そこで急遽タッグマッチとなった、という流れだったようです。 ただ一度だけ実現したサミー・リー / タイガーマスクとダイナマイト・キッドの、夢のような豪華なタッグチーム。 当時の映像が発掘されるのをひたすら願うばかりです。 ちなみに、タイガーご自身は、この試合についてはもちろん、D・キッドとタッグを組んだこと自体全く覚えていないとのことです。
プロレスパンフレット サミー・リー 1980年TORA
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Wrestling Revew - サミー・リー 資料
1981年7月9日 ブリストル大会のプログラムです。 表紙でサミー・リーが紹介されていますが、本大会に本人は出場していません(同日はスカボロ大会にてJ・ブレイクスと対戦)。 佐山サトルさんは、4月にタイガーマスクとしてデビューした後の7月にも、サミー・リーとしてイギリスマットに上がっています。 本プログラムの表紙は『Welcome back for Sammy Lee』としてそのことを伝えています。 また、6月18日 ウェンブリーアリーナにおけるM・ロコとのミッド・ヘビー級タイトル戦を、家族の不幸により欠場したことも紹介されています(実際には新日本プロレスが手放さなかったため)。
プロレスパンフレット サミー・リー 1981年TORA
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Wrestling Revew - M・ロコとの初対決時のプログラム
サミー・リーのイギリスデビュー翌日、1980年10月9日 ブリストル大会のプログラムです。 対戦カードには『ROLLERBALL ROCCO v SAMMY LEE』の文字。後のタイガーマスクとブラック・タイガーが運命の初遭遇を果たした大会です。 手書きの書き込みから、「5×10」のラウンド制で試合が行われたことが窺えます(当時のイギリスの試合はラウンド制)。 またサミー・リー側には「2Falls」の記述が見られますが、試合結果が書き込まれているのではと思うのですが。 サミー・リーとしての活動期間は僅か半年程度しかありませんでしたが、両者はこの後に、シングルで30試合以上対戦することとなります。 イギリスマット界において、屈指の好カードであったことが窺えます。 両者マスクを着けての日本での試合を思えば、それも当然のことだったのでしょう。
プロレスパンフレット サミー・リー 1980年TORA