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ベネトン・ルノーB196 イギリスGP
フェラーリからベルガーと共に移ってきたアレジ。しかしチャンピオン争いからはほど遠く、47ポイントでランキング4位だったが優勝無しでシーズンを終えた。結局、完走は11回ですべて入賞。ポディウムには8回上がった。予選ではベルガーに13勝3敗とリードしていたが主導権は握れなかった。またチームはロス・ブラウンとロリー・バーンがシーズン終了後にミハエルを追うようにフェラーリに移っていった。
J・アレジ ミニチャンプス 恵比寿 Mrクラフト 2005.12.8ゆーじ
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ザウバー・ペトロナス C20
言わずと知れたキミのF1デビューマシン。しかしF3もF3000も経験せずフォーミュラルノーから引っ張ってきたペーター・ザウバーの見る目は半端ない。今でもキミの経歴を見ると不思議な駆け上がり方で思わず笑ってしまう。
K•ライコネン ミニチャンプス 恵比寿 Mrクラフト 2005.5.18ゆーじ
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BAR・ホンダ006 中国GP仕様
04年のBARチームはサードドライバーのデイビッドソンのマシンに様々なカラーリングを施したが、中国GPではレギュラードライバーのマシンにも555のロゴに変更した。中国ではラッキーストライクより555の方が認知度が高いことによる変更だった。
J・バトン ミニチャンプス 恵比寿 Mrクラフト 2005.5.18ゆーじ
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ジョーダン・ホンダ EJ12 鈴鹿レジェンド
02年日本GPの琢磨は完璧な仕事をした。パフォーマンスの上がってきたEJ12でトップ3の下、フィジコの上の予選7位を獲得した。決勝ではルノーのトゥルーリとバトンを抑え、1回目のピットストップでは2台に抜かれたが2回目のピットストップで6位になる。他のホンダエンジン勢がリタイアする中、最後まで走りきってラルフのリタイアで5位に浮上してフィニッシュした。
佐藤琢磨 ミニチャンプス 恵比寿 Mrクラフト 2005.5.18ゆーじ
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ウィリアムズ・BMW FW26 BMW別注
04年のモントーヤは58ポイントでランキングは5位だったが、ミハエルに遥か90ポイントも離されてしまった。不運はカナダGPの5位入賞からブレーキダクトの寸法違反の失格と、アメリカGPでスタート15秒前のシグナル掲示後のTカーの乗り換えで2連続失格を味わった。結果、優勝は最終戦ブラジルGPのみで、見せ場も少なく暴れん坊らしくなく影を潜めてしまった。
J•Pモントーヤ ミニチャンプス 恵比寿 Mrクラフト 2005.1.31ゆーじ
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アロウズ・BMW A8
F1では2年目でアロウズから参戦したベルガー。チームメイトはブーツェンだった。序盤から中盤はリタイアが多く、ラスト2戦で5位と6位で連続入賞を記録し、評価が上がってベネトンに移籍したことでその後の活躍に繋がっていく。A8はデイブ・ワスの設計で、アロウズ初のカーボンコンポジットモノコックのマシンだった。エンジンはBMW4気筒ターボだが、ハイミマーダーチューンのカスタマーだった。
G・ベルガー ミニチャンプス 恵比寿 Mrクラフト 2005.1.31ゆーじ
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ティレル・ヤマハ 024
ティレルでの最終年。開幕前になかなか契約が決まらずやきもきさせられた。おまけに024の開発は進んでしまい、サロに合わせたコックピットデザイン形状になってしまった。それにより右京用としてのシャシーはシーズン中盤に完成した。予選ではサロに5勝11敗。7戦連続のリタイアもあり、完全に存在感を失ってしまった。
片山右京 ミニチャンプス 恵比寿 Mrクラフト 2005.1.26ゆーじ
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ザウバー・メルセデス C13 200戦参戦 カナダGP
通算208戦のチェザリス。アルファロメオでデビューしたのは21歳。マクラーレン、そしてアルファロメオに戻り、リジェ、ミナルディ、ブラバム、リアル、スクーデリアイタリア、ジョーダン、ティレル、ザウバーで200戦を達成している。壊し屋と言われていたが、デビュー当時は上位のチームにも在籍し、時にはポールポジション獲得や優勝目前の走りもしていた。結果生き残ってきたのも光る走りがあったからだ。
A•Dチェザリス ミニチャンプス 恵比寿 Mrクラフト 2005.1.26ゆーじ
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ザウバー・ペトロナスC20 ファーストポディウム
01年はキミと予選では10勝7敗でポイントでは12対9で共に勝っていたが、キミはマクラーレンに引き抜かれたが、ニックは1勝もすることはなかった。この第3戦ブラジルGPでは予選9番手からスタート。途中から雨が降り出し、インターミディで我慢し乾き始めるとレイン勢を攻略し、99年スパのアレジ以来の表彰台3位をチームにもたらした。エメラルドグリーンの台紙はキミのファーストポイントと同じく目立つ一台だった。
N•ハイドフェルド ミニチャンプス 恵比寿 Mrクラフト 2005.1.26ゆーじ
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BAR・ホンダ006 鈴鹿限定 頑張れ日本魂
04年の日本GPは週末に台風22号の影響で土曜日のセッションがすべて中止。日曜日にF1史上初めて予選と決勝が同日開催という忘れられないグランプリになった。その後欲しくなって買ったが13500円と当時は高額だった。台紙に漢字が入っているのは非常に珍しく、白い台紙は存在感を感じる。
佐藤琢磨 ミニチャンプス 恵比寿 Mrクラフト 2005.1.26ゆーじ
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BAR・ホンダ 2004 SHOWCAR チームエディション
04年のバトンは成績は飛躍したが、05年まで契約が残っているのにウィリアムズへの移籍が決定したという情報もあり、少なからずチーム内にゴタゴタを持ち込んでいた。このチームエディションは今までにない台紙で、顔写真が入っているだけではなくプレートが貼り付けてあった。真っ先に欲しくなって買った値段が16800円。いやはやよくポンとお金が出せたもんだなと思うばかりだ。
J・バトン ミニチャンプス 恵比寿 Mrクラフト 2004.8.10ゆーじ
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フェラーリF310
94.95年連続チャンピオンを獲得したミハエルが跳ね馬に移籍してきた。またチームメイトにはジョーダンからアーバインが加入した。マシンはローノーズデザインのF310で、ジョン•バーナードとグスタフ・ブルナーの設計だ。エンジンはV12からV10になり、ガソリンもアジップからシェルになった。だがF310は失敗作と言われ、後にブルナー改良のハイノーズマシン、F310/2が投入される。ミハエルは結果3勝で3P•P、59ポイントを獲得した。コンストラクターズでは70ポイントの2位だが、ウィリアムズに105ポイント差をつけられた。
M・シューマッハー ミニチャンプス 恵比寿 Mrクラフト 2004.4.16ゆーじ
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ウィリアムズ・ルノー FW17
F1で2年目、フル参戦1年目のクルサード。予選ではデーモンに8勝9敗で優勝1回、P•Pは4連続を含む5回、ポイントは49対69とまあまあ一年だった。だが入賞以外はすべてリタイアと安定感がまったく無かった。初優勝は第13戦ポルトガルGPではP•Pでスタートしてほぼトップ走行と完璧だった。しかしイタリアGPでは再スタートになったがフォーメーションラップでスピン。日本GPではスプーンのコースオフで砂利を拾い、次のブレーキングで砂利が飛び出しリタイア。最終戦のオーストラリアGPではピットロードの入り口の壁に突っ込むつまらないミスを犯している。結果、インディカーチャンプのジャックにはじき出されてマクラーレンに移って行った。
D・クルサード ミニチャンプス 恵比寿 Mrクラフト 2003.10.10ゆーじ
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マクラーレン・メルセデスMP4-17D ミシュラン別注
マクラーレン2年目のキミ。結果から言うとミハエルに2ポイント差のランキング2位。チャンピオンを逃した一番の要因は予選方式が金曜土曜の一回ずつアタックの失敗と言えた。リタイアは3回だが自らのミスは本当に少なかった。初優勝は第2戦のマレーシアGP。開幕戦から4連続表彰台でシーズントップにはしばらく居座った。第9戦ヨーロッパGPでは42戦目で初のP•P獲得も、26周目トップ走行中にエンジンブロー。第12戦ドイツGPでは5番手スタートからジャンプアップを狙うも多重クラッシュに巻き込まれた。たらればは無しだが悔しかっただろう。
K•ライコネン ミニチャンプス 恵比寿 Mrクラフト 2003.10.10ゆーじ
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マクラーレン・フォード MP4/8
92年にホンダが撤退してセナがマクラーレンで乗らないと言った後に一戦毎の契約をした。それによりハッキネンがテストドライバーに降格した。マイケルは91年にインディカーチャンピオンを獲得したマリオの長男だ。契約時にはプロストやセナに負けないという強気発言。しかし開幕3戦でたった4周しかできず評価を一気に落とす。イタリアGPでは3位表彰台を獲得したが、双方合意で契約を解除した。マクラーレン側は評価を下げる作業をしたなんて話もあった。しかし予選はセナに全敗で7ポイントでは無残な記憶しか残っていない。
M・アンドレッティ ミニチャンプス 恵比寿 Mrクラフト 2003.10.10ゆーじ