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ベネトン・ルノーB196 イギリスGP
フェラーリからベルガーと共に移ってきたアレジ。しかしチャンピオン争いからはほど遠く、47ポイントでランキング4位だったが優勝無しでシーズンを終えた。結局、完走は11回ですべて入賞。ポディウムには8回上がった。予選ではベルガーに13勝3敗とリードしていたが主導権は握れなかった。またチームはロス・ブラウンとロリー・バーンがシーズン終了後にミハエルを追うようにフェラーリに移っていった。
J・アレジ ミニチャンプス 恵比寿 Mrクラフト 2005.12.8ゆーじ
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ウィリアムズ・ホンダ FW11
ピケは不調のブラバムからホンダエンジンを積むウィリアムズに移ってきた。さっそく開幕戦の母国ブラジルGPで勝利し、チャンピオン争いは最終戦オーストラリアGPまでもつれ込んだ。ポイント上はマンセルが有利だったが、マンセルはバーストでリタイアしてピケも用心のためタイヤを交換した。そしてプロストがそのまま逃げ切って連覇を果たした。ピケは結局4勝でP•P2回で69ポイント、ランキングは3位だったがコンストラクターズはウィリアムズはぶっちぎりの1位だった。
N・ピケ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.11.24ゆーじ
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BAR・ホンダ007 ジャパンパワー京商別注
05年は不完全燃焼だったバトン。シーズン初ポイントは第10戦フランスGPだったが、そこから10戦連続の入賞は立派だった。しかしドライバーズランキングは3位から9位に落ち、ウィリアムズとの契約のゴタゴタもあり、後味の悪さを残してしまった。モデルカーは中国GP、555仕様に変更した。
J・バトン ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.11.24ゆーじ
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トールマン・ハートTG184 ポルトガルGP セナコレクションNo.21
セナがF1デビューした84年。第4戦までTG183Bをドライブし、第5戦フランスGPからはカーボンケプラーモノコックのTG184が投入され、非力ながら予選結果も安定した。セナは第2戦南アフリカGPでさっそく6位入賞。大雨のモナコGPではFLを伸ばしながらラウダなど強豪ドライバーをかわし、31周赤旗でレースは終了したが、続いていたならトップのプロストすら抜けたのではないかという2位でフィニッシュした。だがシーズン途中にロータスへの移籍を発表したが、トールマンとの二重契約が問題でイタリアGPの出走が禁止の処分を受けたが、違約金を払って移籍が実現している。
A•セナ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.11.17ゆーじ
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ジョーダン・ホンダ EJ12
忘れかけていたジョーダンEJ12の通常モデルが発売されたのは活躍した年から3年後だった。EJ12はエクバル・ハミディの設計だが、シーズン序盤に更迭されてゲイリー・アンダーソンが改良をしていった。当初は姿勢変化による空力特性の変化が大きいため、琢磨もあらゆる面でとんがったマシンと語っていた。その後の改良では少しずつだがやっと後半戦に戦闘力が上がってきた印象だった。
佐藤琢磨 ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.11.17ゆーじ
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ウィリアムズ・ルノーFW17 1995.8.1 シルバーストーンテスト
95年のジャックはインディシリーズを最年少24歳でチャンピオンになり、インディ500も制した。そのシーズン中の8月1日にシルバーストーンでFW17をドライブして好タイムをマークしてみせた。しかし契約がまだ未了だったため、マシンやレーシングスーツなどにスポンサーのロゴはまったく入っていなかった。そしてこのテストの後、ジャックのマネージャーのクレイグ・ポロックが96年からの2年間のウィリアムズとの契約を結んでいる。
J・ビルヌーブ ミニチャンプス Mrクラフト通販 2005.11.10ゆーじ
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ジョーダン・フォードEJ14 COMMEMORATIVE BOX
04年のジョーダンチームはEJ14のエンジンカバーを使ってメッセージフロムバーレーンという企画を展開した。各GPでバーレーン政府へのメッセージが書かれていた。印象に残っているのはサンマリノGPでセナの顔が入っていたことだ。珍しいものではないが、台紙には全GPへのメッセージが書かれているのがうれしい。
N•ハイドフェルド ミニチャンプス ラオックス秋葉原店 2005.11.2ゆーじ
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パナソニックトヨタレーシング TF105 ジャパンパワー京商別注
TF105はマイク•ガスコインとルカ•マルモリーノの設計。レギュレーションでフロントウィングの地上高が高くなり、リアウィングの本体は長くなり、ラウンチバージョンでは付いていなかったコックピット横のボーダーウィングは開幕までに付けられた。またシーズン中も各種デバイスの追加や変更が繰り返された。RVX-05エンジンの信頼性もパワーもトップクラスと言えた。日本GPではフロントサスを大幅に改良したTF105Bを投入し、開発のスピードの早さも感じられたシーズンだった。
J・トゥルーリ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.10.29ゆーじ
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寝台特急あかつき
久しぶりにNゲージを購入。今回はトミックスの寝台特急あかつきのセット。いずれは彗星かなはも連結したい。
2024.2.19ゆーじ
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BAR・ホンダ007 ジャパンパワー 京商別注
琢磨が苦しんだ05年。昨年は34ポイントでランキング8位だったが、コンストラクターズ6位だったが自身は1ポイントに終わる。第2戦マレーシアGPでは発熱で欠場。次戦バーレーンGPで復帰し、一時は3位を走行したがブレーキトラブルでリタイア。第4戦サンマリノGPでは5位入賞のはずが車両重量違反でバトン共にレースから除外され、その後の2戦は出場停止になった。波に乗る雰囲気がなかった。おまけにバトンには予選で1勝15敗と完全にやられたと言える結果だった。
佐藤琢磨 ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.10.29ゆーじ
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BAR・ホンダ006 TSコレクションNo.5
ショーカーを含めて数多く買った006シリーズ。そしてそのグループのこれが最後の一台。TSコレクションだから買ってしまったイメージ。
佐藤琢磨 ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.10.29ゆーじ
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パナソニックトヨタレーシングTF105 トヨタ別注 日本限定
04年終盤にルノーから放出されてトヨタに来たヤルノ。前半戦は快進撃が続いたが、結果はラルフにポイントを逆転され、43ポイントでランキング7位で終えた。だが第2戦マレーシアGPでは予選2番手から決勝でも2位フィニッシュ。トヨタに初の表彰台をもたらした。そして次戦のバーレーンGPでも続けての2位。第5戦スペインGPでは25周目のピットストップで給油口のトラブルが発生し、燃料が漏れて引火してあわやのシーンがあったが3位に導いた。また第9戦アメリカGPでは参戦60戦目で初のP•Pを獲得したが、ミシュラン勢のボイコットで水の泡になってしまった。
J・トゥルーリ ミニチャンプス 鈴鹿サーキットトヨタブース 2005.10.9ゆーじ
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パナソニック トヨタレーシングTF105 日本GP限定トヨタ別注
ウィリアムズからトヨタに移籍してきたラルフ。序盤はチームメイトのトゥルーリに引き離され気味の印象だったが、陰でコツコツとポイントを獲得して最終的にはトゥルーリに2ポイントリードのランキング6位で終えた。走りは現実でリタイアはあのアメリカGPのボイコット以外ではヨーロッパGPだけで、入賞率77.8%と安定していた。ハンガリーGPではトヨタでの初ポディウム3位、中国GPでも3位、日本GPでは雨を味方につけてP•Pも獲得した。しかし予選ではトゥルーリに対して3勝15敗と勝負にならなかったが、コンストラクターズ4位に大きく貢献した。ちなみにこの一台は初めての鈴鹿観戦で買った思い出のモデルカーでもある。
R・シューマッハー ミニチャンプス 鈴鹿サーキットトヨタブース 2005.10.8ゆーじ
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紅弁天
子供の頃から速い車やトラック野郎が好きだった。時にトラック野郎雑誌のカミオンに投稿するために仙台新港や塩釜港にチャリで行っていたこともあった。グレてた中学生時代の記憶だ。年が明けて暗いニュースばかり飛び交っていたが、八代亜紀さんが亡くなったニュースも辛かった。八代亜紀さんと言えば演歌だが、自分はトラック野郎一番星シリーズに出ていた紅弁天役が好きだった。偶然にも一番星号を復活させた方のイベントに参加はできなかったが、協力をすることができて哥麿会のカレンダーをいただいたのはコロナ禍の時だった。イベントに行けなかったが、一枚めくるとそこにはトラックの運転席に座る八代亜紀さん。美しくかっこいい。一度もお会いすることはできなかったが、トラック野郎一番星シリーズを新年から見直しながら、ご冥福をお祈りしている。
ゆーじ
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ルノーF1チームSHOWCAR 2005
新車のR25は2005年2月1日に発表された。やはり個性の光るフォルムはリアウィングのフラップの下部が後方から切れている不思議な形と、そして排熱のスリットが目を引く。おまけにシェイクダウン後もすばらしいタイムを連発し、開幕前から快進撃は始まっていた。
F•アロンソ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.9.30ゆーじ