ねがい南こうせつ

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感涙の名曲「さよならの街」!
2017年12月29日に日本でレビュー済み
フォーク世代の私は若かりし頃にかぐや姫の「神田川」や「22才の別れ」を聴いて心を揺さぶられたひとり。当時、たまに彼らがテレビの歌番組に出演した時などには、家族に静かにするように言ってテレビを食い入るように、それこそ息を詰めるようにして見入った。
当然、翌日学校ではフォーク仲間の間でその話で持ちきりなったものである。
かぐや姫解散後も彼らの各々のソロアルバムを聴き続けたのだが、その中で南こうせつの本盤「ねがい」の収録曲、1曲目の「さよならの街」聴いてガツンとやられた。1本の小説か映画を見たかのようなドラマチックなこの曲に惹かれ、胸を焦がした。

22才の時、私は私自身の夢のために東京に出た。夢と現実の間でもがきながらも、それでも歯を食いしばって夢を追い続けた。

後年、私は田舎に引っ込んだが、人生の折り返し点をとうに過ぎた今、ふとした折りにあの頃を思い出す事がある。
今この「さよならの街」を聴くと、若かりし頃聴いた時とはまた違った感慨を以て、胸が締めつけられる。この曲にあの頃の我が身を思い合わせ、聴くたびに涙が滲む。この曲の詞と同じような境遇に私もまたいて、似たような想い出があるからだ。
おそらく若い日に夢を追った経験があるなら、この曲を聴いて私と同じ感慨を想起し、涙した方もあるかもしれない。
この曲の作詞は南こうせつ自身。彼にこうした体験があり、その想いがこの詞を書かせたのだろうか?
それにしても泣ける詞だ。

西日のあたる東京板橋のアパート。
牛丼並盛りの味。
友人たちと青臭い芸術論を語り合った夜。
手料理をよく作ってくれた彼女の顔…。
それらの事をしみじみとした感慨を以て想い返すようになった。あの頃はありふれた日常だった事が、今は私にとってはかけがえのない想い出となっている。
ポール・ニザンの詩のように、私の青春も決して薔薇色ではなかったが、今は思う。あの季節はやはり宝であったと。

「さよならの街」はそんな私の青春を追想させる曲である。

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