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『少年マガジン』の表紙がアートだった時/番外編(3)
1970年10月18日・第12巻43号・デザイン/窪田啓二郎・モデル/藤圭子 ⭐️「少年マガジン」は1959年3月の創刊以来10年、はじめて女性アイドルが表紙に登場。 ⭐️表紙のポートレートは1970年10月リリースのEPシングル盤から。 ⭐️この年(1970年)の彼女の人気はスゴイかった。演歌を歌いながらアイドルとして注目を集め多数の雑誌の表紙を飾った。 ⭐️作家の五木寛之は自著「怨歌の誕生」の中で「1970年のデビューアルバムを聞いたときの衝撃は忘れがたい。これは『演歌』でも、『艶歌』でもなく、まちがいなく『怨歌』だと感じた。」と評した。 * 1970年02月05日 ・「女のブルース」発売、オリコンシングルチャート8週連続1位。 * 1970年04月25日 ・「圭子の夢は夜ひらく」発売、オリコンシングルチャート10週連続1位。 * 1970年11月09日・第1回日本歌謡大賞大賞を受賞。 * 1970年12月31日 ・ 第12回日本レコード大賞大衆賞を受賞。NHK紅白歌合戦に初出場。 * 1970年・ 第3回日本レコードセールス大賞受賞。 * 1970年 ・第3回日本有線大賞優秀スター賞受賞。 ⭐️『少年マガジンの表紙がアートだった時』シリーズは今回で終了です。エッシャー編3巻・横尾忠則編9巻・マグリット編3巻・番外編3巻・計18巻。 #雑誌 #少年マガジン #表紙 #藤圭子 https://youtu.be/JMuMDTmK66Y
雑誌 少年マガジン 講談社 80円横浜黄昏
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『少年マガジン』の表紙がアートだった時/マグリット(3)
1970年12月20日・第12巻52号・原画/マグリット・「アルンハイムの領地」(1949年) ⭐️「鷲の形をした山」と「外の風景と同じ景色が描かれた窓ガラス」を組み合わせたもの。 ⭐️写真4が原画。マグリット 編は計3巻。 #雑誌 #少年マガジン #表紙 #マグリット #アルンハイムの領地
雑誌 少年マガジン 講談社 80円横浜黄昏
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『少年マガジン』の表紙がアートだった時/エッシャー(1)
1970年2月08日・第12巻07号・原画/エッシャー/「Belvedere(物見の塔)」 マウリッツ・コルネリス・エッシャー(Maurits Cornelis Escher,1898年6月 -1972年3月)/リトグラフ、メゾティントなどの版画制作で知られるオランダの版画家。 <Google> https://g.co/kgs/qgN94u 日本に初めてエッシャーを紹介したのは「少年マガジン」。1968年8月11日号から12月15日号まで18週にわたる特集企画「ふしぎ特捜隊」の扉ページや、1970年2月8日から続く7、8、9号の表紙を飾りました。 #雑誌 #少年マガジン #表紙 #エッシャー
雑誌 少年マガジン 講談社 70円横浜黄昏
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『少年マガジン』の表紙がアートだった時/横尾忠則(9)
1970年9月13日・第12巻38号・表紙構成/横尾忠則・原画/手塚治虫・『鉄腕アトム』 ⭐️今回で「表紙がアートだった時/横尾忠則編」1970年全9冊を終了。この後1971年正月号のエピソードはモノ日記(『少年マガジン』の表紙がアートだったアノ年/横尾忠則編)をお読みください。 #雑誌 #少年マガジン #表紙 #横尾忠則
雑誌 少年マガジン 講談社 90円横浜黄昏
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『少年マガジン』の表紙がアートだった時/マグリット(2)
1970年12月13日・第12巻51号・原画/マグリット・「魅せられた領域」 ⭐️『魅せられた領域』はクノッケ=ル=ズートのカジノからの依頼で幾つかの代表的な図柄を集めてマグリットが下絵を描き、チームとして完成させた壁画(写真5)。 #雑誌 #少年マガジン #表紙 #マグリット #魅せられた領域 ⭐️本誌で文芸劇画と名ずけ、笹沢左保の「六本木心中」を取り上げているがアンルイスの歌とは関係ない。関係ないがちょっと聞いてみようか😛 https://youtu.be/voF-VuK3usw
雑誌 少年マガジン 講談社 80円横浜黄昏
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『少年マガジン』の表紙がアートだった時/番外編(2)
1970年10月04日・第12巻41号・原画/シネの漫画集「Haut-Le-Coeur!(Oh! トイレ大作戦)」 ⭐️シネ(Siné,1928年12月-2016年5月)。ポルノチックでエロチックなフランス小話、風刺漫画、ブラックジョークなどで知られたフランスの漫画家。大人の皆さんは一度は目にしたことがあるのでは?ネ ⭐️今回のシネはトイレのお話。いろいろ調べたがフランス語圏なのでよくわかりません。(^_^;) グラビアの中で作家の星新一氏が言ってます、「余計な解説は要らない」と。 <ウィキペディア 仏語> https://fr.wikipedia.org/wiki/Sin%C3%A9 ⭐️フランス語圏の漫画(大雑把(^^;;) ・漫画をバンド・デシネ(bande dessinee)と言い、略してベ・デ(BD)と呼ぶことあり。 ・バンドデシネは「描かれた帯」という意味。 ・絵画や文学と同じ、アートとして認められている。 ・基本的に一人の作家が一つの作品を描く。 #雑誌 #少年マガジン #表紙 #シネ #ブラックジョーク
雑誌 少年マガジン 講談社 80円横浜黄昏
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『少年マガジン』の表紙がアートだった時/番外編(1)
1970年03月08日・第12巻11号・原画/手塚治虫・「万博怪獣エクスポラ」 ⭐️手塚治虫描き下ろしの表紙絵「万博怪獣エクスポラ」、本誌奥付(写真3)に各エレメントの説明がある。写真4、5はその部分拡大、6枚目は氏のコメント、7枚目が原画。 #雑誌 #少年マガジン #表紙 #手塚治虫 #大阪万博 #エキスポ70 https://youtu.be/_dnFxMsEsAA
雑誌 少年マガジン 講談社 70円横浜黄昏
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『少年マガジン』の表紙がアートだった時/横尾忠則(7)
1970年8月30日・第12巻36号・表紙構成/横尾忠則・原画/香朝楼『形見草四谷怪談(早稲田大学演劇博物館蔵)』 ⭐️写真4が原画 絵師・香朝樓/作品名:「四谷怪談物語(1896年)」《早稲田大学演劇博物館デジタルより》 #雑誌 #少年マガジン #表紙 #横尾忠則 #四谷怪談
雑誌 少年マガジン 講談社 90円横浜黄昏
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『少年マガジン』の表紙がアートだった時/横尾忠則(6)
1970年8月23日・第12巻35号・表紙構成/横尾忠則・原画/斎藤五百枝・絵本『桃太郎(講談社刊)』 斎藤 五百枝(さいとう いおえ、1881年12月21日 - 1966年11月6日[1])は、日本の映画美術の美術デザイナー、背景画家、出版における挿絵画家である[1]。日本映画の黎明期に、吉沢商店、日活向島撮影所、国際活映角筈撮影所で、クレジットされることもなくセットの背景を描いた人物であり、後に『少年倶楽部』の表紙画で人気を博した。(ウィキペディアより) #雑誌 #少年マガジン #表紙 #横尾忠則
雑誌 少年マガジン 講談社 90円横浜黄昏
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『少年マガジン』の表紙がアートだった時/横尾忠則(5)
1970年8月16日・第12巻34号・表紙構成/横尾忠則・原画/英国ハマー・プロ製作『吸血鬼ドラキュラ』 #雑誌 #少年マガジン #表紙 #横尾忠則
雑誌 少年マガジン 講談社 90円横浜黄昏
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『少年マガジン』の表紙がアートだった時/横尾忠則(3)
1970年6月07日・第12巻24号・表紙構成/横尾忠則 原画/影丸譲也・原作/真樹日佐夫『ワル』 ⭐️特報記事に『ブームのジョー、舞台公演決まる。東横劇場で主演は石橋正次』とあります。 #雑誌 #少年マガジン #表紙 #横尾忠則
雑誌 少年マガジン 講談社 70円横浜黄昏
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「少年マガジン」力石徹 死す
1970年4月5日・第12巻15号・P105/告知ページ ゴ セイキョヲイタミ ツツシンデ オクヤミモウシアゲ マス 全国から力石徹の死をいたむ弔辞が寄せられました。若者の心に深い悲しみを残して、永遠に去っていった力石徹、ありし日の彼をしのび、その死を悼む集いが開かれます。ふるってご参加ください。 ●あしたのジョー ファンの集い ●日時=3月24日 午後3時〜5時 ●場所=講談社講堂 ●先着500人 入場無料 (当日は会場の都合で混乱が予想されますのでお早目においでください。) ●出席者●高森朝雄●ちばてつや ●寺山修司●小池朝雄●尾藤イサオ ●太田照夫(田辺ジム)●劇団天井桟敷 ●催し 1.アニメーションフィルム上映 2.ボクシング試合 3.力石徹葬儀 4.10分間ミュージカル ●構成演出/東 由多加 ※主催/シンジケート・ジャックと豆の木 キット・ブラザース・カンパニー ※協賛/少年マガジン ●おみやげ 少年マガジンのバックナンバー ちばてつや先生の色紙 記念バッジ レコード歌詞 #少年マガジン #あしたのジョー #力石徹
雑誌 少年マガジン 講談社 90円横浜黄昏
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『少年マガジン』の表紙がアートだった時/エッシャー (3)
1970年2月22日・第12巻09号・原画/エッシャー/「Red Ant’s(メビウスの輪)」 メビウスの帯、またはメビウスの輪は、帯状の長方形の片方の端を180°ひねり、他方の端に貼り合わせた形状の図形である。メービウスの帯ともいう。 数学的には向き付け不可能性という特徴を持ち、その形状が化学や工学などに応用されているほか、芸術や文学において題材として取り上げられることもある。( ウィキペディアより) <Google>https://g.co/kgs/frdFZm #雑誌 #少年マガジン #表紙 #エッシャー
雑誌 少年マガジン 講談社 70円横浜黄昏
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『少年マガジン』の表紙がアートだった時/エッシャー(2)
1970年2月15日・第12巻08号・原画/エッシャー/「Bond of union(婚姻の絆)」 昨年はエッシャー生誕120年でもあり、ここ数年エッシャー展が各地で催され会場はどこも賑わっているようです。ところで、日本に初めてエッシャーを紹介したのは「少年マガジン」だった。 そうそう、この号で『力石徹』が死に、寺山修司を中心に前代未聞の告別式が執り行われることになるのだがそれはまたの機会にアップします。 #雑誌 #少年マガジン #表紙 #エッシャー #あしたのジョー #力石徹
雑誌 少年マガジン 講談社 70円横浜黄昏
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『少年マガジン』の表紙がアートだった時/横尾忠則(1)
1970年5月24日・第12巻22号・表紙構成/横尾忠則 原画/ちばてつや・原作/高森朝雄『あしたのジョー』 創刊600号記念超大号 ⭐️前回紹介の23号、今回紹介の22号の表紙は1990年10月にシルクスクリーン版画として製作された。エディション・ナンバー入り限定百部、740X520 特製額入り71,000円。 #雑誌 #少年マガジン #表紙 #横尾忠則 #あしたのジョー
雑誌 少年マガジン 講談社 80円横浜黄昏