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【1985/11/15】伝統工芸品シリーズ第6集郵便切手
伝統工芸品シリーズ第6集として昭和60年11月15日に60円郵便切手が4種発行されます。 (A)輪島塗 起源は、11世紀の初期と言われ、15世紀ごろには技術的に確立されました。あて、ひば、欅、桂、朴などを木地として、盆、椀、飯器等の日用漆器を生産し、広く全国に供給しています。輪島特有の地の粉を用いた堅牢な下地造りに特徴があります。優美な沈金、蒔絵の技術が優秀で、75~124もの工程を経て製品が完成します。 (B)出雲石燈ろう 起源は、古く奈良、平安時代にさかのぼるとされていますが、定かではなく、17世紀の初期に盛んになりました。仏前に献灯する器具が発展したもので、春日型、雪見型、大照型など、その種類は126種類にものぼっています。出雲地方の比較的軟かい砂岩の来待石を手斧、つるはし、のみ等で型造り、彫刻を行います。その独特の技法と風雅な趣きは、広く全国の庭園に愛用されています。
20枚(縦5枚・横4枚) 縦33.5mm・横25.0mm A)輪島塗(1)(2) B)出雲石燈ろう(1)(2)windsurfcafe
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【1986/03/13】伝統工芸品シリーズ第7集郵便切手
伝統工芸品シリーズ第7集として昭和61年3月13日に60円郵便切手が4種発行されます。 (A)京扇子 起源は、奈良時代にさかのぼるといわれ、「枕草子」や「源氏物語」にも記されています。今日に伝わる技法が完成したのは、能、茶の文化が盛んになった16世紀と推定されます。京扇子は、桧、杉、白檀などの木板を束ねた板扇(いたせん)と竹、象牙等を骨に、紙や絹をはった貼扇(はりせん)があり、いずれも往時の雅を今日に伝えています。 (B)砥部焼 起源は、18世紀後半といわれ、地元で産出する砥部陶石、高野川陶石を主原料とした磁器で、素地肌に独特の味があります。丼、鉢、皿、そばちょこ、抹茶碗などの日用食器類のほか、花瓶、花器などを生産しています、厚手の磁器で、その堅牢さは、つとに有名です。ろくろ成形、押型成形、手ひねり成形などの成形技法、素地の模様付け、呉須を使った下絵付け、施袖の各技法とも、伝統の中に現代感覚を探り入れた磁器です。
20枚(縦5枚・横4枚) 縦33.5mm・横25.0mm A)京扇子(1)(2) B)砥部焼(1)(2)windsurfcafe
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【1986/11/21】昆虫シリーズ第3集郵便切手
昆虫シリーズ第3集として昭和61年11月21日に60円郵便切手4種が発行されます。 (A)ウスバツバメガ(学名Elcysma westwoodii)は、マダラガ科のホタルガ亜科に属し、国内では本州の南部から四国、九州にかけて、国外ではシベリア南東部から中国、ヒマラヤにまで分布しています。 はねを広げた大きさは、60ミリメートル前後で、はねは半透明です。 (B)ベッコウチョウトンボ(学名Rhyothemis variegata)は、トンボ科に属し、はねに美しいべっ甲状の斑紋があります。オキナワチョウトンボの別名のように、我が国では沖縄本島や八重山諸島などに分布が限られています。 体長は約40ミリメートルで、チョウを思わせる幅広いはねを持っています。 (C)エゾゼミ(学名Tibicen japonicus)は、セミ科の大型種で、国内では北海道、本州、四国、九州の針葉樹林帯に住み、国外では朝鮮半島や中国にも分布しています。体長は43ミリメートル内外で、胸部の斑紋の形や色彩は変化に富み、雄の腹部下面には黄褐色の腹弁があります。 (D)オガサワラタマムシ(学名Chrysochroa holstii)は、タマムシ科に属する大型種、小笠原諸島の特産で、特別天然記念物に指定されています。 体長は、22~35ミリメートルで、雌のほうが大型です。体は緑色で、はねの先だけ赤くなり、見る方向によっては、紫色を帯びる美しい種類です。
20枚(縦5枚・横4枚) 縦33.5mm・横25.0mm A)ウスバツバメガ・ベッコウチョウトンボ B)エゾゼミ・オガサワラタマムシwindsurfcafe
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【1986/09/26】昆虫シリーズ第2集郵便切手
昆虫シリーズ第2集として昭和61年9月26日に60円郵便切手が4種発行されます。 (A)オオクワガタ(学名Dorcus hopei)は、クワガタムシ科の王者といわれ、北海道から九州まで分布し、国外では朝鮮半島と中国に分布しています。 雄の体長(大あごの先端まで)は、40~70ミリメートルと変化があり、大型と小型では大あごの形が違います。雌は、雄よりもはるかに小さい。 (B)キリシマミドリシジミ(学名Thermozephyrus ataxus)は、シジミチョウ科に属し、ゼフィルスと呼ばれる美しい昆虫の1種です。本州、四国、九州、屋久島及び対馬の照葉樹林帯に生息しています。雄は金緑色に輝き雌は前ばねに大きな青い斑紋をもち、裏面の模様も雌雄で違います。 (C)ミヤマアカネ(学名Sympetrum pedemontanum)は、トンボ科の中型種で、北海道から九州にかけての低山地に広く分布しています。 体長は、約35ミリメートルで、はねの模様の特徴によって、他のアカトンボ類と容易に区別できます。成熟した雄は、体全体がまっ赤になります。 (D)マイマイカブリ(学名Damaster blaptoides)は、オサムシ科に属する昆虫では日本最大です。北海道から九州まで分布しています。北部にいる種類は、小型で35ミリメートル前後ですが、南へ行くと大きくなります。 切手に取り上げたのは、キタカブリという東北地方北部のものです。
A)オオクワガタ・キリシマミドリシジミ B)ミヤマアカネ・マイマイカブリ 昭和61年9月26日 60円郵便切手(2種連刷)2組windsurfcafe
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【1986/07/30】昆虫シリーズ第1集
昆虫シリーズ第1集として昭和61年7月30日に60円郵便切手が4種発行されます。 (A)ウスバキチョウ(学名Parnassius eversmanni)は、アゲハチョウ科に属しますが、後ばねに尾状突起のないのが特徴です。北海道の大雪山系の高山帯に生息し、特別天然記念物に指定されています。幼虫はコマクサを食べて成長します。 (B)アカスジキンカメムシ(学名Poecilocoris lewisi)は、カメムシ科のキンカメムシ亜科に属し、本州、四国、九州に分布しています。生きているときは、金緑色に輝く美しい昆虫ですが、体を刺激するとカメムシ類特有の臭いにおいを出します。 (C)ルリボシカミキリ(学名Rosalia batesi)は、カミキリムシ科に属する日本の固有種の美しい昆虫で、北海道から九州の山地まで広く分布しています。黒い斑紋は個体によって変化があり、触角の各節に黒い毛の房があるのが特徴です。 (D)ムカシトンボ(学名Epiophlebia superstes)は、ムカシトンボ科に属する日本の固有種で、北海道、本州、四国、九州に分布しています。体形や斑紋はサナエトンボ類を思わせますが、これに近いものが化石として数十種発見されているため、「生きている化石」のひとつに数えられています。
20枚(縦5枚・横4枚) 縦33.5mm・横25.0mm A)ウスバキチョウ・アカスジキンカメムシ B)ルリボシカミキリ・ムカシトンボwindsurfcafe
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【1987/08/25】奥の細道シリーズ第3集郵便切手
奥の細道シリーズ第3集として昭和62年8月25日に60円郵便切手が発行されます。 <世の人の見付ぬ花や軒の栗> 芭蕉は、白河の関を越えてから、旧知の俳友である須賀川の豪農相良伊左衛門(俳号等躬)を訪ね、しばらく滞在しました。その間、近くの大きな栗の木の下に庵を結んで隠棲している可伸という僧を訪れたときの作です。 大意は、「地味で目立たない栗の花は、世人の目にとまらない花である。その木はまた行基菩薩にも縁がある。その栗を愛して、世を避け、世に隠れ住んでいるこの庵の主人も、目立たない人だが、ゆかしいことだ」です。 <早苗とる手もとやむかししのぶ摺> 芭蕉が、今の福島市の郊外にある「しのぶもじ摺の石」を訪ねたときの感慨を詠んだ句です。 大意は、「早乙女たちが、早苗をとり田植をしているが、その手つきを見ていると、昔しのぶ摺をした手つきもあんなものであったろうかと、昔のことがしのばれて、ゆかしいことだ」ですが、初案は、「早乙女にしかた望んしのぶ摺」というものでした。 「しのぶ摺」は、昔奥州信夫郡から産出した摺絹の一種で、もじれたような模様が摺つけてありました。
20枚(縦5枚・横4枚) 縦33.5mm・横25.0mm A)栗の花(世の人の見付ぬ花や軒の栗) B)早苗(早苗とる手もとやむかししのぶ摺)windsurfcafe
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【1987/06/23】奥の細道シリーズ第2集郵便切手
奥の細道シリーズ第2集として昭和62年6月23日に60円郵便切手が4種発行されます。 <野を横に馬牽むけよほととぎす> 『おくのほそ道』の旅中、芭蕉が黒羽から那須温泉へ行く途中の作で、黒羽の大関藩の城代家老浄法寺図書高勝が馬子をつけ馬で送ってくれた。その馬子に短冊を請われて作ったと『おくのほそ道』にあります。大意は、「広漠たる那須野を馬に乗り、馬子に手綱をとらせて進んでいると、道の横手にあたってほととぎすが鳴き過ぎた。馬子よ、あのほととぎすの鳴き行く方へ馬を引き向けてくれ」です。 <田一枚植て立去る柳かな> 『おくのほそ道』によれば、那須の芦野の八幡宮に近い田の中に、西行が「道のべに清水流るる柳陰しばしとてこそ立ちどまりつれ」と歌に詠んだ遊行柳のあとが残っているのを見に立ち寄ったときの作です。大意は、「西行が歌に詠んだ有名な柳はこれかと、昔を思い、深い感慨にふけっていると、眼前の田ではその間に人々が一枚の田植をすませた気配である。自分もはっと現実にかえり、柳の陰を立ち去ることだ」です。
20枚(縦5枚・横4枚) 縦33.5mm・横25.0mm A)ほととぎす(野を横に馬牽むけよほととぎす) B)柳陰(田一枚植て立去る柳かな)windsurfcafe
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【1987/03/12】昆虫シリーズ第5集郵便切手
昆虫シリーズ第5集として昭和62年3月12日に60円郵便切手4種および昆虫シリーズ小型シート(200円)が発行されます。 (A)キバネツノトンボ(学名Ascaraphs ramburi)は日本のツノトンボで後羽に鮮かな黄色斑紋がある日本特産種、ウスバカゲロウの仲間です。 (B)ヒゲコガネ(学名Phlyphylla laticollis)はコフキコガネ亜科の最大種で、雄の触角は偏平に大きく伸び、雌のは長くなりません。 (C)コノハチョウ(学名Kallima inachus)はタテハチョウ科の大型種で沖縄の天然記念物に指定されている美しい蝶です。前羽の表は鮮かな赤青の斑紋ですが裏は枯葉そっくり。 (D)ミヤマカワトンボ(学名Calopteryx cornelie)はカワトンボ科の日本固有種です。体や羽の色は雌雄で異なり、主に山の清流に住みます。
20枚(縦5枚・横4枚) 縦33.5mm・横25.0mm A)キバネツノトンボ・ヒゲコガネ B)コノハチョウ・ミヤマカワトンボwindsurfcafe
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【1987/02/26】奥の細道シリーズ第1集郵便切手
奥の細道シリーズ第1集として昭和62年2月26日に60円郵便切手が4種発行されます。 <奥の細道> 松尾芭蕉が元禄2年(1689年)3月27日に江戸を出発、奥羽・北陸を巡り9月3日に大垣に到着、同月6日に伊勢に旅立とうとするまで150日間・600里(約2,400km)にわたる旅行の紀行文です。「奥の細道」の題名は本文中に「奥の細道の山際に十符の菅あり」とあることによっております。 <行春や鳥啼魚の目は泪> 「おくのほそ道」の中で、江戸から旅立ちのおり見送りの人々へ留別の句として詠まれたように書かれている句ですが、実際はのちに「おくのほそ道」の執筆に際して作られた句であると思われます。去りゆく季節の衷感を人間が悲しむだけでなく、鳥も魚も自然も共に嘆き悲しんでいるかのように詠んでいる上に、これから人々と別れ長い旅に出て行く離別の悲しみを重層的に籠めています。(2種連刷) <あらたふと青葉若葉の日の光> 江戸の千住から三日めに芭蕉は日光に着き東照宮を拝観しました。この句は日光山東照宮などこの地に対する挨拶の気持を籠めた句で「日の光」は太陽の光を指すと共に裏に「日光山」を掛けてあります。ただし実際日光で作った時の初案は「あなたふと木の下暗も日の光」でした。
20枚(縦5枚・横4枚) 縦33.5mm・横25.0mm A)芭蕉像(行春や鳥啼魚の目は泪) B)華厳(あらたふと青葉若葉の日の光)windsurfcafe
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【1987/01/23】昆虫シリーズ第4集記念郵便切手
昆虫シリーズ第4集として昭和62年1月23日に60円郵便切手が4種発行されます。 (A)ミヤマクワガタ(学名Lucanus maculifemoratus)は、クワガタムシ科に属し、北海道から九州まで広く分布する、日本の固有種です。 大型と小型ののもでは大あごの形が大きく違い、別の種類のようです。 山地の落葉広葉樹林に生息し、成虫は6月から8月にかけて出現します。 (B)オニヤンマ(学名Anotogaster sieboldii)は、オニヤンマ科に属する日本最大のトンボで、北海道、本州、四国、九州と琉球列島の一部に分布しています。体長は、10センチメートル内外で、雌は雄よりひと回り大きく、腹の先に長い産卵管突起があります。 (C)アサギマダラ(学名Parantica sita)は、マダラチョウ科に属し、国内では本州以南の各地に生息し、国外では中国から熱帯アジアに広く分布しています。はねの開張は、80~110ミリメートルです。 長距離を移動する性質があり、北海道でも見ることができます。 (D)ヤンバルテナガコガネ(学名Cheirotonus jambar)はコガネムシ科に属し日本最大の甲虫、沖縄本島北部山地の照葉樹林で最近発見され1984年新種として命名されました。体長は50~60ミリメートルあり雄の前足は大変長く幼虫はシイやカシ類の大木の穴で成長し2~3年かかって成虫になります。
20枚(縦5枚・横4枚) 縦33.5mm・横25.0mm A)ミヤマクワガタ・オニヤンマ B)アサギマダラ・ヤンバルテナガコガネwindsurfcafe
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【1989/02/13】奥の細道シリーズ第9集郵便切手
奥の細道第9集として、平成元年2月13日(月)に60円郵便切手(2種連刷)が発行されます。 「石山の石より白し秋の風」 今の小松市那谷町にある自生山那谷寺の庭には石英粗面岩質の凝灰石からなる灰白色の岩山がある。『おくの細道』には「奇石さまざまに、古松植ならべて、萱ぶきの小堂、岩の上に造りかけて、殊勝の土地也」と書いてこの句を掲げてある。石山といえば近江の石山寺の石山がすぐ頭に浮ぶのが、当時の常識ではあろうが、ここは眼前の灰白色mの石山より秋風のほうがもっと白いと取るんぼがよいのではなかろうか。 「月清し遊行のもてる砂の上」 芭蕉は陰暦8月14日の夕暮敦賀に着き、夕食後月が格別美しいので、土地の気比大明神に参詣した。『おくの細道』には「社頭神さびて、松の木の間に月のもり入たる、おまへの白砂、霜を敷るがごとし」とある。昔、気比大明神の門外にあった沼を、遊行二世の他阿上人が大願発起し、みずから「草を刈、土石を荷ひ泥渟渟うぃかはか」した事蹟を記念して、代々の遊行上人も儀式として「遊行の砂持」をし、今も神前には白砂を盛り上げてある。 画「那谷寺」は、日本画家今野忠一氏が句から受けた印象を独自のイメージで描いたものです。同氏は日本美術院(院展)評議員です。 画「月光」は、日本画家後藤純男氏が句から受けた印象を独自のイメージで描いたものです。同氏は日本美術院(院展)の評議員です。 書は、書家青山杉雨氏と村上三島氏の筆によるものです。両氏は、芸術院会員であるとともに日展常任理事です。
20枚(縦5枚・横4枚) 縦33.5mm・横25.0mm A)今野忠一「那谷寺」 B)後藤純男「月光」windsurfcafe
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【1988/11/11】奥の細道シリーズ第8集郵便切手
奥の細道シリーズ第8集として昭和63年11月11日(金)に60円郵便切手(2種連刷)2組が発行されます。 「わせの香や分入右は有磯海」 芭蕉は坂田をたてから、残暑の酷しい北陸道を西南に歩き、やがて季節は秋に入った。越中(富山県)の国はもう早稲が実っていた。北陸道は新湊あたりから海岸を離れ、高岡を経て倶利伽羅峠にかかる。越中と加賀(石川県)との国境である。峠からは右手に越中の歌枕有磯海の海岸がよく見える。早稲田が実っている間を分け入るように歩みを進め、はるかに有磯海を望み見たときの心の弾みがこの句のどこかにあります。 「あかあかと日は難面も秋の風」 『おくの細道』には金沢のあとに「途中唫」と題してこの句が掲げてあります。長い夏の旅を歩き続けてきて、今赤々と照りつける残暑の日ざしは、秋などそ知らぬ顔だが、さすがに風はもう秋だけに秋風らしいさわやかさが感じられるという句意です。 画「わせの春」は。日本画家大野俶嵩氏が句から受けた印象を独自のイメージで描いたものです。。 画「赤映」は、日本画家中路融人氏が句から受けた印象を独自のイメージで描いたものです。同氏は日展の会員です。 書は、書家、上條信山氏と杉岡華邨氏の筆によるものです。上條信山氏は日展参事です。杉岡華邨氏は日展常任理事で、日本書芸院理事長、大阪教育大学名誉教授でもあります。
20枚(縦5枚・横4枚) 縦33.5mm・横25.0mm A)大野俶嵩「わせの香」 B)中路融人「赤映」windsurfcafe
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【1988/08/23】奥の細道シリーズ第7集郵便切手
奥の細道シリーズ第7集として昭和63年8月23日(火)に60円郵便切手(2種連刷)2組が発行されます。 「象潟や雨に西施がねぶの花」 象潟は、今の秋田県象潟町にあった潟湖で、小島の点在する景勝の地でしたが、のちに地震で土地が隆起し陸地となりました。雨の象潟の風光を、雨に濡れるねむの花のように西施(中国の美人)が物思わしげに眼をつぶっている趣があるとしたものです。 「荒海や佐渡によこたふ天河」 日本海の荒海のかなたにある佐渡が島は、古来多くの人々が流罪にあって悲運を嘆いたり、また黄金が掘られたりして、人間の喜怒哀楽が渦巻いてきた島である。しかし今、そんな人間の些事とは無関係に広々とした秋の空に、天の河が佐渡が島にかけて大きく横たわっているといった意味がこめられた悠大で古典的味わいのある句です。 画「ねぶの花」は、日本画家松尾敏男氏が句から受けた印象を府独自のイメージで描いたものです。同氏は日本美術院(院展)評議員です。 画「荒海」は、郵政省技芸官青木義照が句から受けた印象を、独自のイメージで描いたものです。 書は、二句とも書家村上三島氏の筆によるもので、同氏は芸術院会員で、日展常任理事です。
20枚(縦5枚・横4枚) 縦33.5mm・横25.0mm A)松尾敏男「ねぶの花」 B)青木義照「荒海」windsurfcafe
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【1988/05/30】奥の細道シリーズ郵便切手第6集
奥の細道シリーズ第6集として昭和63年5月30日(月)に60円郵便切手(2種連刷)が発行されます。 「さみだれをあつめて早し最上川」 芭蕉は立石寺から最上川上流の船着場である大石田へ出た。この句の初案「さみだれをあつめてすゞしもがみ川」は、この地での作だが、『おくのほそ道』では船で最上川くだりをしたあとのところに、「すゞし」を「早し」に改作して載せてある。日本三急流の一つである最上川の川くだりをした体験が預かっていよう。 「雲の峰幾つ崩て月の山」 芭蕉は陰暦六月三日、元合海から船に乗って最上川をくだり、狩川から陸路羽黒山神社に至って十二日まで滞在した。滞在中六月六日から一泊で月山・湯殿山の二社に参詣の登山をした。この句は羽黒山神社に帰った翌日、別当代会覚の求めで短冊に書いた句。大意は「仰ぎ見る月山には弦月が淡い光を投げかけており、高い雲の峰は夕日に映えているが、この雲の峰は夕方までに幾つ崩れては涌き、涌いては崩れたことであろうか。」である。 画「最上川」は、日本画家堀文子氏が「さみだれを・・・」の句から受けた印象を独自のイメージで描いたものです。同氏は、創画会会員。 画「月山」は、日本画家今野忠一氏が「雲の峰・・・」の句から受けた印象を独自のイメージで描いたものです。同氏は、日本美術院(院展)の評議員です。 書は、二句とも書家宮本竹逕氏の筆によるものです。同氏は、日展理事です。
20枚(縦5枚・横4枚) 縦33.5mm・横25.0mm A)堀文子「最上川」 B)今野忠一「月山」windsurfcafe