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1.43 Toyota7 (1968) 細谷四方洋
3リットル7(415S) デビューマシンとはボディー等の形状が若干変更されてます。 画像にマシンは、ワールドチャレンジカップ富士200マイルレース日本CanAmで細谷四方洋のドライビングで6位入賞マシン。
ミニカー エブロ 1/43真適当工作
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1/43 伊多利野 紫電 (1977) 高原敬武/中嶋悟
1977年、富士500kmレース、5位入賞車。 ドライバーは高原敬武/中嶋悟組 デザイナーはネスカフェゴールドブレンドのCMにも出ていた、違いのわかる男、由良拓也。 このマシンはクーペタイプはかなり室内が熱くオープンタイプも作ったとのことです。
ミニカー エブロ 1/43真適当工作
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1/43 TOYOTA7 1968 日本GP 細谷 四方洋
3リッター7(415s)ヤマハ発動機との共同開発でヤマハ側具体的な開発が行われた。 画像のマシンは1968年の日本GPに細谷四方洋のドライビングで予選10位 決勝18位となった。
ミニカー エブロ 1/43真適当工作
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1/43 PORSCHE 906 1967日本グランプリ 生沢 徹
Tetsu1Ikuzawa9COLLECTION 67年の第4回 日本グランプリGPーII 優勝 坂井 正のカレラ6との激しいトップ争いを制しての優勝 日本の国鳥の丹頂鶴と日の丸をモチーフにした生沢 徹のヘルメットが印象的です。
ミニカー エブロ 1/43真適当工作
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1/43 Prince Skyline GTB racing 砂子 義一
1964年 第2回日本グランプリ GTーII 式場荘吉のポルシェ904に遅れること9.6秒で2位に入ったマシン。
ミニカー エブロ 1/43真適当工作
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1/43 プリンスR380 スピードトライアル
1965年 プリンスR380 日本初のレーシングプロトタイプ 1965年開催予定の日本グランプリで打倒ポルシェを目標に作られたマシン。 日本グランプリが中止となり谷田部のテストコースでスピードトライアルを行い6つの国内記録を樹立。
ミニカー#レーシングカー エブロ 1/43真適当工作
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HONDA RAー302
HONDAF1 第一期の最後のマシンとなったRAー302 本田宗一郎が第二次大戦のドイツの軍用車両のキューベルワーゲンが空冷でも砂漠の激務にも耐えられたという発想のもと制作された軽量空冷マシン。 ドライバーはジョー シュレッサー フランスグランプリでの事故により他界、驚きはシュレッサーのご両親で息子の為にHONDAに多大な迷惑をかけたということで契約金を返しに来たという!いまでは損害賠償請求はあってもこういうことは。
F1#ミニカー エブロ 1/20真適当工作
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HONDA RAー301E
イタリアGPで優勝したRAー300のエンジンを大幅にモデファイしたエンジンを搭載 フランスGP 2位 イギリスGP5位
F1#ミニカー エブロ 1/20真適当工作
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HONDA RAー300 イタリアGP ジョン サーティース
RAー300新型エンジンに対してボディーの制作が間に合わず、サーティースが関わっているローラのボディーを使用していたことからジャーナリストからはホンドーラなどとも言われたマシン。 イタリアグランプリではジャックブラバムとのゴールラインまでの競り合いは有名なシーン映画グランプリでもモデルとなりました。 サーティースは最終コーナー立ち上がりから最後はエンジンを壊してもいいつもりで1速低いギアでゴールまで引っ張っての勝利
F1# ミニカー エブロ 1/20真適当工作
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HONDA RA273 1966
HONDARA273レキュレーションが3リッターエンジンに変更された1966のマシンです、 リッチーギンサーのドライビングで最終戦のメキシコで4位入賞が最高位でした。 模型はエブロの1/20ですがエンジン周りのパイピング等が実に良く再現されてます。
F1#ミニカー エブロ 1/20真適当工作
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HONDA F1 RAー271
走る実験室が二輪から四輪へ ロータスに供給してロータスホンダの予定がキャンセルになり車体も自社開発でF1に参戦 横置きV12が注目を集めたがマスコミからはホンダは時計のように精密だが像のように重いとも言われた。 ロニーバックナムによってシェイクダウンされた。
F1#ミニカー エブロ 1/20真適当工作