ユニバーサルジュネーブ。耳に残るのはロービートの心地よい鼓動

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文・写真/山縣 基与志

長く愛用できる自分にとっての一生モノは使ってこそ価値が出てくるもの。旅先でつけた傷が、経年変化してあせた色合いが、思い出を振り返る手助けをしてくれます。

この連載では、モノ雑誌の編集者として数多くの名品に触れてきた山縣基与志さんが「実際に使ってみて、本当に手元に置いておきたい」と感じた一品を紹介します。第2回はUNIVERSAL GENEVE(ユニバーサルジュネーブ)の手巻きロービート。山縣さんは「手にとってから20年以上経つけれども、いまだに飽きが来ない」と語ります。

今でも耳に残るのは、ロービートの心地よい音

機械式の腕時計に初めて触ったのは、祖父の腕に乗っていたセイコーの手巻きだった。ロービートの心臓の鼓動のようにゆっくりとした心地よい音が、いまも耳に残っている。ゼンマイを巻くのも大好きで、一度はゼンマイを巻き切ってしまい、しばらくは腕時計を触らせてもらえなかった。

そして、自分の腕時計を手にしたのは、中学入学のお祝いだった。文字盤が鮮やかなブルーの自動巻きのセイコーのロードマーベル。時間を見るのではなく、時計を見て喜んでいた。その頃はテンプの振りの速いハイビートが主流となり、祖父の時計の手巻きロービートとは何か違うと感じていた。

1回目のMONTBLANC「PIX NO.75」の舞台も神田神保町だったが、今回も1980年代の神田神保町から話が始まる。中学校の頃から読書しまくり、高校生になると学校をサボって神保町の古本屋を徘徊し、戦利品を手にジャズ喫茶に入り浸っていた。

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神保町で始まった、手巻きロービート探求の旅

神保町は本の街。いつものように古本屋巡りをしていて、路地に入ってふと見ると「東京古民具骨董館」の看板が掛かっている雑居ビルが目に入った。入口や階段にも古道具や骨董品が所狭しと並べられ、いかにも怪しい!

意を決して入ってみると、ビルがまるごと骨董品だらけ。6階くらいのビルだったと記憶しているが、小さな骨董屋が何十軒もテナントとして入っていた。

古いタンスや陶器、磁器、蓄音機、古布などがもう、いまでいうドンキホーテ状態。迷宮に入り込んでしまったかのような不思議な感覚をいまでもはっきりと覚えている。それからがもう大変。古本とレコードに加えて、骨董まで。神保町通いがさらに加速する。

東京古民具骨董館通いの3回目。4階だったと思うが、腕時計ばかり並んだショーケースがあった。その当時はまだアンティークウォッチショップはなくて、骨董屋に一部、腕時計が置いてある程度だったが、ここにはショーケースにびっしりと腕時計が並んでいる。

ロレックスやオメガはもちろん、当時は聞いたことのないメーカーの腕時計がたくさん並んでいた。

商売気のなさそうな一見無愛想な店主に意を決して、話しかけると、こちらが腕時計好きとわかった途端、急に相好を崩し、饒舌に腕時計の素晴らしさを語り出した。ショーケースから何本も腕時計を出しては説明してくれる。音を聴いてみろと言われ、渡されたオメガを耳に当てると、そうあの音!祖父のしていたセイコーのロービートの音だった。ここから私の手巻きロービートの腕時計探求の旅が始まった。

なぜ私たちはシンプルなものに惹かれてしまうのだろう

ある時、著名な工業デザイナーの取材をすることになり、事務所に伺った。

工業デザイナーだからどんな腕時計をしているかも興味津々だった。ご挨拶をして真っ先に左手首を見ると、そこにはアラビア数字が並んだごくごくシンプルな腕時計が乗っていた。

取材が終わり、雑談の中で、さりげなく腕時計の話しを振ると、そのデザイナーも腕時計が好きで、若い頃はクロノグラフや無骨なものを好んだそうだが、腕時計を知れば知るほど、シンプルなアラビア数字だけのものに惹きつけられるようになったそうだ。

複雑なものからシンプルなものへ!これこそ、モノ道の真理なのだろうか?

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心安らぐロービートの鼓動。飽きがこないアラビア数字のシンプルなデザイン。

今回のUNIVERSALとはスイスの骨董屋で邂逅した。古ぼけた人形の横にいた。本当に何か光って見えたのだ。

近寄ってよく見ると全てアラビア数字の夜光の文字盤。1960年代の手巻きロービート。機械式時計の絶頂期のモノ。腕に乗せてみると、やたらとしっくりと収まる。まるで何十年も腕にしていたよう。これこそ、世に言うモノとの衝撃的な出会いなのか!

現在は大きな時計が主流だが、このUNIVERSALは34ミリ。

34ミリといえばいまでは婦人用と言われそうだが、昔は紳士の腕時計は34ミリが基本。究極の腕時計と言われているパテック・フィリップの96も34ミリ。腕にしっくりくるはずだ。

もちろん迷わずスイスから連れて帰って来た。すかさず信頼のおける時計職人にお願いしてオーバーホール。ほぼデッドストックに近い初(うぶ)な一本だった。

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あれから20数年。他の時計もすることもあるが、やっぱり落ち着くのはこのUNIVERSAL。

何年経ってもロービートの鼓動とアラビア数字のシンプルなデザインにまったく飽きない。

最近、手縫い鞄で群を抜いている藤井鞄のベルトを奢(おご)った。ドイツボックスカーフの茶に臙脂(えんじ)色の糸。もちろん手縫いでコバは時間をかけて徹底的に磨かれている。ベルトの穴は3つだけ。夏と冬と春秋用だ。これでUNIVERSALがさらに引き立つ。

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これからどれだけの時間を過ごすことができるのだろうか?このUNIVERSALのようにシンプルにゆっくりとロービートで時を重ねて行きたい。

ーおわりー

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機械式時計の魅力をふんだんに解説した決定版書籍

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機械式時計講座

雑誌「世界の腕時計」で連載していた「機械式時計入門講座」を書籍化

1970年代以降デジタル時計の発展に伴い、機械式時計のシェアは縮小してきたが、近年その魅力が見直され、販売台数も増加傾向にある。本書は、機械式時計の仕組みから、組立、調整、これからの方向性まで、その魅力までをふんだんに解説した決定版書籍。

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日本で初実施の「アメリカ時計学会・公認上級時計師(CMW)認定試験」に、1954(昭和29)年、若干27歳で合格した末は、自身の姿勢を機械式時計に関する高度なアフターメンテナンス、時計メーカーでの斬新な製品開発という「現場」で貫くだけにとどまらず、人材育成の面でも若き後進に多大の影響を与え続けている。その末が、自身の91年に及ぶ人生の道のりをつまびらかにすることで、「今、時計師の存在が必須である」ことの意味を訴える。

公開日:2018年3月31日

更新日:2022年4月13日

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山縣 基与志

人、モノ、旅をこよなく愛し、文筆業、民俗学者、プランナーとして活動中。日本全国の伝統芸能と伝統工芸を再構築するさまざまな仕掛けを展開している。

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